木曽川・長良川リンチ殺人事件「少年法が求める配慮の必要性から、中日新聞は3被告を匿名で報道します」

2011-03-11 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白〉①
 今回、強く、中日新聞を購読していることを嬉しく思った。中日新聞は「更生になお配慮必要」として、3被告を匿名で報道した〈日経新聞も読んでいるが、こちらは実名報道〉。匿名報道の理由も、合理性を満たしたものだ。次のように述べている。書き写させて戴く。

なぜ匿名報道か「更生になお配慮必要」2011/03/11 中日新聞朝刊 1面
 本紙は連続リンチ殺人事件で、事件当時18、19歳だった3被告の逮捕段階から、本人を特定できるような記事や写真の掲載を禁じた少年法61条の趣旨を尊重し、匿名で報じてきました。
 61条は、少年の更生や社会復帰の妨げにならないよう社会に配慮を求めた規定です。表現の自由との関係で罰則はなく、社会の自主的な規制に委ねているとされます。
 報道は実名を原則とし、重大事件の加害者の氏名は社会の正当な関心事です。人命を奪う究極の国家権力の行使が、誰に対してなされるのかも曖昧にはできません。
 3被告の死刑が確定すれば、更生する可能性が事実上なくなったとみなせます。
 死刑判決が覆る可能性もほとんどないことから、実名への切り替えも議論しました。
 しかし、この段階で更生に配慮する必要はないと言い切れるか、との疑問はぬぐえません。
 3被告との面会や書簡のやりとりから内心の変化もうかがえます。死刑執行時まで罪に向き合う日々が残されています。
 本紙は、実名報道の目的、意義を踏まえても、現時点では、少年法が求める配慮の必要性はなお消えていないと判断し、これまで通り3被告を匿名で報道します。(東京本社社会部長・大場司)

〈来栖の独白〉②
 「解説」も、行き届いた正論である。書き写させて戴く。↓

「解説」 刑罰と少年法理念
 元少年3人を死刑とした10日の最高裁判決が、被告が少年である点に言及したのはわずか1箇所、「くむべき事情」の一つとして「いずれも少年だった」と触れただけだった。成人被告に対する判決と、ほとんど変わるところのない判決は、年齢は特段重視すべき事情ではないとの考え方をあらためて示したとも言える。
 死刑判決された少年事件で、最高裁の判断の分岐点となったのは、1、2審の無期懲役判決を疑問視し、審理を差し戻した山口県光市母子殺害事件の上告審(2006年)だ。
 この判決は被告が18歳になったばかりだったことについて「罪の重大性などと比べ総合判断する上での1事情にとどまる」と指摘。今回もこの枠組みを踏まえ、犯行自体の悪質さを重視し、極刑以外の選択肢はないと判断した。
 今回の判決は、09年に裁判員裁判が始まって以来、重大な少年事件で最高裁が初めて判断を示す場でもあった。にもかかわらず、更生の可能性をどう検討したのか、まったく触れなかった点には疑問が残る。
 凶悪事件を起こした少年にも更生を重んじる少年法の理念は生かされなければならない。死刑という究極の刑罰を選択したのだからこそ、犯罪の重大さとこの理念をどう判断したのか明示してほしかった。(東京本社社会部・小嶋友美)

