福岡
死刑制度の是非を巡る議論は、加害者と被害者双方の命の重さを問い続ける。政府は積極的に情報を公開し、国民が判断できる材料を提供しなければならない。
二つの死刑判決が今月、裁判員裁判で言い渡された。
甲府市で夫婦を殺害したとして殺人罪などに問われた遠藤裕喜被告は、犯行当時19歳だった。判決で甲府地裁は、少年法が最重視する更生の可能性は低いとし、年齢も「死刑を回避すべき決定的事情」とは認めなかった。
死者36人を出した京都アニメーション放火殺人事件で、京都地裁判決は殺人罪などに問われた青葉真司被告に対し、その有無が争点だった刑事責任能力を認めた。
二つの事件とも被告が起訴内容を認めていた。
両判決は死刑判断の理由について、犯行の理不尽さ、結果の重大性、被害者の恐怖や遺族らの怒り、被告の反省の欠如などを挙げた。被害者と遺族の無念は計り知れない。
今回はいずれも、死刑制度そのものは論点にならなかったが、制度の存廃を巡る議論は平行線をたどりがちだ。
日本弁護士連合会は2016年の人権擁護大会で、初めて死刑廃止を求める宣言を採択した。これを受けて昨年も、法相に廃止の要請書を提出している。
それでも16年の大会参加者で宣言に賛成したのは546人を数える一方、犯罪被害者の支援者ら96人が反対し、144人が棄権した。組織内には今も存置論が根強い。
国会の中でも廃止、存置派双方の議員が党派を超えて存在している。
廃止論は、死刑は憲法が禁じる「残虐な刑罰」に当たるとし、その犯罪抑止力にも否定的だ。廃止が世界の潮流であることも論拠に挙げる。
存置論は主に、死刑は私的報復を禁じる近代刑法に基づき、被害者側の応報感情に正当に応えていると訴える。
ただ共通点も見いだせるはずだ。例えば、廃止派が最重要視する「冤罪(えんざい)の可能性」について、検察が独占する全証拠の開示こそ急務とする見解は、存置派も共有できよう。
また、遺族を含む存置派の中には、被告が罪を認めて反省し謝罪すれば、被害者側の苦しみも和らぎ減軽対象となり得ると考える人もいる。
反目せず、一致できる点をてこに、両者で粘り強く議論を続けていく必要がある。
内閣府の世論調査では04年以降、死刑を「やむを得ない」と考える人は8割超で推移している。一方で国民への情報提供は明らかに少ない。
死刑は1998年の途中まで執行の事実すら公表されず、今でも死刑囚の「心情の安定」を理由に法相の執行命令までの過程は闇の中だ。
加害者と被害者の人権を二者択一で捉えるのではなく、どうすれば両立できるか。政府は死刑制度を巡る情報をつまびらかにし、国民的な議論の契機とする必要がある。
© 株式会社西日本新聞社