障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈
リテラ 2016.07.27
19人もの犠牲者を出し戦後最悪レベルの事態となった、相模原の障がい者施設での大量殺人事件。
植松聖容疑者は「障害者なんていなくなればいい」「障害者はすべてを不幸にする」「障害者には税金がかかる」などと、障がい者を排除するべきという主張を繰り返していたことがわかっている。
戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。
たとえば、昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠初期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。
教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」という見解を開陳するなどおぞましいが、それを容認してしまう空気がいまの日本社会にはある。
石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原の差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いたくなる。しかし、当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に選び続けた。
「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」
これらは基本的にナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツの政策のベースになった優生学的思想と同じものだ。
ところが、恐ろしいことに、こうした差別的発想を、あたかもひとつの正論、合理性のある考えであるかのように容認してしまう、さらに言えば勇気ある正直な意見と喝采すら浴びせてしまう“排除の空気”が、明らかにいまの日本社会にはある。
実際ネット上では、植松容疑者の主張に対しては「やったことは悪いけど、言ってることはわかる」「一理ある」「普段同じこと思ってる」「筋は通ってる」などという意見は決して少なくない。
絶望的な気持ちにさせられる事態だが、こうした弱者排除の空気に重要な視点を与えてくれる小説がある。それは、山崎ナオコーラ氏の『ネンレイズム/開かれた食器棚』(河出書房新社)所収の「開かれた食器」だ。
山崎は『人のセックスを笑うな』(同)で文藝賞を受賞し、同作や『ニキの屈辱』(同)、『手』(文藝春秋)、『美しい距離』(文藝春秋)で4回にわたって芥川賞候補に挙がったことのある実力派作家だが、同作は、障がい者の子どもをもつ親の苦悩や出生前診断に踏み込んだ作品だ。
舞台は、〈関東地方最果て〉の場所で営業する小さなカフェ。幼なじみだった園子と鮎美というふたりの女性が38歳のときに開店し、すでに15年が経つ。その店で、鮎美の娘・菫が働くことになるのだが、菫は、染色体が一本多いという〈個性を持って〉いた。小説は母親・鮎美の目線で娘・菫を取り巻くさまざまなことが語られていく。
〈生まれてから生後六ヶ月までは、とにかく菫を生き続けさせることに必死だった。菫はおっぱいを吸う力が弱いらしく、鮎美は一日中、少しずつ何度も飲ませ続けた。家の中だけで過ごした。外出は怖かった。人目につくことを恐れた。友人にさえ娘を見せるのをためらった。今から思えばそれは、かわいそうに思われるのではないか、下に見られるのではないか、というくだらない恐怖だった。〉
〈他の子たちよりも菫は多めの税金を使ってもらいながら大きくなり、自分が死んだあとは他人にお世話になるだろうことを思うと、社会に対する申し訳なさでいっぱいになった。〉
そうやって社会から閉じこもっていく母子に、風を通したのは、友人の園子だった。園子は菫を〈ちっとも下に見なかった〉。そればかりか、一緒にカフェをやらないか、と鮎美にもちかけた。そして、「菫のことに集中しなくちゃ……」と鮎美が言いかけると、園子は3歳の菫にこう話しかけた。
「ねえ、菫ちゃんだって、カフェで働いてみたいよねえ? コーヒーっていう、大人専用のおいしい琥珀色の飲み物を提供するお店だよ。菫ちゃん、コーヒーカップを、取ってきてくれる?」
何かを取ってくることなんて娘にはできない。鮎美はそう決め付けていたが、そのとき、菫は食器棚に向かって歩き出し、棚のなかのカップを指さす。菫は、理解していたのだ。園子は言う。「ゆっくり、ゆっくりやればいいのよ。成功や達成を求めるより、過程で幸せにならなくっちゃ」。
社会は、障がいがあるという一点だけで「その人生は不幸だ」と思い込む。母親はそれを背負い込み、かつての鮎美のように身体を丸めてうつむき、子どもの可能性を小さく捉えることもある。だが、生まれてくる命、育つ命が幸せか不幸かは、社会が決めることなどではけっしてない。そして、社会が開かれていれば、その人の幸福の可能性はぐんと広がる。──そんなことを、この小説は教えてくれる。
しかし、今の社会が進んでいる方向は逆だ。たとえば、出生前診断。出生前診断によって障がいがあることが判明すると、中絶を選択する人が圧倒的だという現実。こうした結果が突きつけている問題は、この小説が言及しているように、多くの人びとが「障がいをもった子を産んでも育てる自信がない」「障がいがある人生は不幸せなのでは」「育てるにはお金がかかる」「社会に迷惑をかけてしまう」などと考えてしまう社会にわたしたちは生きている、ということだ。
この現実を目の前にして、鮎美はこう考える。
〈もし、自分も「菫に税金を使うべきではない」と考えるようになったら、それはやがて、「社会にとっては菫のような子はいない方が良い」という考えに繋がっていくのではないだろうか。菫だけではなく、他の菫のような子たちに対しても、自分がそう考えている、ということになってしまうのではないか。〉