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中日新聞2011年3月11日 朝刊
 元少年3人の死刑確定へ 連続リンチ殺人、最高裁が上告棄却
 愛知、岐阜、大阪の3府県で1994年、11日間に男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件で、強盗殺人罪などに問われ、二審で死刑とされた犯行時18~19歳の元少年3被告=いずれも(35)=の上告審判決で、最高裁第1小法廷は10日、「短期間に4人の青年の命を次々と奪った結果は重大。少年だったことなどを考慮しても死刑はやむを得ない」として被告側の上告を棄却した。3被告の死刑が確定する。
 少年事件の死刑確定は、千葉県市川市で一家4人を殺害して強盗殺人などの罪に問われた元少年=犯行時(19)=以来、10年ぶり。最高裁に記録が残る66年以降、10件目だが、一度に複数の死刑確定は初めて。
 3被告は、リーダー格で愛知県一宮市生まれの被告=同(19)=と大阪府松原市生まれの被告=同(19)、大阪市西成区生まれの被告=同(18)。桜井龍子(りゅうこ)裁判長は「無抵抗の被害者に執拗(しつよう)な集団暴行を加え、処置に困って殺害した理不尽な動機に酌量の余地はない」と指摘した。判決は裁判官5人の一致した判断。
 役割については、リーダー格の被告と松原市生まれの被告が主導的な立場で、もう一人も「犯行に積極的、主体的に関わっており、従属的だったとは言えない」と認定。「犯行が場当たり的だったことや、犯行時少年だったことなどを最大限考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。
 2001年の一審名古屋地裁は、リーダー格以外は「追従的立場だった」と無期懲役の判決。05年の二審名古屋高裁は「被告間の役割に差異はない」として一審を破棄し、3人全員を死刑とした。
 上告審判決について被告の弁護人らは「結果重視で、少年事件の特質にほとんど触れていない」と批判し、訂正申し立てをする考えを示した。
<判決の認定事実>
 ▽大阪事件 1994年9月28日、大阪市内で通りがかりの無職林正英さん=当時(26)=をビルに連れ込んで暴行し、絞殺。翌日、遺体を高知県の山中に遺棄した。
 ▽木曽川事件 同10月6日夜、愛知県稲沢市で、主犯格の被告の知人だった建設作業員岡田五輪和(さわと)さん=同(22)=に暴行。瀕死(ひんし)の状態で7日未明、同県尾西市(現一宮市)の木曽川河川敷に放置し、殺害した。
▽長良川事件 同7日夜、稲沢市内のボウリング場に居合わせた会社員渡辺勝利さん=同(20)=とアルバイト江崎正史さん=同(19)=を車内に連れ込んで監禁し、現金を強奪。岐阜県輪之内町の長良川河川敷で、金属製パイプで殴るなどして殺害した
 罪と向き合い 償いの
日々 3被告、文通や面会で胸中
 償いきれない罪と更生の道。3人の被告は記者との文通や面会で罪と向き合う胸の内を明かしていた。
 「お仕事の中で私たちのことを話してください。それが反面教師としての償いの道ですから」。主犯格の愛知県一宮市生まれの被告(35)は2月に寄せた手紙で思いをつづった。
 幼少時に母が病死、養母に虐待された。小学校の担任に教室で起きた盗難で犯人扱いされ、大人への不信を深めた。非行や罪を重ね、4人の命を奪って拘置所へ。絶望していた被告はキリスト教に救いを求めた。「聖書を教えてほしい」とミニコミ誌に投稿した縁で1998年秋、後に「おかん」と呼ぶようになる女性と出会う。凍った心が溶け出し、多くの受刑者らと文通を始めた。元暴力団の無期懲役囚には聖書を送って更生を決意させた。非行を重ねる中学生に「俺のようになるな」と立ち直りを促した。遺族への謝罪に悩み続け、体調も崩した。それでも、一昨年に初めて被害者の兄との面会がかない、「死刑ではなく生きて償え」と言われて泣いた。
