「山地が逮捕時に見せた微笑み…あれほど絶望した人間の顔を僕は見たことがなかった」元少年A著『絶歌』

2016-02-12 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

『絶歌』 「元少年A」著 株式会社太田出版 2015年6月28日 初版発行(発売;6月11日)
p230~
 山地悠紀夫は僕のひとつ歳下で、僕が事件を起こした3年後に、自分の母親を金属バットで殴り殺し、少年院に収容された。初犯は16歳だった。在院中、明らかに他の少年たちとは異質な山地の精神的特性を嗅ぎ取った少年院スタッフの配慮で、山地は精神科医の診察を受け、「広汎性発達障害(自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群を含む)の疑い」という診断を下された。(p231~)この障害を抱える人は、相手の仕草や表情から心情を汲み取ることが極度に苦手で、言葉の表層部分でしかコミュニケーションがとれず、その場の雰囲気に合った言動を取ることができないという特徴があり、集団の中で孤立しやすい。また、“アイコンタクト”が不得手で、他人とまったく視線を合わせないか、逆に相手が気持ち悪く感じるほど、物を見るような眼で相手の顔をじっと見つめたりする。こういったコミュニケーションの特異性から、彼らはしばしば学校でいじめの対象になることがある。
 ある程度の実践を踏んだ専門家であれば一目瞭然であるが、この広汎性発達障害は、精神遅滞や統合失調症などと比べて見た目には定型発達者(健常者)と区別がつきにくく、問題視されにくい。
 山地は2003年10月、20歳で少年院を仮退院する。この時、少年院で山地を診察した精神科医は、山地の抱える障害の深刻さを危惧し、外部の医療機関宛てに紹介状を書いて山地に渡し、どこでも構わないから自分で精神科を受診するようにとアドバイスした。だが結局、山地が自分から精神科医を受診することはなかった。
 11歳で父親を病気で亡くし、16歳で母親を手にかけ、身元引受人のいなかった山地は更生保護施設に入り、パチンコ店に住み込みで就職するが、どの職場でも人間関係をうまく構築できずに店を転々とする。やがて知人の紹介で、パチスロ機の不正操作で出玉を(p232~)獲得する「ゴト師」のメンバーに加わり、いいように使われることになる。僕には経験がないからなんとも言えないが、裏社会には裏社会特有のコミュニケーションスキルが要求されるのではないかと思う。いつ捕まるかわからない、危険と隣り合わせの毎日。一瞬の気の緩みが即破滅へとつながる。常に周囲の状況を見極め、仲間の性格や心情も把握し、瞬時に適切な判断を下しリスクを回避しなければならない。コミュニケーション能力や状況判断能力に著しい欠陥を抱えた山地にできる芸当ではない。要領の悪い彼はパチスロ店で店員に不正操作を見抜かれ、一度逮捕されてしまう。
 山地はゴト師の世界でも上手く周囲に馴染めず、グループのリーダーと諍いを起こし、ゴト師メンバーがアジトとして使用していたマンションの一室を飛び出して野宿生活を送る。その三日後、2005年11月17日、山地は自分が身を寄せていたマンションの別のフロアに住む2人の女性をナイフで襲い、暴行して金品を奪った挙句、部屋に火を放って逃走した。いわゆる「大阪姉妹刺殺事件」である。少年院を仮退院してからわずか2年後の犯行だった。
 2009年7月28日、大阪拘置所で山地悠紀夫の死刑が執行される。享年25歳だった。
 この事件は、その犯行の際立った残虐性や、山地が逮捕時に見せた不敵な微笑みや自ら死刑を望む発言、少年時代の殺人の前科などから、当時かなりセンセーショナルに報じられた。(p233~)僕が少年院を出た翌年に起こった事件でもあり、山地が少年時代に殺人を犯していたことから、僕の事件も頻繁に引き合いに出された。
 僕は他の人間が犯した殺人についてとやかく言える立場ではない。山地悠紀夫本人に直接会ったわけではないから、本当には彼のことはわからない。彼の犯行にシンパシーを覚えることもない。
 僕が彼に何か引っ掛かるものを感じたのは、犯した罪の内容や少年時代の殺人のためではない。1審で死刑判決を受けたあと、彼が弁護士に宛てて書いた手紙に、胸が締め付けられたからだ。

 「私の考えは、変わりがありません。『上告・上訴は取り下げます。』この意志は変えることがありません。判決が決定されて、あと何ヶ月、何年生きるのか私は知りませんが、私が今思う事はただ一つ、『私は生まれてくるべきではなかった』という事です。今回、前回の事件を起こす起さないではなく、『生』そのものが、あるべきではなかった、と思っております。いろいろとご迷惑をお掛けして申し訳ございません。さようなら」 (池谷孝司『死刑でいいです』)

p234~
 あまりにも完璧に自己完結し、完膚なきまでに世界を峻拒している。他者が入りこむ隙など微塵もない。まるで、事件当時の自分を見ているような気がした。
 山地は逮捕後、いっさい後悔や謝罪の言葉を口にしなかった。そればかりか、「人を殺すのが楽しい」「殺人をしている時はジェットコースターに乗っているようだった」などとのたまっていた。僕には彼が、ひとりでも多くの人に憎まれよう憎まれようと、必死に弱さを覆い隠し、過剰に露悪的になっているその姿は、とても痛々しく、憐れに思えた。
 現代はコミュニケーション至上主義社会だ。なんでもかんでもコミュニケーション、1にコミュニケーション2にコミュニケーション、3,4がなくて5にコミュニケーション、猫も杓子もコミュニケーション。まさに「コミュニケーション戦争時代」である。これは大袈裟な話ではなく、今この日本社会でコミュニケーション能力のない人間に生きる権利は認められない。人間と繋がることができない人間は“人間”とは見做されない。コミュニケーション能力を持たずに社会に出て行くことは、銃弾が飛び交う戦場に丸腰の素っ裸で放り出されるようなものだ。誰もがこのコミュニケーションの戦場で、自分の生存権を獲得することに躍起になっている。「障害」や「能力のなさ」など考慮する者はいない。
 山地はどこに行ってもゴミのように扱われ、害虫のように駆除され、見世物小屋のフリークスのようにゲラゲラ嗤われてきたのだろう。彼は彼なりに必死に適応しようと努力したのではないだろうか。“魚が陸で生きるため”の努力を。
 山地が逮捕時に見せた微笑み。僕には、彼のあの微笑みの意味がわかる気がした。それは言葉で解釈できる次元のものではない。もっと生理的に触知する種類のものだ。
 あの微笑み・・・。
 あれほど絶望した人間の顔を、僕は見たことがなかった。
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◇ 『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』(山地悠紀夫死刑囚 2009/7/28 刑死) 池谷孝司著 共同通信社 
【裁く時】第3部 (3)井垣康弘元判事/山地悠紀夫死刑囚=母親を撲殺、出院1年半で姉妹を殺害(大阪事件)
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