〈「強い国になって周りを見下す」というようなことを目標にする社会が持続するとは思えない。「多様性を認めて弱い存在も生き易くする」という社会の方が長く続いていくのではないか。「国益のために軍事費に金を充てて、福祉をないがしろにした方がいい」なんて、鮎美には到底思えない。この国を「弱い子は産まなくて良い、強い子だけをどんどん産め」という社会にするわけにはいかない。〉
しかし、現実には、前述したように、今回のような事件が起きても、容疑者と同じ「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」といった意見が平気で語られている。この国はすでに「弱い子は産まなくて良い、強い子だけをどんどん産め」という価値観に支配されているのかもしれない。
(編集部)
◎上記事は[リテラ]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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信濃毎日新聞 社説 2016/7/21
新出生前診断 問われる社会のあり方
おなかの赤ちゃんにダウン症などになる染色体異常がないか、妊婦の血液で調べる新出生前診断を受診した人が3万人を超えた。
晩婚化に伴い、高齢での妊娠に不安を抱く人が多いことを示している。
ただ、3年前に始まったこの診断は臨床研究の段階だ。生命倫理や障害との向き合い方など幅広い問題が絡む検査を、このまま一般診療に広げていくことには懸念がある。実態を十分検証して公表し、国民的な議論を起こすことが欠かせない。
新出生前診断は、妊娠10週以降の早い時期に、妊婦の血液に含まれるDNA断片を解析し、ダウン症のほか心臓疾患などを伴う13、18トリソミーという染色体異常を判定する。受診できる妊婦は、出産時35歳以上などの条件がある。
血液検査で陽性の場合、確定診断にはおなかに針を刺す羊水検査が必要になる。陰性の場合は羊水検査を回避できるため、従来の診断のような流産のリスクを減らせる。国内の機関で検査できるようになり、費用も10万円台に下がった。希望者が増えた一因だろう。
実施する医療機関でつくる研究チームのまとめでは、3万人余の1・8%の547人が血液検査で陽性になり、確定診断で417人が異常ありとされた。その94%に当たる394人が人工妊娠中絶を選択した。
せっかく授かった命だ。産むにしろ産まないにしろ重い決断だったことは察するに余りある。
問題は、夫婦の判断に当たってどこまで情報を得られ、丁寧な説明を受けられたかだ。
遺伝に関わる疾患の検査などで正確な知識を伝え、悩んでいる人をサポートする「遺伝カウンセラー」という専門資格がある。医師が診療からカウンセリングまで手掛けてきた不備を補い、相談を充実させる狙いで日本遺伝カウンセリング学会などが2005年に認定制度を始めた。
その数は昨年12月時点で182人。一方で、一定の条件を満たし、新出生前診断を実施する医療機関は3年前の15施設から5倍近い71施設に増えた。十分なカウンセリングができているのか。厚生労働省は調査、公表すべきだ。
胎児の異常が分かれば、大多数が中絶するという現実をどう考えたらいいだろう。
障害があっても育てられる支援態勢が整っているか。周囲の偏見はどうか。いずれも夫婦の判断に関わっている。社会のありようも問われている。
(7月21日)
◎上記事は[信毎Web]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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中日新聞 2016年7月20日 朝刊
新出生前診断、3年間で3万人超 陽性確定の9割が中絶
妊婦の血液から胎児のダウン症などを調べる新出生前診断を受診した人は、検査開始から三年間で三万六百十五人だったとする集計を、各地の病院でつくる研究チームがまとめた。一年目に八千人弱だった受診者は二年目に一万人を超え、三年目は約一万三千人となり、利用が拡大している実態が明らかになった。染色体異常が確定した妊婦の約九割が中絶を選んだ。
受診には出産時三十五歳以上などの条件があり、高齢出産の増加を背景に受診を希望する妊婦が増えているとみられる。診断できる医療機関が二〇一三年四月の開始時に十五施設だったのが、現在は七十一に増えたことも受診者数を押し上げた。
染色体異常の疑いがある「陽性」と判定されたのは五百四十七人。さらにおなかに針を刺す羊水検査に進んで異常が確定したのは四百十七人で、うち94%に当たる三百九十四人が人工妊娠中絶を選択した。
陽性とされながら、確定診断で異常がなかった「偽陽性」も四十一人いた。
集計をまとめた昭和大の関沢明彦教授は「検査に伴うカウンセリングの改善など、成果は病院グループで共有している。臨床研究から一般診療に移行するか、今後の在り方を議論すべき段階に来ている」と話した。
新出生前診断は、十分に理解しないまま安易に広がると命の選別につながるという指摘もあり、日本医学会が適切なカウンセリング体制があると認定した施設を選び、臨床研究として実施されている。今回の研究チームには実施する七十一施設のうち、六十六施設が加わっている。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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◇ 脳性マヒ障害者・横田弘の『障害者殺しの思想』 相模原の殺傷事件に向き合うために…いま読むことに意味がある 2016/9/12
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