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【人生は負けた後から 脇役が魅力の時代小説】葉室麟さん
中日新聞 夕刊 [文化]欄 2014/2/8 Sat.
(前段略)
デビュー作「乾山晩愁(けんざんばんしゅう)」で天才絵師・尾形光琳と弟の乾山の関係に迫った葉室さんは、この種の芸術もののほか、史実を踏まえた歴史小説と武家ものの時代小説を書いてきた。歴史小説では九州柳川の武将立花宗茂の生涯を描く『無双の花』や高杉晋作が主人公の『春風伝』などを発表しているが、最も多いのは松本清張賞を受けた『銀漢の賦』や直木賞受賞作『蜩ノ記』をはじめとする武家小説である。(略)
昨年11月刊の『潮鳴り』は、武士道の美学が強調された『蜩ノ記』と同じ豊後・羽根(うね)藩を舞台にした武家小説だが、かなり異色である。酒席での失態からお役御免となり、酒と博打に明け暮れるようになった伊吹櫂蔵が、藩にだまされて切腹した弟の無念を晴らすために再起を果たそうとする物語。「落ちた花は再び咲くことができるか」というテーマは、慕っていた武士に弄ばれた末に捨てられ、言い寄ってくる男に体を売るようになったお芳にも重ねられる。彼女は海に入って死のうとした櫂蔵を助け、どんなに辛くても生きなければならないと教えるのである。
「若い時はサクセスストーリーだけが人生だと思いがちですが、私らの年齢になると、むしろ人生は負けた後から始まるのではないかと思えてくる。落ちた花は二度と咲くことはないけれども、咲かそうとする努力は美しい。確かに『蜩ノ記』には武士としての生き方が強く出ていて、女性の視点がなかった。その意味で『潮鳴り』は、女の人の物語だとも言えますね」
女性といえば、最新作の『山桜記』は、朝鮮の戦地にいる夫に送った手紙が博多の浜に打ち上げられたことから秀吉に召し出された武士の妻や、九州島原の大名有馬家に嫁いだキリシタンの公家の娘など、戦国から江戸期に生きた女性を描く全七編を収録。男性の勝者の視点でつくられた正史には表れない、もう一つの世界が見えてくる。
華やかな光琳の陰の存在であった乾山を主役にして出発した葉室文学の魅力は何か。それは脇役の魅力である。『潮鳴り』のお芳がそうだし、『銀漢の賦』では政敵を倒して藩政を動かす松浦将監(しょうげん)よりも、鉄砲衆の藩士で井堰(いせき)造りに励む日下部源五に惹かれる。権力者の横暴に耐えながら自らの信ずる道を進む儒学者広瀬淡窓(たんそう)を描いた『霖雨(りんう)』でも、商人として働きながら淡窓を支える弟の久兵衛の生き方に感銘を覚える。
「私自身、派手な人間ではありませんから、地味な立場の人の気持がよくわかるのです。社会というのは一人の英雄とか豪傑がつくっているのではなく、普通の人が寄り集まって、なんとかかんとか支えている。目だたなくても自分のやるべきことをきちんとやる。結局私は、普通の人が普通に努力して生きていくことが一番大切なんだというごく単純なことが言いたくて書いているんですね」。葉室さんの作品が持つ温かみと読後感の良さ、その理由が理解できたような気がした。 (後藤喜一)
〈来栖の独白 2014/2/25 Tue. 〉
先日、新聞の整理をしていて、上記事が目につき、引き込まれるように読んだ。2月8日夕刊のインタビュー記事であるが、この日、私は実家へ帰省しており、読んだのは随分後となった。
早速、『潮鳴り』を注文した。明日セブンイレブンに届く、というメールがあった。葉室麟さんの作品は、『蜩ノ記』、『いのちなりけり』などを読んだ。いずれも、後藤さんの言われるように「読後感の良さ」が抜群である。
『蜩ノ記』は、今秋映画化されるとか聞いている。楽しみだ。明日から、『潮鳴り』を読む♪♪
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【書評】『潮鳴り』葉室麟著
産経ニュース 2013.11.3 14:30
*嘘のない真実の人生描く
ここには真実の人生が存在する。人が嘘をつかないで生きている世界がある。出世を目指す男にもてあそばれて身を娼婦に持ち崩したお芳は、武士からはみ出し襤褸蔵(ぼろぞう)と呼ばれるまで落ちぶれた伊吹櫂蔵(かいぞう)と出逢い、自殺から救う。当然のように2人は惹(ひ)かれ合う。しかし、再び武士に戻ることになった櫂蔵の求愛に、お芳はこたえることができない。女中としてなら働くという。もう自分には資格がないとは思いながらも、近くにいたいのである。人情である。
武士には継母があり、武士の妻としての誇りに生きている継母は、お芳を受け入れない。酌婦から女中になったお芳は、伊吹櫂蔵の継母である染子に、身が汚れていればこそ、たった一つのことを守って生きてきたという。嘘をつかないことだという。染子はお芳のいうことを信じない。しかし、次第にお芳の一途(いちず)な生き方にほだされる。そして、ついには「嘘をつかぬとはおのれを偽らぬということ、本当にそういう生き方をしているのなら、それはよいことだ」といって、お芳の生き方を認めるようになる。それだけではない。染子は、過去の自分を恥じるお芳に、「女子はむかしなど脱ぎ捨てて生きるのです」と、ドキリとするような励ましまで言う。以上が横糸である。
太い縦糸がある。藩の財政改革とそれを利用して儲(もう)けを企(たくら)む悪徳商人が登場する。しかし、本当の悪はその奥深くに巣食っている。伊吹櫂蔵は弟の新五郎が藩の財政改革の志に燃えながらも、犠牲となって腹を切った事件の真相を探る。藩のために天領日田の商人から借りた5千両が消えた謎である。不思議にも金が消えてしまったから、弟は命を以(も)って責任をとらねばならなかったのである。金はどこに消えたのか。そもそもなぜ藩の財政が逼迫(ひっぱく)したのか。藩主の吉原での道楽がすべての原因とわかり、染子は昔仕えた藩主の実母を動かす。縦糸と横糸が交わる。どちらの糸を重いと思うかは読者によるだろう。どちらにも、人の世の普遍性が漂う。人は、今も昔も同じように生きて、遅かれ早かれ死ぬのである。(祥伝社・1680円)
評・牛島信(弁護士、作家)
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