保岡興治元法相 死去
NHK NEWS WEB 2019年4月20日 12時30分おくやみ
法務大臣などを務め、裁判員制度の導入に取り組んだ自民党の保岡興治元衆議院議員が、19日、東京都内の病院で、すい臓がんのため亡くなりました。79歳でした。
保岡氏は鹿児島県出身で裁判官や弁護士を務めたあと、昭和47年の衆議院選挙に立候補して初当選し、鹿児島1区などで通算で13回当選しました。
平成12年には第2次森内閣で法務大臣として初入閣し、平成20年には福田改造内閣で再び法務大臣として起用されました。
保岡氏は、法律家の増員や裁判員制度の導入など司法制度改革に取り組んだほか、憲法改正をめぐる問題にも詳しく、国民投票法の成立などに尽力しました。そして平成28年からは、自民党の憲法改正推進本部長を務め、「自衛隊の明記」などを盛り込んだ憲法改正案の取りまとめに向けて中心的な役割を担いました。
その後、平成29年の衆議院選挙では、すい臓がんの治療に専念するとして立候補を見送り、引退しました。
◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
〈来栖の独白 2019.4.20 Sat〉
昼食をとりながら上記のニュースに接し、一瞬、18年前のように「日常」を忘れた。保岡氏のご冥福をお祈りします。
18年前、勝田清孝の死刑執行命令を下したのは、保岡興治氏であった。
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