 「自分がやったことですから、判決については覚悟しています」。2月に記者と面会した大阪府松原市生まれの被告(35)は、こう語った。死刑の確定を望む遺族からは見舞金の受け取りを拒まれているが、一部の遺族とは面会を続けた。今年に入り、稲沢市内の寺に便箋に記した般若心経の写経5千枚を納めた。拘置所で9年かけて書き上げたという。
 大阪市生まれの被告(35)は2審で3人に死刑が下され、罪に大差がないと判断されたことを不服に思っていた。3月に記者と面会した際、「『争う』のではなく、真実を求めたい。1審の『従犯』が2審では『大差ない』。どれだけ慎重に判断したといえるのか」と話した。(佐藤直子、福田要)
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中日新聞≪核心≫揺らぐ更生の理念
 犯行時18~19歳の元少年3人を死刑とした10日の最高裁判決の底流には、少年犯罪に厳しく、被害者の立場を重んじるようになったこの10年余の世論の変化と法改正がある。少年の更生を理念に置く少年法の存在感は薄らぐばかりで、懸念も広がる。(東京本社社会部・小嶋友美)
少年法影薄く進む厳罰化
■悪質
 「何といっても『罪質』なんだ」
 少年であっても凶悪事件には厳罰で臨む姿勢をあらためて示した最高裁判決に、ベテラン刑事裁判官たちは口をそろせた。
 罪質は犯罪の性質、つまり、何を目的に、どういう被害者に、どのような行為に及んだのか。死刑選択の指標を挙げた「永山基準」の9項目の1つだ。
 今回の事件で元少年らは、通りかかった男性を裸で監禁して集団で暴行し、処置に困って殺害したり、口論になった遊び仲間をビール瓶や金属パイプで7時間にわたって殴り続けた。犯行の悪質さを認めつつも、1審では裁判官3人中2人が死刑を避けたのは、役割の軽重や更生の可能性をくんだためだった。そもそも、少年への死刑に抑制的だったようにもみえる。
 しかし、第2審の高裁と今回の最高裁は、年齢や構成可能性は判断の1要素でしかないと位置付けた。
■世論
 背景には、相次ぐ少年の凶悪事件や犯罪被害者への関心の高まりを受けた厳罰化の流れがある。2001年には改正少年法で刑事罰の対象年齢が引き下げられ、05年の刑法改正で重罰化が進んだ。死刑制度に対する世論も、容認派が04年には8割を超えた。
 05年、最高裁が市民と裁判官に行った調査では、殺人事件の被告が少年であった場合、成年より刑を「重くする」と答えた市民が25%を越えた。一方、裁判官で「重くする」はゼロで、逆に9割が「軽くする」。“市民感覚”との隔たりを、裁判所は意識せざるを得なかった。
 09年に始まった裁判員裁判では、仙台地裁が昨年11月、18歳の少年が2人を刺殺し、1人に重傷を負わせた事件で死刑判決を言い渡している。
 これまでの量刑感覚では無期懲役が相当との見方もある中、裁判員の1人は判決後に「人の命を奪う重い罪には、大人と同様の判断をすべきだ」と断じた。
「集団」の特性 判断示さず
■未熟
 「少年であっても死刑は免れないという世の中の考え方は、もはや揺るぎないようにみえる。国民の声を無視し、裁判に『少年法の理念』を持ち出すわけにはいかない」とある刑事裁判官は漏らす。
 これに対し、元東京高裁判事の原田国男・慶応大法科大学院客員教授は「少年法がある以上、少年であることは有利な事情として考えなければいけない。少年法の理念を、裁判員にもよく理解してもらわなければ」と強調する。石塚伸一・龍谷大法科大学院教授は「残虐性は未熟さによるもの。行為の残虐さを重視すれば、未熟さによって刑が重くなることになってしまう」と懸念。「最高裁は、少年の集団事件という特性について何ら判断を示していない」と批判した。
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◇ 「木曽川・長良川リンチ殺人事件」実名報道=更生を全否定 越えてはならない一線を越えた 2011.3.10 
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◇ 凶悪犯罪とは何か1~4 【1】3元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決『2006 年報・死刑廃止』 


