オウム真理教死刑囚13人の死刑執行に非難の声 世界の3分の2強が廃止する死刑制度を考える
森達也2018.11.4 07:00 AERA#ジュニアエラ#朝日新聞出版の本#読書
地下鉄サリン事件などを引き起こしたオウム真理教の死刑囚13人の死刑が7月に執行され、大きなニュースとなった。小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で、「死刑」に関する本や映画を数多く手がけている森達也さんが死刑制度について解説してくれた。
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「人を殺してはいけないという理由で、なぜ人を殺すのですか」
数年前にオーストラリアから来日したばかりの女性から、そう質問されたことがある。オーストラリアはおよそ30年前に死刑制度を廃止した。もちろん彼女はそのあとに生まれている。だから、死刑という刑罰は近代以前にあった制度だと思っていたという。ところがたまたま来日した日本で、死刑制度が残されていることを知って彼女は驚いた。なぜいまだにそんな制度がこの国に残されているのですか、と。
そう聞かれても答えられない。だって僕もずっとそれを考えている。だからあなたにも考えてほしい。死刑とはどんな制度なのか。どんな意味があるのか。
死刑をやめた国はオーストラリアだけではない。世界の3分の2強。残している国の多くはアジアとアラブ諸国。先進国はほぼ死刑を廃止している。でも日本は死刑を止めることができない。その理由は何か。
罪を犯した人は罰を受ける。それは当然だ。でも死刑以外の罰の多くは、裁判で決められた期間、刑務所に拘束される。自分の犯した罪について考える。そして更生して社会に戻る。でも死刑は社会に戻ることを認めない。人の命を奪う。その理由は何か。
■死刑に賛成する人の理由は?
死刑を残すべきと主張する人の多くは、まず、死刑には犯罪を抑止する効果があると説明する。つまり死刑があるから凶悪な事件が増えないとの論理だ。でもそれが事実なら、死刑を廃止した多くの国は治安が悪化するはずだ。ところがそんな統計はほとんどない。むしろ死刑廃止後に犯罪が減少したとの報告もある。社会学的には死刑の犯罪抑止効果は認められないとするのが定説だ。
次に死刑を主張する人は、人を殺したのだから自分が殺されることは当たり前だ、と言う。だが、すべての人が平等な権利を持つことを前提とする近代司法は、身体に苦痛を与える拷問や刑罰を禁じている。死刑もそれらと同じように考えるべきではないだろうか。またもし誤った裁判の結果として死刑が行われれば、取り返しのつかないことになる。
そして最後に、死刑は残された遺族のためにあるのだと彼らは言う。この声がいちばん多いかもしれない。でも、それならば、遺族がいない(つまり天涯孤独な)人が殺された場合、悲しむ遺族はいないのだから罰が軽くなってよいのだろうか。そうであれば命の価値が、家族や友人が多いか少ないかで変わることになる。やはりそれは近代司法の原則に反している。いや近代司法を持ち出すまでもなく、それはおかしいとあなたも思うはずだ。
処刑されたオウムの死刑囚のうち6人に、僕は面会して手紙の交換を続けていた。誠実で優しくて穏やかな人たちだった。でも彼らが多くの人を殺害する行為に加担したことも確かだ。だから悩む。面会しながら混乱する。
1カ月以内に13人の死刑が執行されたことで、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは7月、「報復で彼らの命を奪っても、真相解明にはつながらないし、日本社会が安全になるわけでもない」という声明を出した。ヨーロッパ連合(EU)の加盟国なども非難する声明を出している。
僕は死刑を廃止すべきと思っている。でも日本の多くの人は死刑に賛成している。その理由のひとつは死刑を知らないから。死刑という言葉は知っていても、誰も直視しないから。
だから最後にお願い。知ろう。見つめよう。この制度を。そして本気で考えよう。(解説/作家、映画監督・森達也)
【キーワード:オウム真理教】
死刑囚だった松本智津夫氏が「麻原彰晃」と名乗り、1980年代に始めた宗教。松本氏は空中に浮かぶ「超能力」があるなどとアピールし、若者を中心に信者を集めた。89年に東京から宗教法人と認められた一方で、この年、オウム真理教の被害対策に関わっていた坂本弁護士の一家を殺害した。
95年3月に東京都内の地下鉄に毒ガスの「サリン」をまき、13人が亡くなり、6千人以上が負傷した。一連の事件後、松本氏を始め、多くの幹部・信徒らが逮捕された。死刑となった13人を含め、190人が有罪判決を受けた。教団はその後、分裂した。
※月刊ジュニアエラ 2018年11月号より
◎上記事は[dot.]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
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* 13名のオウム大量死刑執行 安田好弘 『創』2018/9月号
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〈来栖の独白 2018.11.07 Wed〉
