高校国語に選択科目「論理国語」登場で物議 「授業から文学が消える」はどこまで本当なのか
2018/11/04 08:30
新しい学習指導要領が2022年度から適用される。高等学校の国語では、必修科目が変更され、選択科目として「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」が新設される。
選択科目はあくまでも4つだが、国語自体が、実用的な文章を学ぶ「論理国語」と近代以降の文学作品を扱う「文学国語」に二分されるのではないかという憶測が飛び、一時ネットが騒然とする自体に。しかし文部科学省の担当者は「仕組みに対して誤解があるのではないか」と話している。
*教育評論家「実学が重視され、文学作品が軽視されている」と指摘
*高校国語から文学が消える?
新指導要領では、共通必履修科目が国語総合(4単位)から現代の国語(2)と言語文化(2)になる。選択科目は、従来の国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典Bから、論理国語、文学国語、国語表現、古典探求(いずれも4単位)に変更される。
論理国語では、近代以降の論理的な文章や実用的な文章を用い、文学国語では、近代以降の文学や古典、評論文等を学ぶ。国語表現では、例えば「文章と図表や画像などを関係付けながら、企画書や報告書などを作成する」、「紹介、連絡、依頼などの実務的な手紙や電子メールを書く」といった活動をするという。古典探求では、古文や漢文を学ぶ。
必履修の2科目は全ての高校生が履修するが、選択科目については各学校や生徒の裁量に任される。学校側が選択科目から複数の科目を履修させることも、1つの科目だけを履修させることもありうる。逆に全く履修させなくても問題はない。複数の科目を開講して、生徒に選ばせることもできる。
改訂の背景には、OECDで3年ごとに実施されている学習到達度調査「PISA」があるようだ。新しい学習指導要領では、2015年のPISAで読解力の平均点が前回より低下していることを指摘し、「情報化の進展に伴い、特に子どもにとって言葉を取り巻く環境が変化する中で、読解力に関して改善すべき課題が明らかとなった」としている。
学習指導要領だけでなく、大学入試も変わる。2021年度からセンター試験に代わって導入される「大学入試共通テスト」の国語の試験には、記述式の問題が新たに加わる。そこでは実用性の高い文章も出題される予定だ。実際、2017年度に試験的に実施されたプレテストでは、第1問に部活動の規約が出題されている。
背景には、実学重視の風潮がある。石川教育研究所の石川幸夫さんは、「社会に出て役に立つ実学が大学にも求められている。実学や実利が重視される中で文学作品が軽視されている」と指摘している。
*「文学作品が、契約書やグラフの読み取りに取って代わられる」?
こうした中、文芸評論家で明治大学准教授の伊藤氏貴さんは『文藝春秋11月号』に「高校国語から『文学』が消える」というコラムを掲載。高校の国語の授業から文学作品が一掃される恐れがあると警鐘を鳴らした。
「『論理国語』には文学はもちろん、文学評論を入れてはいけないというお達しで、入試改革のことを考えると、ほとんどの高校が『論理国語』を選択するだろう。中島敦『山月記』や漱石『こころ』のような、日本人なら誰でも読んだことがある文学作品が、契約書やグラフの読み取りに取って代わられる」
共通テストの記述式の問題で実用的な文章が出題されるため、授業では論理国語を選択するしかなくなる。そうすると近代文学を学ぶ時間が、なくなってしまうというのだ。
この問題提起は波紋を呼び、脳科学者の茂木健一郎さんまでもが、文科省を批判する事態に。しかし同省の担当者は「仕組みに対して誤解があるのではないか」と話す。選択科目の中から複数の科目を履修することも可能なため、必ずしも論理国語しか勉強しない、という事態にはならない。
とはいえ論理国語や国語表現の新設に伴い、実用的な文章の比重が重くなったのは確かだ。こうした傾向に対してネットでは「むしろ今まで文学に偏り過ぎてたと思うんだけど。教育ではむしろ契約書の読みとりの方がはるかに大事」と歓迎する声もあれば、「契約書読解は必要だとして、それを『国語』でやるべきか?」と疑問を呈する声も上がっていた。
◎上記事は[ニコニコニュース]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
83歳の作家・阿刀田高の苦言 高校国語改革「違和感を覚えるのは私だけでしょうか」
「文藝春秋」編集部
source : 文藝春秋 2019年1月号
高校の国語から文学が消える――。
2018年3月、文部科学省は新「学習指導要領」を公示した。それにより、2022年度から、高校の「国語」の授業の中で、小説を扱う時間が大きく減少するであろうことが明らかになった。
