日本の文化は廃れてしまうのではないか、といった不安が…〈来栖の独白 2019.3.4〉

2019-03-04 | 日録

〈来栖の独白 2019.3.4 Mon〉
 NHKTVの時代劇などを観て数年前(いや、もっと前?)から感じるのは、衣装に対する違和感である。幾何学的あるいは図形のような模様が多い。
 昔の日本の着物の模様は、「季節」や「自然」(花や鳥といった生き物など)から素材を採ったものが殆どであった。しかし、近年、NHKTVなどの時代劇で着用している衣装からは、「自然」を楽しめるものをあまり見かけない。
 私は能楽が好きで、能楽堂へよく足を運ぶ。能には多くの楽しみがある。ドラマ(詞章)、謡曲(音楽)も楽しみだが、シテやワキの着る装束を見るのも大きな楽しみである。
 先日は「紅葉狩り」。この世のものと思われぬ美女たちが登場する。美女たちの装束は、輝くばかりの金糸銀糸で縫い取りされた菊、紅葉の文様である。目を楽しませてもらった。
 ところが実は、その美女の正体は鬼であり、後半は鬼の面(おもて)で現れる。無論のこと、装束も「鬼」。鱗(うろこ)文様である。鱗文様は、正三角形または二等辺三角形の連続模様。蛇の鱗とも、魚の鱗ともいわれ、邪悪な者や恐ろしい物を表す。

    △▲△ 鱗文様 

 私は母が作って(縫って)くれたきものを着ている。流石に亜熱帯のような夏には着る気持ちになれないが、冬には冬らしいもの、秋には秋らしい模様、色合いのものを着る。
 そんな私に、日本の文化は廃れてしまうのではないか、といった不安がある。衣食住、すべてに於いて。
 中日新聞に以下のような記事があった。悲しい気持ちで同感。
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紙つぶて 柄の意(こころ) 宮島健吉
 中日新聞 2019.3.2 夕刊
 「きもの」は「色」を大切にしつつ、「柄」にも創意工夫を重ねています。その際、装飾や意匠の前にまず考えなければならないのは、柄の「意(こころ)」です。
 例えば夏。季節を先取りして秋の草やもみじ柄を着るのは、「今は暑いけれど、もう少ししたら涼しくなりますよ」と、相手に伝える意図があります。例えば結婚式。吉祥文様などにより、新郎新婦に祝意を伝えるのです。
 つまり「きもの」は、柄を通して自分の意を相手に伝えているのです。このため柄は、場所や相手の状況などに合わせなければなりません。個性はそのうえで発揮すべきものなのです。
 「柄」は文様。模様とも区別して用いています。「吉祥文様」「慶長文様」など意味や意図、意義や意見など「意」をもち、四季を感じ取り、「松竹梅」「四君子」(蘭竹梅菊、東洋画の画題とされる)などの出会いがあるものこそ「文様」と思います。
 単なる「かざりの図案」は、描かれたのものが何かがわからなくても、季節が感じられなくても、美しければ立派に通用します。しかしその意は伝わりません。とはいえ最近は、こうした「きもの」も増えております。「きもの」を見る側が、柄の意を感じられなくなってきているからかもしれません。
 (小林豊子きもの学院理事長)
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紅葉狩 五番目物(切能)

    
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