あさま山荘事件から50年 (2022年2月28日、警官隊が突入して全員逮捕、人質を救出した)

2022-02-21 | 死刑/重刑/生命犯
あさま山荘事件から50年
 2022年2月21日 中日新聞 

 一九七二年二月。あさま山荘事件は起きた。武装闘争による革命を目指す連合赤軍の若者たちと、警官隊の銃撃戦。テレビの中継に、国民の目はくぎ付けになった。若者たちは、リンチで多くの仲間を死亡させてもいた。理想と現実、夢と絶望。連合赤軍事件とは何だったのか。
 あさま山荘事件
 連合赤軍のメンバー5人が、1972年2月19日から長野県軽井沢町の山荘に人質を取って立てこもり、警官隊と銃撃戦になった事件。同月28日に警官隊が突入して全員逮捕、人質を救出した。この間、警官2人、民間人1人が死亡した。連合赤軍は前年から群馬県内の山岳ベースに潜伏。銃砲店から奪った銃器で射撃訓練をしていた。ここで12人のメンバーがリンチの末に死亡した。

極端に走った若者ら
 映画監督 高橋伴明さん
 学生時代、私は全共闘に参加していました。早稲田大一年だった一九六九年の夏、内ゲバ事件で逮捕され、半年ほど勾留されました。大学に戻ると、仲間と立てこもっていた建物はもぬけの殻。強い敗北感を味わいました。それからは、がむしゃらに映画の仕事をしました。
 あの日は、初の監督作品となる映画のロケ地探しをしていました。あさま山荘事件のニュースが流れたとき、最初はこう思いました。まだ本気でやっているやつがいたのか。そしてこうも思いました。自分はこんなことをしていていいのだろうか。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)


* 正義のかたち:死刑・日米家族の選択/6 連合赤軍死刑囚支えた母 (毎日新聞2009/2/20)
----------------------------------
◆ あさま山荘事件40年 / 「生の声 残したい」元活動家 / 坂口弘死刑囚 支援者に反省の手記


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。