終戦4日前なお戦争協力報道した朝日…戦後「左傾メディア」や日本の偏り、憲法改正にて正せ 河村直哉

2014-05-19 | 政治 メディア

【西論】終戦4日前なお戦争協力報道した朝日…戦後「左傾メディア」や日本の偏り、憲法改正にて正せ 大阪正論室長・河村直哉
 産経ニュース 2014.5.18 07:00 
 3日の憲法記念日の前後、日本の各新聞を注視していた。左傾メディアは憲法改正や集団的自衛権の行使に批判的な企画、一般記事の連続だった。ことにすさまじかったのは3日付朝日新聞朝刊。1面に始まり複数面で展開、特大の意見広告も入れた。昨年の、特定秘密保護法に反対を大合唱したときの紙面とよく似ている。健全な議論、批判は結構だが、全面的・扇情的な世論誘導は、「死中活あるを信ず」(昭和20(1945)年8月11日付朝日)などと大展開していた翼賛新聞の裏返しでしかない。
 さまざまな識者が指摘していることだが、憲法改正が必要な理由を2つ、改めて挙げておこう。
 まず、尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる中国の横暴は、現行憲法の前文がいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することが不可能であることを示している。軍隊が日本に不可欠であることはいうまでもなく、戦力の保持を認めない9条との矛盾はだれの目にも明らかである。
 次に、現行憲法は出自においてゆがんでいる。戦後、憲法問題調査委員会が作った改正案は連合国軍総司令部(GHQ)に拒否された。戦争放棄などを定めたマッカーサー三原則に基づいてGHQの二十数人が1週間ほどで作成した草稿が、いまの憲法の土台である。作家の永井荷風が日記「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」昭和22年5月3日で吐き捨てたように、「米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」なのだが、このような憲法をいまだに押し頂くことは国家の道義にもとる。
*戦後日本の左傾
 法的にも道義的にも矛盾を抱える現行憲法をありがたがる護憲勢力がなぜ大手をふるってきたかというと、戦争への反動で極端に左傾した戦後日本の知的風土が、学者やメディアによって拡大再生産されてきたからである。
 戦後の論壇を席巻したいわゆる進歩的知識人には、戦争への過剰な反動、終戦までの日本への飽くなき批判、などの姿勢が共通する。さらに彼らは概して親共産主義的・容共的である。実際にマルクス主義者もいる。
 占領下、東西冷戦が本格化するなか、独立に向けて日本が選ぶべきは自由主義国との単独講和か、共産主義国も含んだ全面講和かという議論が国内で起こった。知識人らは昭和25年、いわゆる平和問題談話会声明を出して全面講和を主張する。そこで持ち出されたのが戦後憲法だった。単独講和は特定国との軍事協定や基地の提供を伴い憲法の前文および9条に反する、として退けられる。憲法護持、反戦平和など現在に至る政治的な態度が、古い日本を批判する「進歩的」な、かつ容共的な姿勢とともに形成されるのである。
 こうした左傾日本で改憲議論はいつしかタブー視された。閣僚が憲法改正に触れただけでメディアや野党が騒ぎ立てた。例えば昭和43(1968)年、「現行憲法は他力本願」などと発言した倉石忠雄農林大臣(当時)は、すぐ辞任に追い込まれる。不用意な発言だが左派からの批判もすさまじかった。そのころの朝日の紙面には「右傾」「憲法軽視」などの文言が躍る。現代の中国や韓国などが日本を非難して使う定番用語「右傾化」は、早い段階で日本の新聞が使っているのである。
 憲法を日本人自身が改正することは、戦後の日本の偏りを正すことだといってよい。だが現在の左傾メディアの論調に見られるように、まだ偏りは根強く残っている。
*聖徳太子の十七条憲法に劣る…国の形としての憲法
 保守の論客らが早くから論じていることだが、憲法を示すコンスティテューションという語は、組織や構造などの意味も持つ。憲法は国の体、あるいは国の形であるとも理解されるべきなのだ。アメリカ人が原型を作った憲法が日本という国の体、形を表すとはいえず、かつ、戦後の日本人自身がこの占領憲法を懸命に護持するさまは、常識に照らせば倒錯的ですらある。
 国の形としての憲法の原型を日本は、西から成ったこの国の成り立ちの早い段階において持っている。驚くべきことだ。戦争の時期をまたいで活動した倫理学者の和辻哲郎は、聖徳太子の十七条憲法は私ではなく公に関心を向け、国家の倫理的意義を説いていると解釈した(「日本倫理思想史」)。ことさらに話をややこしくするのはやめよう。家族や地域の一員であることによって、たとえば親は親らしくといわれるように、人間にはすでに倫理が働いている。それら共同体にそれぞれの場を与えて統一するのが、公そのものである国家ということになる。このような和辻の立場から十七条憲法は、「国家が人倫の道の実現であるという思想」とみなされる。
 こう考えると、すっきり見えてくるものがある。現行憲法は13条に「個人の尊重」を定めても、私に倫理を与えるはずの公は等閑視されている。前文に「その(国政の)権威は国民に由来し」と主権在民をうたうが、太古から連綿と続いてきた日本という国の形が何なのかは書かれない。国家への健全な視線が、現行憲法には欠落しているといわざるをえない。
 偏った戦後を脱し、国の形を素直に見ることから始めたい。
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「米人の作りし日本新憲法 今日より実施の由。笑ふべし」 永井荷風 2013-05-20 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
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『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書) 2011年(平成23年)4月20日第1刷発行 2012-07-25 | 本/(演劇) 
 (抜粋)
p58~
 「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
 占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63~
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したと書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(~p64)
p104~
 南京大虐殺の不思議
 「南京大虐殺」も実に不思議な事件でした。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、その後6週間にわたり大規模な虐殺行為を行ったというものです。 *強調(太字・着色)は来栖
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