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WiLL 月刊ウィル2013年3月号
蒟蒻問答 第82回「アベノミクス」のどこが悪い!
堤堯(ジャーナリスト)×久保紘之(ジャーナリスト)
〈抜粋〉
p110~
まさかの小沢“効用”論
久保 ところで、安倍政権は沖縄の普天間基地移設問題と原発問題をどうクリアしようとしているんですか。これまでの自民党的やり方、つまりなし崩し的に基地移設も原発再稼働もやっていくのか。しかしその場合、安倍の言う「戦後レジームからの脱却」はできるのか。
p111~
堤 半ばブラックジョークに聞こえるかもしれないけれど、普天間基地移設については、小沢一郎に頼んだらどうだい?
久保 小沢? なんだ、堤さんも小沢の“効用”を認めているんですか。
堤 ほら、小沢は辺野古に約5200平方メートルもの土地を購入しているだろ。基地移設を見越した投資だよ。儲け話だから「小沢さん、辺野古に土地もお持ちで、土地勘もあるでしょう。ひとつお力添えをお願いします」と投げてみたら、奴さん、ゼニゲバだから、地元の説得にもしゃかりきに動くんじゃないか(笑)。
久保 「もっとどんどん買って、最後は国に寄付してください」?(笑)。そうしたら、小沢は国士として永遠に名が残るかもしれませんけどね(笑)。
誤解を恐れずに言うと、沖縄とか原発問題は「国家・国民大多数の幸福・安全確保、つまり公共の利益のためには少数者が犠牲になってもやむを得ない場合があり得る」という、政治の極限での選択の問題にかかわっているんです。
だから、それとの対峙を迫られたマキャヴェリやマックス・ウェーバーは「絶対的倫理(宗教)」と「政治的倫理」とを峻別すべきだとする結論に達したわけでしょう。
福田恒存が『1匹と99匹』という論文で、新約聖書の「ルカ伝」第15章を引きながら「善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる1匹の救いを文学(宗教)に期待する」としたのも同様の意味からです。
問題は「99匹を救うために1匹を切り捨てる」政治の倫理と、イエスが「迷わぬ99匹に勝りて此の1匹を喜ばん」と説いたような「見捨てられる1匹のために心を砕く」宗教(文学)の倫理との関係なんです。
ちなみに福田は、「政治は政治の言葉で文学を殺し、文学は文学のことばで政治を理解しようとして政治を殺してしまう」と言っていますが、その言葉をなぞれば、マッカーサー憲法下の日本の政治は1匹を救うために99匹を犠牲にする転倒現象、つまり政治の宗教(文学)化、責任倫理でなく心情倫理に傾きすぎて、日々、政治を殺しつづけてきたと言えませんか。民主党の掲げた人間中心、生活第一がいい例でしょう。
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〈来栖の独白2013/2/4 Mon. 〉
>文学は文学のことばで政治を理解しようとして政治を殺してしまう」と言っていますが、その言葉をなぞれば、マッカーサー憲法下の日本の政治は1匹を救うために99匹を犠牲にする転倒現象、つまり政治の宗教(文学)化、責任倫理ででなく心情倫理に傾きすぎて、日々、政治を殺しつづけてきたと言えませんか。
なるほど、なるほど。何十年も親しんで、私の血肉となった聖句、このようにも読むか・・・。確かに、そうだ。目からうろこである。何の違和感もない。
※マタイによる福音書 18章 11節~13節
そこで、イエス様は言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。
あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
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◆ 小沢一郎氏「暗黒人民裁判」/政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」=官僚主導の政治が続く原因 2012-01-14