『能力で人を分けなくなる日』最首悟 著

2024-04-20 | 本/演劇…など

「あなた」あっての「私」
 最首悟(さいしゅ・さとる)さん(生物学者・思想家) 
 新著『能力で人を分けなくなる日』刊行

 中日新聞 夕刊 2024年4月20日 
 生きることとは何か、そこに価値はあるのか。生物学者、思想家で和光大名誉教授の最首悟さん(87)が、10代と語り合った新著『能力で人を分けなくなる日-いのちと価値のあいだ』(創元社)が今月初めに刊行された。水俣でのフィールドワーク、重度障害者の娘との暮らしの中ではぐくんだ思想を、若者に易しく説いて聞かせている。「世代を感じることなく語り合えたと思います」と孫ほど年の違う相手との対話を楽しんだ様子だ。

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 最首さんと車座になって向かい合ったのは中高生3人。学校生活や社会問題について、さらに生と死について語り合った。「自分探し」に話が及ぶと<まだ見つからない><自分がどうしても分からない、っていう状態に気付いて、探し始めてしまう>との率直な告白も。3人の意見を受け止めた最首さんは<私たちのいちばんの根本は「人に頼る」ということ>と諭したりする。
 「頼り頼られるのはひとつのことです。一方が自立したり、一方に依存していたり、ということはありません」。最首さんの声は確信に満ちている。人の単位は1人ではなく、最低2人。「私」という存在がまずあるのではなく、「あなた」との関係がまずあって、「私」ができていく。最首さんが提唱する「二者性」の概念だ。
 「『人間』は『人のあいだ』です。つまり関係を指している。人がいて関係し合い、繫(つな)がり合っていることを含めて『人間』というのではないか」
 こうしたことは三女の星子(せいこ)さん(47)との暮らしの中で気付いたことなのだという。星子さんはダウン症で生まれ、言葉はなく、目も見えない。食事や身の回りのことは、最首さんと妻五十鈴(いすず)さんの介助に頼っている。<どんな人でも、どんな動物でも、私にないものを持っている。(中略)そういう存在に頼る。それをきずなとして生きる>(同書)。「星子は何もできないですけれど、いるだけで影響力をもっている存在。私たちが星子に頼ってるんですね」

 1936(昭和11)年、福島県で生まれ、3歳の時家族で東京へ。子供のころはひどい小児ぜんそくで、戦時中だった小学生のころが一番きつく、卒業するのに9年かかった。生きることに「もういいよ」とあきらめたくなる一方で、生きたいとも思った。「私の勝手にならない私の命。自分の理解を超えたものを受け止めるという経験が、それから後の人生の下地になっている」
 東京大に進み生物学を専攻。同大助手時代の77年から、水俣病の被害者や地域住民から話を聞く研究者集団「不知火海総合学術調査団」に参加した。小説家・詩人の石牟礼道子から懇願されたのだ。森羅万象がともに生きる豊かな世界を描いた石牟礼の影響を受け、水俣のアニミズムに分け入った最首さん。「東洋的な『縁』の複雑なネットワークの中に、私が入っていくイメージ。のちに『人間』への関心につながっていきます」

 2018年4月、「津久井やまゆり園事件」の植松聖被告・現死刑囚から手紙が届いた。知的障害者施設の入所者ら45人が殺傷された事件を受け、メディアで積極的に発言する最首さんを知ったのだろう。手紙には「国債(借金)を使い続け、生産能力のない者を支援することはできません」とあった。
 最首さんは「能力がない個人は人間に値しない」という植松死刑囚の歪(ゆが)んだ優生思想の根っこに、社会にはびこる能力主義の断片を見る。「重視されるのは、自立した個人の能力。その人をめぐる関係性は捨て去られてしまっている」。最首さんは今も植松死刑囚に手紙を送り続けている。
 星子さんに言葉はないが、よく声を発するという。寝ている時に「うふふ」と声に出して笑う。「とても心地良さそうにして。妻と『何を見てるんだろうね』と顔を見合わせます。私たちにはわからないけれど、多分、幸せに近いものを見ているのでしょう」
 最首さんは星子さんの入浴担当だったが、最近は体力が厳しくなり、入浴サービスを頼んでいる。取材を終え、星子さんの部屋におじゃますると、ちょうど入浴の後で、ぐっすりと寝ているところだった。(栗原淳)

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です



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