野田聖子氏「1日1日の命を必死で生きているムスコさんは、永遠のライバル。ノダも今を必死で生きます」

2015-09-11 | いのち 環境

「私こそザ・自民党」 総裁選断念の野田聖子氏胸中語る
聞き手・明楽麻子
 朝日新聞デジタル 2015年9月10日16時41分
 安倍晋三首相が無投票で再選された自民党総裁選で、告示直前まで立候補を模索した野田聖子前総務会長が9日、朝日新聞のインタビューに応じた。勝ち目のない戦いに挑もうとした理由を語りつつ、われこそが「ザ・自民党」という自負をのぞかせた。
 自民党の一番の強み、何があっても崩れ落ちない理由の一つは、総裁選を通じて「これがアウトでも、次はこれ」みたいな選択肢を常に持っていること。
 「自民党は多様性があります」とお見せする場は総裁選しかない。3年に1度訪れた絶好のチャンス。ただでさえ、安全保障関連法案も原発再稼働も、世論調査で賛成が過半数ない中を乗り越えないといけない。自民党に対する不安が募っている中、「いやいや大丈夫だよ」と払拭(ふっしょく)し、きちんとしたプロセスを経て選任されるほうが、安倍内閣にとっても強固な基盤を維持できたんじゃないかな。
 実は一声かければ20人集められるリーダーの2人に出馬を促していた。でも「首相が強いから。負けるから意味がない」という。「いやいや勝ち負け以前の話ですよ」と説得したけど、フェードアウトされちゃったわけでございます。
 私自身は無派閥の一匹おばさん。勝ち負けじゃなく、自民党の議員としての矜持(きょうじ)は、総裁選をやるということなんだろうなと思った。準備不足はその通り。
 かつてやったことのないようなことをした。電話も100人はかけたな。でも、出てくんないの。(告示日の)朝7時まで電話持って起きてた。(出なかった人から折り返しで)かかってこないかなと電話をずっと待ってました。
 安保法案の審議を止めるのか、と仲間に言われた。私は「審議最優先でいいです」と言った。総裁選は夜とか土日でいい。最悪、野党が審議拒否をすれば、その段階で私は総裁選をやめる、というぐらいの腹は決めていたんですよ。
 かつて郵政民営化で造反したときに学んだことは、首相の意思をひっくり返すのは容易でないこと。安保法制はやっぱりプロセスに乱暴なところがあったのかな。だから、これからも改善できるし、変えていかなきゃいけない。成立したとしても、これですべて終わったとは思ってない。
 安倍さんは好きですよ。私は反安倍じゃない。そんなちんまいことを考えたことはなくて、やっぱりザ・自民党っていう女なんですよ。だからこの家を壊したくないだけ。一度、追い出されたことはあるが、それでも他党に入らなかったのは人間らしい政党だから。
 (女性初の宰相は)めざしてなれるものかな。次の総裁選は、そのときに良い自民党だったら、まあ良し、と。危機的な状況のときは、先々に保険になるような議員になりたいな。私はいつも往生際にいる、縁にいる「ふち子」だから。
 今回も、女性はちょっとだめよ的な批判はありました。どうしても男性に、女の後ろにつきたくないメンタリティーはある。それがやっぱり最大の壁かな。(聞き手・明楽麻子)