石巻3人殺傷事件 検察側、少年(事件当時18歳)に死刑求刑 (⇒2010年11月25日、判決言渡し) 仙台地裁  
〈来栖の独白〉
 宮城県石巻市の3人殺傷事件(被害死者2名)で殺人罪などに問われ、少年事件の裁判員裁判で初めて死刑を求刑された少年(19)に対する判決が11月25日、仙台地裁で言い渡される。
 事件の概要について、毎日新聞報道記事(2010/11/24)から抜粋。

 少年は2月、復縁を迫っていた元交際相手の女性(18)宅に押し入り、女性の姉(当時20歳)や友人(同18歳)を刺殺、居合わせた男性(21)も刺して重傷を負わせ、女性を車で連れ去った--などとされる。
 公判で検察側は、復縁を阻む姉らを全員殺そうと考え、ためらわず刺したとして「身勝手な動機が際立つ」などと非難。今回と同じく「被告が事件時18歳で死者2人」だった光市母子殺害事件(99年)に言及し「殺人未遂の1人が加わる本件は同じか、それ以上に悪質。少年という事情も全く意味を持たない。更生の可能性は皆無」と主張した。被害者参加人や女性も「極刑を望みます」と述べた。
 一方、弁護側は「全員を殺すつもりなどなく刺した時はパニック状態」と反論。「不遇な生い立ちで愛情を十分受けられなかった」と成育歴に触れ、少年院送致など保護処分が相当で「深く反省しており更生の可能性がある」と極刑回避を求めた。
 少年も最終意見陳述で「厳しく処罰してください」と述べた。

〈来栖の独白〉
 裁判員裁判の死刑求刑は4例目で、少年被告に対する死刑求刑は初。評議は22、24日、判決当日の25日の3日間行われる。
 本稿では、①裁判員裁判の拙速性、②被害者参加制度、③更生について、事例を参考に考えてみたい。
①裁判員裁判の拙速性について
 1998年、少年グループ(1名は成人)が男女2名を殺害するという「名古屋アベック殺人事件」があった。1審名古屋地裁は死刑、2審(1996年12月16日)は無期懲役判決であった。
 名古屋高裁刑事2部 松本光雄裁判長は、量刑理由を次のように言っている。〈A=主犯とされた被告少年〉

 Aが本件各犯行において首謀者的地位にあったことは明らかで、本件各犯行の動機、態様、結果等、とくに、被害者両名に対する殺人等の犯行は、遊び感覚で安易に犯した強盗致傷等の発覚を恐れる余り、なんら落ち度のない被害者両名を拉致し、長時間連れ回したあげく、次々と殺害した上、遺体を三重県の山中に埋めたもので、犯行の動機に酌むべきものはまったく見当たらず、抵抗の気配すら見せない被害者らを絞殺した犯行の態様も残虐であり、当時十九~二〇歳と将来のある二人の人命を奪った結果の重大性はいうまでもなく、遺族の被害者感情には今なおきわめて厳しいものがあるなどの事情に照らすと、Aに対しては極刑をもって臨むべきであるとの見解には相当の根拠がある。
 しかしながら、犯行時一九歳であったAについては、その生活歴や前歴等を検討すると、原判決のように「犯罪性が根深い」と断定することには疑問があり、矯正の可能性がのこされていること、本件が、精神的に未成熟な当時一七歳から二〇歳の青少年による、無軌道で、場当たり的な一連の集団犯罪で、Aにしても当初から被害者の殺害を確定的に決意し、共犯者らとの深い謀議に基づき、綿密な計画の下に実行したものではないこと、人の生命に対する畏敬の念を持たず、平然と殺害を重ねたものと評価するには若干の疑義があること、さらに、六年余りに及ぶ控訴審の公判でも、人の生命の尊さ、犯行の重大性、一審の死刑判決の重みを再認識して、反省の度を深めていることなどの事情が認められる。
 以上のような諸事情を総合すると死刑が究極の刑罰であり、各裁判所が、重大事件について、死刑の適用をきわめて情状が悪い場合に限定し、その是非を厳正かつ慎重に検討している現況にかんがみれば、Aに対しては、矯正による罪の償いを長期にわたり続けさせる余地があり、原判決を破棄して無期懲役に処するのが相当である。

