様変わりした点字奉仕

2006-08-07 | 日録

 先週Sr.Kからの問い合わせがあり、しばし過去の記憶を紐解いた。死刑囚藤原清孝の点訳奉仕のことだ。シスターの問い合わせとは、名古屋拘置所に収監されている被告(2審死刑)の一人が面会で「点字をやりたい」とシスターに漏らし、「勝田さんの点訳の経緯を彼(被告)も知っており、そのお尋ねです」と。

 清孝の点訳については、拙著にも大部を割いて書いた。囚人が点字をやることの困難は、本人も私も身にしみた。その手伝いを私が投げ出さなかったのは、清孝の点訳者としての優れた資質(感性)と、いささかでも社会に貢献したいという彼の熱い思いに打たれたからに他ならない。

 最初はカトリック図書館で通信教育を受け、途中から名古屋ライトハウスへ移った。移籍に関して、ひと悶着・ふた悶着あった。移籍してからも、単に机上の点字のみならず、職員との葛藤は並大抵ではなかった(人との関わりが歪であるから、あのような事件を起こすに至り人生に落伍したわけだから、悶着があって不思議ではない)。

 シスターに問われるままに、あれこれお答えしていたが、電話の後で、ハッと気づいたことがある。いま点字・音訳を取り巻く環境はふた昔前とはまるで変わってしまった、ということだ。パソコン点字だし、音訳もパソコン・デイジーによる。

 下調べも、私は、図書館へ行って辞典で調べたりなどしない。インターネットで調べるほうが正確である。たとえば地名であるが、辞典で調べていては、遅れてしまう。平成の町村大合併は、辞典による下調べを無力なものにした。先年『無敵のラーメン論』というブックレットを音訳したが、このとき私はインターネットによる下調べを駆使し、時代の変遷を身をもって感じた。地名はもとよりラーメン店の読みまで、正確に突き止めることができた。

 下調べに外出することはおろか(清孝の場合、私が足と口になった)、パソコンというツールを自在に使えない(使うことが許可されない)監獄で、今点訳の奉仕は、不可能なのではないか。パソコンなら量産できるし、簡単でもある。

 昔は、拘置所内で点字器による点訳奉仕した死刑囚がいた。清孝も多くの点字図書を世に送った。しかし、清孝の時代、既にパソコン点字図書は相当数出回っていた。職員の校正に「納得いかぬ」と嘆き怒る清孝を前に、私は幾度「Nさんも貴重な時間を割いて校正してくださっている。パソコンなら、早く簡単にできるのに。よく付き合ってくださっているのよ」と言う言葉を飲み込んだろう。

 いまひとつ。中途失明者の増加は、点字を読める盲人の割合を極端に減少させた。多くは、音訳に頼っておられる。

 時代の波は、こんなところにも寄せている。


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