 ◎上記事は[朝日新聞デジタル]からの転載・引用です


野田聖子 難病愛息保育園入園と父の死で女性総理に向け決意
 NEWSポストセブン 2015.09.10 16:00
 野田聖子議員(55才)は9月3日、キャップをかぶり、保育園バッグを首からさげる長男・真輝くん(4才)の写真をブログにアップした。写真には《登園初日。緊張気味なムスコさん》という言葉が添えられている。
  4年半前、卵子提供による50才での高齢出産だった。心臓などに疾患を抱えて生まれた真輝くんは出生直後から全身にチューブを繋がれていた。生後1年で手術7回。ブログやドキュメンタリー番組で報告される、あまりに壮絶な闘病の様子に、「一生退院はできないのではないか」と心配する声もあがっていた。また一方で野田氏は「子供を見世物にするな」「高齢出産はエゴ」などという批判にも晒されてきた。
  その真輝くんが保育園に通い始めた。元気な笑顔で“気をつけ”をする姿は世の母親たちの感動を呼んだ。
 「真輝くんは2年3か月にわたる入院生活を乗り越え、今は自宅で暮らしています。脳梗塞の後遺症の半身まひからも回復し、3才半で歩けるようにもなった。食事が胃ろうであったり不便なこともありますが、この9月、ようやく受け入れてくれる保育園も見つかりました。息子が登園する姿は今何よりも野田さんの背中を押す力になっていると思いますよ」(知人)
  自民党総裁選への出馬が取り沙汰された野田氏だったが、最終的には断念することとなった。野田氏と親しい政治ジャーナリストはこう話す。
 「長い自民党の歴史では、党内に意見が異なる派閥の激しい対立があったから議論が活発に行われて、政策も磨かれてきました。しかし、今は安倍路線を批判する勢力がないので政策が深まらないどころか、もし間違った政策を取ってしまっても誰も止められない。みんなそれがわかっていても、安倍(晋三)氏が怖くて手をあげられる人はいない。結局は彼女だけです。野田さんはそれをわかった上で、党内で『反安倍のリーダー』となるために立候補を目指しました」
  野田氏は立候補に必要な20人の自民党議員の推薦を集めることができなかった。
 「総裁選で選挙を行えば、安保法案の審議や採決が滞ります。だから、安倍首相周辺は野田氏を支持しないように徹底的に党内を締めつけました」(前出・全国紙記者)
  無謀な闘いとわかっていても野田氏の決意が揺らぐことはなかった。
 「保育園に通い始めた息子の姿を見て、決意はさらに固まったようです。また、野田さんは7月に父親が亡くなっています。それまで野田さんは出産・子育てもあって“女性としての生き方”“女性の共感を得る行き方”を大切にしてきたが、真輝くんの成長や父親の死を目の当たりにしたことで、“政治家として何をすべきか”ということに強く目が向くようになっているのではないかと思います」(前出・ジャーナリスト)
  その目線の先には「初の女性総理」がある。
 《1日1日の命を必死で生きているムスコさんは、鉄母の良きメンターであり、永遠のライバル。ゆえに、ノダも今を必死で生きます!》(ブログより)
  愛息が背中を押している今、彼女が止まることはない。
※女性セブン2015年9月25日号

 ◎上記事は[NEWSポストセブン]からの転載・引用です
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ヒメコミュ 野田聖子オフィシャルブログ
 スタート!  2015-09-03 09:56:17
  野田聖子です。
 今日は誕生日です。
 すでにたくさんのお祝いのメッセージ頂きました。どうもありがとうございます!
 小学生の頃我が家に強盗が入りました。父は出張で不在。母と小さな妹、弟の四人だけ。強盗は子供部屋へ押し入ろうとしました。母はわずか150センチの小柄な体で体当たりしました。殴られ、手足を縛られました。 寝室にあった金目のものを盗んで逃走。幸い、私達は無事。
 だけど、ボロボロになった母親を見て、3人で泣きました、そんな母が好きな言葉は、義を見てせざるは勇なきなり…
 その母も日に日に認知症が悪化しており、かつての面影が消えつつあります…
 今、母親となった私に、重く響きます。
 ようやくムスコさんは、ご理解いただいた保育園に、行けるようになりました! 毎朝、自分でカバンをかけ、帽子をかぶる彼を頼もしく思います。
 1日1日の命を必死で生きているムスコさんは、鉄母の良きメンターであり、永遠のライバル。
 ゆえに、ノダも今を必死で生きます!

    

   登園初日。緊張気味なムスコさん!

 ◎上記事は[ヒメコミュ 野田聖子オフィシャルブログ]からの転載・引用です


野田聖子氏 体外受精出産長男の闘病綴るブログに涙する人々
 NEWSポストセブン 2011.11.07 07:00
 今年1月6日に真輝(まさき)くんを帝王切開で出産した自民党・野田聖子議員(51)。さまざまな苦難を乗り越えての出産だった。
 41才のときに不妊治療を始めた野田氏は、体外受精14回、流産1回という経験を経て、昨年8月に第三者による卵子提供での妊娠を公表した。このとき、「お金にものをいわせている」「彼女のせいで不妊治療をもっと頑張れといわれる」など、彼女の妊娠をめぐっては多くの批判も寄せられたが、野田氏は本誌のインタビューで、“何としてでも子供を欲しかったという思い”をこう明かしている。
 「いろいろな可能性すべてに挑戦してきた女としての最後の苦渋の決断だったんです」
 批判されるのも覚悟のうえで、決死の思いで真輝くんを出産した野田氏だったが、その真輝くんは、生まれる前からすでに臍帯ヘルニアと心臓疾患という大病を患っていた。へその緒の中に肝臓が飛び出した状態で、さらに本来2本ある心臓につながる血管が1本しかなかった。仮死状態で生まれてきた真輝くんは呼吸も止まっていて産声をあげることすらできなかった。
 また、産後すぐに、食道閉鎖症が見つかり、口からの食事は不可能と診断され、チューブで直接、胃にミルクを送り込まなければならない状態だった。そのため、真輝くんは生まれた直後から、NICU(新生児集中治療室)で、何本ものチューブにつながれ、機械に囲まれる生活を送ることになる。出産直後の思いを野田氏はブログにこう綴っている。
 <息子は、低体重だけではなく、内臓疾患があることが判り、もう少しNICUにお世話になることになりました。小さなからだで、ふびんだと思うけど頑張ってくれてます>
 それ以降、彼女は、その闘病の様子をブログに綴るようになる。それは、まだ生まれたばかりの小さい命には、あまりにも過酷で苦しい日々。読むと涙が止まらなくなってしまうほどの壮絶な闘病日記だった。
 ※女性セブン2011年11月17日号

