『とめどなく囁く』 「聴覚障害者の五輪、デフリンピックに・・・」 『浄土の帝』 2018.4.20

2018-04-20 | 日録

〈来栖の独白 2018.4.20〉
 日々、穏やかに過ぎている私の日常。朝は床で音楽「古楽の楽しみ」を聴く。その後、起床。いつの頃からか、1日2食になった。お昼(兼、朝食)を戴きながら新聞を読む。
 本日の小説「とめどなく囁く」(256回)

    「とめどなく囁く」(256回)挿絵

「普通、親は子供を評価なんかしないと思う。それは社員に対する考え方よ」
「そうかな」
 克典が気分を害したような口調になったので、早樹も感情的なった。
「私は克典さんが真矢さんと会って、ブログをやめさせないといけないと思うの。それをしないのなら、私も考えていることがある」
「何を考えてるんだ」
 克典が怪訝な顔をする。
「離婚してもいいとさえ思った」
 思わずそんな言葉が出たので、自分でも驚いた。
「えっ」と、克典が真偽を確かめるように早樹の目を見る。
「そのくらい、あのブログは嫌なの。私のことを、さも財産目当ての狡い人間のように書いてあって、ものすごく傷付いた。周りの人でも、そう思っている人はたくさんいると思うけど、そういう人たちがあれを見たら、ああやっぱりと思うでしょう。それも他人じゃなくて、あなたの実の娘が書いているんだから、もう耐えられない」
 言う端から、涙がこぼれそうになった。克典が少し慌てている。
「そんなにたいした問題だろうか」
 早樹はきっと顔を上げた。
「克典さんは会社さえ安泰ならいいと思っているんじゃない?」
「そんなことはないよ」
「でも放っておいて、一切手を打ってくれないのは酷いと思う」
「わかった。何とかしてやめさせる。申し訳なかった」(以下略)

 この小説の主人公早樹は、親と同世代の克典と再婚している。ともに、再婚である。克典はIT関連企業で成功を収め、富豪であるので、克典と元々仲のよくなかった真矢(先妻との間の娘)は自身のブログで、一度も会ったことのない早樹の結婚目的を「財産目当て」と公言する。早樹には前夫・庸介の不審死のことでも、不安や疑惑、苦悩がある。・・・
 いま、インターネットの時代となり、市井の何でもない(無名の)人の「ブログ」が、他者(ブログ主と関わりある人)の私生活を脅かすようになった。社会の片隅で普通に生きてきた人が、身内によって、私生活や生き方、心の中までを世間に暴露、晒される。どう対処すればよいのか。戸惑うことだろう。そのような葛藤を桐野夏生氏は、早樹の苦悩を通して、細々と描く。

 新聞5面は「社説 発言」。普段、同世代の「声」しか読まない私だが、本日は珍しいことに「発言 ヤング」の投稿を読んだ。
 “サッカー仲間と頑張る”との投稿。岡崎市の14歳の中学生が、書いている。一読、爽やかな息吹に包まれた。

サッカー仲間と頑張る
 僕は、一般の中学生サッカーと聴覚障害者のデフサッカーの2つのチームに入っている。
 僕は耳が聞こえないので一般のチームでは友達とのコミュニケーションがとれず、試合でも仲間の声が聞こえなくてよくミスをした。「もう行きたくない」と練習を休んでしまったことがあったが、コーチが「皆に迷惑をかけていると思っているのは君だけで、仲間は迷惑だと思ってないよ」と電子メールをくれた。それで久しぶりに練習に行ったら、皆が「大丈夫? 久しぶり」と声を掛けてくれた。僕は感動してこのチームで仲間と頑張ろうと思った。
 デフサッカーは大人が多く、シュートの強さやパスの早さになかなかついていけなかったが、僕は何とか頑張っている。大きな声を出して手も大きく振るようにしてパスを受けることがよいことだと分かった。聴覚障害者の五輪、デフリンピックに出ることを目標として僕は2つのチームで頑張っていくつもりだ。