〈来栖の独白〉
 1988年の事件であるから、当然裁判員裁判ではなかった。そのため、松本裁判長も言うように控訴審だけでも“六年余りに及”んで、生活歴や前歴、犯罪性等、精密に審理がなされている。公判を通して考える中で、最初は投げやりだった被告少年に、裁判長の認めるような変化が見られるようになった。
 ここに私は、裁判員に配慮して極めて短期間で審理し量刑まで宣告して終わろうとする裁判員制度に危機感を抱かないではいられない。
 刑事司法は、国民参加や裁判員の貴重な経験のためにあるのではないだろう。犯罪を抑止することと同時に、罪を犯した人の改善更生を実現するためにある。
 犯罪の因ってくる所(被告人の生活歴や前歴、動機等)を精査してゆくことは、犯罪抑止の第一歩になると私は考える。犯罪の因ってくるところを探索追及せず、犯罪者を排除するだけでは、犯罪の元を絶つ(社会を変えてゆく)ことは不可能ではないだろうか。
②被害者参加制度について
 公判における被害者陳述は、裁判員に圧倒的な影響力をもつ。被害者の鮮烈な悲しみ、苦悩といった切実な訴えの前に、被告人について客観的に審理できる人間(裁判員)が、果たしてどれほどいるだろう。
 名古屋アベック殺人事件や光市事件で弁護人を務めた安田好弘氏は、次のように言う。

 一つ理解していただきたいんですが、裁判員裁判が始まると言われていますが、実はそうではないのです。新しく始まるのは、裁判員・被害者参加裁判なのです。今までの裁判は、検察官、被告人・弁護人、裁判所という3当事者の構造でやってきましたし、建前上は、検察官と被告人・弁護人は対等、裁判所は中立とされてきました。しかし新しくスタートするのは、裁判所に裁判員が加わるだけでなく、検察官のところに独立した当事者として被害者が加わります。裁判員は裁判所の内部の問題ですので力関係に変化をもたらさないのですが、被害者の参加は検察官がダブルになるわけですから検察官の力がより強くなったと言っていいと思います。(中略)
 裁判員裁判を考える時に、裁く側ではなくて裁かれる側から裁判員裁判をもう一遍捉えてみる必要があると思うんです。被告人にとって裁判員というのは同僚ですね。同僚の前に引きずり出されるわけです。同僚の目で弾劾されるわけです。さらにそこには被害者遺族ないし被害者がいるわけです。そして、被害者遺族、被害者から鋭い目で見られるだけでなく、激しい質問を受けるわけです。そして、被害者遺族から要求つまり刑を突きつけられるわけです。被告人にとっては裁判は大変厳しい場、拷問の場にならざるを得ないわけです。法廷では、おそらく被告人は弁解することもできなくなるだろうと思います。弁解をしようものなら、被害者から厳しい反対尋問を受けるわけです。そして、さらにもっと厳しいことが起こると思います。被害者遺族は、情状証人に対しても尋問できますから、情状証人はおそらく法廷に出てきてくれないだろうと思うんです。ですから、結局被告人は自分一人だけでなおかつ沈黙したままで裁判を迎える。1日や3日で裁判が終わるわけですから、被告人にとって裁判を理解する前に裁判は終わってしまうんだろうと思います。まさに裁判は被告人にとって悪夢であるわけです。おそらく1審でほとんどの被告人は、上訴するつまり控訴することをしなくなるだろうと思います。裁判そのものに絶望し、裁判という苦痛から何としても免れるということになるのではないかと思うわけです。
 