野田聖子氏10か月長男 ICUで人工呼吸器つながれ予断許さず
 NEWSポストセブン 2011.11.08 07:00
 ブログを読んだ人は、みな涙がこみ上げてくるという。今年1月、野田聖子議員(51)が体外受精の末に帝王切開で出産した長男は心臓などに疾患があり、実は生後10か月を過ぎたいまも、集中治療室から出ることができずにいる。それどころか、生死の境をさまようことも少なくないという。野田氏は、何もしてあげられない無力を息子に詫びながら、胸詰まる思いで日々闘っている。
  さまざまな病気を併発していたため、1才までに6度の手術を受けなければならないほど、危険な状態だった真輝(まさき)くんだが、5度の手術を経て、5月には心臓の手術を残し、後の病気は完治する。そして、7月には一般病棟に移ることができた。8月にはいると、野田氏は、こんな喜びをブログに綴っている。
  8月9日<病院でムスコの主治医から、予防接種をそろそろ、やりますね、とのこと。ぶるぶるっと嬉しさ……何故なら、これまでは、目の前の命を守るだけの毎日だったから、予防なんてしている余裕はなかったのだ。(中略)今のムスコは、かつてのように一日一日の命の力だけでなく、もう少し先まで生きていけるパワーが生まれてきたのだな、と>
  このころには体重は5kgにまで成長して、野田氏自らの手で真輝くんを抱いてお風呂に入れてあげられるほどに、容体も上向いた。だが、その喜びも束の間だった……。直後から、真輝くんの容体は、再び後退していく。
  8月16日<実は、今、あしぶみ、状態。ここ数日、ムスコは、苦しんでいます。苦しんでいるのに、なんもしてあげられないよ……ごめん、ごめん、ごめん>
  そして9月7日、地元の岐阜に所用で戻っていた野田氏が帰京したとき、失意のどん底に突き落とされる知らせが。
 <東京駅についたところで、夫に電話。すると、ムスコ、再出血とのこと。ショックで息が止まりそうに…いまだ原因も出血場所もわからないままだ。(中略)病院に向かう。ムスコ、ぐったりしている。笑顔なし。おむつを替えると、血便がべったり……ほんとに辛いんだろうな、かわってあげられなくて、すごく悔しい。抱っこしたら、すっと軽くなっていた…心を鬼にして、仕事場へ向かった>
  10月18日 <昨日、月曜日の朝……突然、ムスコの呼吸が止まりました。心臓マッサージで蘇生。(中略)その後、緊急手術が決定、午後3時半から9時半までの長時間。(中略)今朝、戦い終わった、いや、戦闘中のムスコと対面。安らかに眠っています。どうか、どうか、この困難を乗り越えてくれますように>
  10月20日 <本日もPICU(小児集中治療室)へ行き、ムスコに面会してきました。筋弛緩剤はなくなり、鎮静剤のみになりました。よって、目覚めました……でも、目は開いているものの、焦点が定まらず、こちらを認識出来ていません。(中略)即死してもおかしくないほど深刻であったこと。しかし、ムスコはぎりぎり心停止をまぬがれ、呼吸が止まったのも2~3分で済んだこと>
  10月28日現在、真輝くんはPICUで人工呼吸器につながれ、予断を許さない状況にある。野田氏も多忙なスケジュールの合間をぬって病院へ通い、わが子にエールを送り続けている。
※女性セブン2011年11月17日号

 ◎上記事は[NEWSポストセブン]からの転載・引用です


* 野田聖子氏、息子と“懺悔の旅”へ「最後はギックリ腰で」2022/1/2


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。