日本の死刑廃止論者が先ず言うことは、
>死刑をやめた国はオーストラリアだけではない。世界の3分の2強。残している国の多くはアジアとアラブ諸国。先進国はほぼ死刑を廃止している。
ということである。この論でゆくなら、現在、死刑制度復活を考えている国が、死刑を復活し、死刑制度を有する国が多くなったときには、森達夫さんたち死刑廃止論者は我が国の死刑制度を容認するのだろうか。死刑制度の是非は保有国の多寡で論じるものではないだろう、と私は考えている。
“多寡”について、死刑廃止論者は次のようにも云う。
>日本の多くの人は死刑に賛成している。
この場合の“多寡”は、死刑制度存置の大きな理由となるのではないか。
いま一つ、彼らの浅慮・不明と思われる視点の一例は
>1カ月以内に13人の死刑が執行された
である。<1カ月以内に13人の死刑が執行>と云うが、これには、国の用意周到な準備があった。私にはこれこそが、近頃よく言われるようになった「平成の終わりの出来事」として、予想されたことであった。
一昨年、天皇陛下が退位希望のメッセージを述べられた時、「新天皇即位の相当前に、死刑執行があるだろう」と考えた。
この国(日本)は「禊ぎ」好きな国民性である。きれい好き。毎年夏には「安らかにお眠りください。過ちは犯しませぬから」と謝って(禊ぎをして)きれいにして、問題の核心には触れようとせず、次のために整える。
新天皇践祚、東京オリンピック開催も予定されているなら、2019年と2020年の死刑執行はないだろう。2018年、可能な限り早い時期に死刑執行して済ませ、きれいに(禊ぎ)して、新しい時代を迎えようとするだろう。
私にその予想を確信させたのは、オウム菊地直子・高橋克也両氏の異例に早い判決(確定)であった。同一事件の共犯者が未決では、死刑は執行できない。高橋克也被告の最高裁判決の折、私は「国が裁判所に急がせているな」と感じた・・・。
続いて3月、国はオウム死刑囚を、東京拘置所から刑場を有する他の拘置所へ分散収容させた。13名もの死刑執行を同一拘置所では不可能だ。
死刑廃止論者は<1カ月以内に13人の死刑が執行>と云うが、オウム死刑囚には、天皇さんの退位メッセージの時点で命を刻む針が動き出した、と私は思っている。「昭和」の時のように、先帝崩御、新帝践祚によって時代が変わるなら、今回のような用意周到な死刑執行はなかっただろう。
◇ オウム菊地直子被告の無罪確定へ 都庁爆弾事件 上告棄却(池上政幸裁判長)2017/12/25付
◇ オウム真理教元信者 高橋克也被告 異議申し立て棄却 無期懲役判決 確定 2018/1/25付け
* オウム死刑囚13人 死刑執行に向け、分散収容検討していた 法務省(「日刊スポーツ」2012/10/6)
◇ オウム死刑囚移送(2018/3/14~15) 法務省 秘密保持図る
私が死刑囚を友人(後には、養子縁組みにより姉弟)にもちながら、彼(勝田清孝)生存中から一度として死刑廃止論者と手を携えなかったのは、上記のような「独り善がり」な主観・浅薄が容認できなかった故であった。
* 尾形英紀氏の「将来のない死刑囚には反省など無意味」に疑義〈来栖の独白2012/2/8〉
* オウム死刑囚 刑執行 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」 命よりも大切なものがある 〈来栖の独白〉
* 「遺言書」藤原清孝 ■ プロフィール
この国は、上に述べてきたように、禊ぎ・潔さといったことを美学と感じる国柄ではないかと思う。古来、人気を得ている演劇にも、往々にして「切腹」の場面がある。このような国で、人を4人以上殺した(強盗殺人)犯人を、更生を願ってにせよ、生かしておくことが容認できるだろうか。
いまここで私は、死刑制度の是非を述べようとは思っていない。死刑制度は容易にその是非が結論づけられることでもない。
ただ死刑について考えるとき、苦しくなる問題がある。
死刑執行に直接携わる刑務官のことである。彼らは、命令により、直接死刑執行に手を下さねばならない。職務として。白昼、人を殺さねばならない。この苦役をどうすればよいのか、私には答えが出ない。
家族の命を奪われ、加害者死刑囚の死刑を願う被害者遺族でも、実際のこととして死刑執行に手を下さねばならないとしたら、どうであろうか。・・・私には、この解答は得られていない。
* 米ワシントン州が死刑廃止 「人種的に偏りある」 2018/10/11
* フランスで死刑復活望む声 スリランカ死刑執行再開か…76年以来、麻薬犯罪対策
* 【死刑執行】命令書にサインする法相と現場刑務官の苦衷…私も胸が痛む〈来栖の独白2018.7.7〉
* 上川陽子法相、歴代最多の計16人死刑執行 2018/7/26 【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難
* 死刑の判断 裁判官も「悩みながら考えた」特に悩んだ少年事件 裁判員なら猶更、生涯の重荷
* 死刑執行「正義の実現だったのかもしれません。でも実感は、人が人を殺しているというものでした」立ち会った元刑務官
松葉菊
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