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〈来栖の独白〉追記
 山本周五郎さんの『ながい坂』を読了したのが、今月4月3日だった。あとは軽いものをと思い、桜木紫乃さんの『ホテルローヤル』を買っておいたのだが(桜木さんは現在、新聞小説連載中で、中々の力量を感じさせる)、短編を2作読んで、放り出した。
 何を読もうか、読めばいいのかと暫し寂しい思いをしていたところ、数年前、途中まで読んで止めていた安部龍太郎著『浄土の帝』を書棚から見いだし、現在、それを読んでいる。半分ほど、読んだところ。
 安部龍太郎氏の作品は、新聞連載で『等伯』を読み、心を揺るがされた。大変な力量を感じさせた。だが、『浄土の帝』は読めば心が滅入るばかりで、諦めたのだった。
 いま再び手に取り読んでいるが、落ち着いて(先を急がず)読めば、流石、安部龍太郎氏作品。趣き、深い。
 崇徳上皇(兄)と後白河帝(弟)の失意、無念、悲哀が胸に迫る。信西法師、美福門院の権勢、暗躍など、「ああ、安部龍太郎氏はここまで到達したのか」と私も感じ入る。
 断片になるが、心に染みた部分、書き写してみたい。

    

浄土の帝
p248~
 洛中を華やかに彩った紅葉も散り果てた頃、右京大夫が一人の僧を案内してきた。
 墨染めの衣を着ているが、頭はざんばら髪にして髭もたくわえている。肩幅の広いがっしりとした体付きで、手は武士のように節くれ立っていた。
「それがしの縁者で佐藤義清(のりきよ)と申します。今は出家をとげ、西行と名乗って山野を遊行しております」
 右京大夫が烏帽子に手を当て、いささか得意げに紹介した。
 西行法師はこの年39歳。鳥羽院の北面の武士という恵まれた地位を捨てて出家したのは、33歳の時である。
 それ以後漂泊しながら物した和歌が認められ、洛中でも評判になりつつあった。
「そちの名は兄君から聞いたことがある。前の乱で仁和寺に逃れられた時、いち早く馳せ参じたそうだな」
p250~
「何のお役にも立てぬ身ですが、源平の武士が狼藉に及ぶようならば、一命を賭してお守り申し上げるつもりでございました」
 西行と崇徳上皇とは、歌道を通じて交誼を深めた間柄である。
 その結びつきは主従の絆よりも強く、上皇が危難に遭われたと知ると、じっとしていられなかった。
 この時上皇の無念と世の理不尽を嘆いて作ったのが、

  かかる世に影も変はらず澄む月を
    見る我が身さへうらめしきかな

 という一首だった。
「兄君も心有る者と賞しておられた。私からも礼を言う」
「この間、主上よりご下問をいただきました時に、ご返答申し上げることができませんでした。あるいは義清ならばと思い、高野山の草庵から呼び寄せたのでございます」
 右京大夫は縁者だけに俗名で呼ぶ習慣が抜けていない。西行も面映ゆげな表情をしたばかりで、それを咎めようとはしなかった。
「ならば教えてくれ。この世を極楽浄土にするにはどうすればよい」
p251~
「それは無理でございましょう」
 西行は迷いなく答え、しばらく思案してからこう付け加えた。
「されど、人の心に極楽浄土を築くことはできるものと存じます」
「人の、心にか」
「はい。すべては人の心から生じるものでございます」
「そのために、私は何をすればいい」
「揺るぎなきものに従い、心の王となっていただきとうございます」
 その言葉は、帝のお心を強く打った。 揺るぎなきものとは何か。心の王とはどうあるべきか、西行は一切語らない。
 だがこれまで五里霧中だった行手に、ひと筋の燭光を見出した思いをしておられた。

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紅茶と小説と・・・ 感謝 〈来栖の独白2017.11.2〉


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