〈来栖の独白〉
③更生について
 2006年、監獄法の改正で、11月、岡山刑務所から白濱重人弁護士に手紙が届いた。白濱さんは2審の途中まで元少年の弁護を担当していた。差出人は「名古屋アベック殺人事件」の主犯格の無期懲役者(元少年)。次のように書いている。
 “おそらく、突然、この私からのお便りが届いてさぞかしおどろかれていることでしょう。沢山の方々のおかげで与えて頂いたこの命の重さをしっかりとかみしめて、一日一日を大切に毎日その日一日を精一杯前向きに生きています。決して私を見捨てることなく、最後まで私と真剣に向き合って下さった白濱先生の存在は、当時の私には本当にとても大きかったです。私が生きていることのありがたさや素晴らしさを感じ、生きることの大切さを知れば知る程、被害者の方に対する申し訳なさは強まる一方で(中略)決して色あせることはありません。
 89年6月、元少年への判決は死刑だった。このころ、元少年は「別に死刑になってもいい」と自暴自棄になっていた。「君なら頑張って生きて償っていくことができる」と励ますと、「自信がない」と答えた。白濱さんは言葉を強めた。「自信はこれからついてくる」。
 この少年に被害者のことを考えさせるようにし、人間らしい真っ当な道を歩むようにさせたのは、白浜さんたち弁護団ばかりではなかった。母親も、そうだった。「名古屋アベック殺人事件◇心に刺さった、母の言葉」より↓
 “元少年の母(62)は、接見禁止が解け、初めて名古屋少年鑑別所で対面した時の様子を「未成年だから、すぐ帰れるという態度で、アッケラカンとしていた」と振り返る。
 そして、89年6月の名古屋地裁判決は死刑。「反省しているとは思えぬ態度が散見された」と、裁判長は厳しく批判した。
 「もうダメだと思う。交通事故にでも遭ったと思って、おれのことはあきらめてくれ」。判決後、面会に来た母に、元少年は、投げやりな言葉をぶつけた。
 「ばかなこと言うんじゃない。もしお前が死刑になるというなら、悪いけど、こっちが先に死なせてもらう」。肉体的にも精神的にもボロボロ。それでも苦しさに耐えるのは、お前が生きているから--。母の言葉が、突き刺さった。
 <この時に私は初めて、本当の意味で被害者の方やご遺族の方のお気持ちというものを(略)自分なりにいろいろと考えることが出来たのです> 元少年が友人にあてた手紙である。

 現在、受刑者は毎年遺族に謝罪の手紙と謝罪金(刑務所の許可する最高限度額)を送り続け、遺族が更生委員会に受刑者の釈放を申請するまでになっている。
 私も、元少年受刑者に幾度も面会し、顔を見、言葉を聞いてきた。そこから得たものは、嘘のない、真実の心だった。犯した罪に向き合う、純一無雑な姿だった。
 石巻の事件において「更生は期待できない」と検察官は論告するが、更生可能性の鍵は、実は罪を犯した彼の側ではなく、社会(周囲の人間)が握っているのではないだろうか。
 刑事司法は、ひとたびは罪を犯した人に対しても希望を失わず、その立ち直りを期待するはずのものであった。しかし、今、大変性急に「更生は期待できない」と断じてしまう。
 更生の可能性というが、誰一人自分を信じてくれる人がいない地平では、人は更生などできぬのではないか。人間らしい信頼のなかに置かれずして、果たして人間らしく生きてゆけるだろうか。
 松原泰道師は、この世を障子に譬えて云われる。
 “障子の枠は、見たところ一つひとつの枠ですが、この枠をひとつくださいといって切り取ってしまったらどうなるでしょう。ばらばらになってしまいますね。ひとつの枠があるためには、前後左右の網の目のようにつながった枠があり、その中にひとつの目や枠ができている。ひとつの目や枠があるためには、まわりに無数の目や枠がなければなりません。互いに関連しあって世の中というものができている”と。
 過ちを犯した者を許したり、この社会に自由に置いたりすることの不安は、確かに強い。
 しかし、人を根こそぎ否定し排除することで希望的な社会が現れるだろうか。死刑に支えられる社会・・・何やら不確かで、安全も幸福も想像しにくい。
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