*高校国語 2つの改変ポイント
高校国語の大きな改変ポイントは2つある。
まず、主に従来の1年生が学んでいた必修科目「国語総合」が、「現代の国語」と「言語文化」の必修2科目に分かれる。「現代の国語」では、「論理的な文章及び実用的な文章」を教材とするため、小説は扱われない。もう1つの「言語文化」で、古典から近現代までの小説や詩歌をまとめて扱う。つまり1年次での小説を扱う時間が事実上、半減する。
2つ目のポイントは、これまで主に高校2年生、3年生で学んでいた「現代文」が、「論理国語」と「文学国語」の選択2科目に区分されることだ。
「論理国語」とは、「実社会において必要となる、論理的に書いたり批判的に読んだりする力」の育成を重視した科目。具体的な教材は、論説・評論文のほか、報道や広報文、会議や裁判の記録、企画書、法令文、電子メール(!)を想定しているという。「文学国語」ではその名の通り、小説や詩歌、随筆などの文学的文章を扱う。
そして、ほとんどの高校では、「文学国語」ではなく、「論理国語」が選択されると予測されている。なぜなら、センター試験にかわって2020年度から導入される「大学入学共通テスト」の国語の問題では、「論理国語」に比重を置いた大問が出題されると考えられているからだ。つまり、大学進学を目指す生徒の多い進学校ほど、高校1年を最後に、国語の授業では小説を扱わなくなる可能性が高い。
「論理国語」の授業の例を、『高校の国語授業はこう変わる』(三省堂)という、新指導要領のガイドブックから紹介したい。本書は、文部科学省初等中等教育局視学官である大滝一登氏、文科省の国語ワーキンググループ主査代理の高木展郎氏が編著者となって、「授業改革に悩める先生方の創意工夫のヒントとなることを願って」作られた。
このガイドブックでは、「論理国語」の教材例として、国連が定める「持続可能な開発目標(SDGs)」の「17の目標」を取り上げている。
国連はいま、「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指」して、「飢餓をゼロに」「産業と技術革新の基盤をつくろう」「平和と公正をすべての人に」といった、“世界が合意した「持続可能な開発目標」”を掲げている。このような実在の資料を「国語」の教材とし、グローバルな課題を「自分の事」として捉え、課題解決のための手立てや、予測される反論への反証を言語化させることを授業内容として提案している。
*プレテストで出題された問題
また、先の「大学入学共通テスト」の試行調査となる「プレテスト」(2018年11月実施)では、国語の問題として「著作権法」を解説する文章・図表の読み解きが出題されている。
「違和感を覚えるのは私だけでしょうか」
こうした国語教育の改変について、大いに憂え、懸念を表明する文化人がいる。作家で文化功労者の阿刀田高氏(83)だ。
「きわめて実用的な文章や図表の意味をきちんと読みとる能力は、たしかに日常生活、社会生活を営む上で必要なものでしょう。高校生の段階で身につけておくことに何の異存もありません。しかし、契約文や法律の条文、図表の読み解きが『国語』の学習なのだ、といわれると、違和感を覚えるのは私だけでしょうか」
阿刀田氏は10年ほど前、中央教育審議会の初等中等教育分科会で委員をつとめていた。文科省が「生きる力」をキーワードに、ゆとり教育を推進していた時期だ。
「生きる力」について、分科会の多くの委員は「良い就職をして、良い給与を取れる会社に入るための、効率的で便利な能力」だと考えていたという。そのため、英語力や理数系科目など、実利的な能力ばかりを重視した教育目標が設定された。
今回の指導要領改訂も、その流れに棹さすものだろうと阿刀田氏はみる。
しかし阿刀田氏は、本当の生きる力とは「金銭的価値を生むのではなく、自分の心を自ら耕すことのできる力」ではないかという。そして、人間ならではの情や割り切れなさに触れることができる“文学”から学ぶことは多いのではないかと、安易な文学軽視に危機感を示している。
「文学作品は、人に命じられて読むものではない。そういう意見もあることでしょう。でも、新指導要領や大学入学共通テストのプレテスト問題を見ていると、効率やスピードを重視する現代には、小説をはじめとする文学的な文章は不要であると、文科省がお墨付きを与えているように感じられるのです。果たして本当にそうでしょうか。文学はそんなに役立たずのものなのでしょうか」
阿刀田氏の懸念は、「文藝春秋」1月号掲載の「高校国語から文学の灯が消える」でその全文を読むことができる。
◎上記事は[文春オンライン]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
-------------