正義のかたち:死刑・日米家族の選択/番外編 私たちは極刑を選んだ

2009-02-25 | 死刑/重刑/生命犯

正義のかたち:死刑・日米家族の選択/番外編 私たちは極刑を選んだ
2009年02月24日(火)毎日新聞 東京朝刊
 米国には有罪、無罪の判断のほか、有罪の場合、死刑にするかどうかも陪審で決める州がある。人の命を奪う決定に一般市民がかかわる点では、5月から始まる日本の裁判員制度と同じだ。
 ニューオーリンズで96年、陪審(12人)の1人として死刑判断を出しその後、この被告が無罪となった経験を持つキャサリーン・ホークさん(54)に死刑と向き合う難しさを聞いた。【ニューオーリンズ(米南部ルイジアナ州)で小倉孝保】
◇控訴で無罪「謝罪した」--死刑を評議する陪審の空気は。
◇みんなとても緊張していた。まず有罪、無罪を判断し、有罪と決めた後、死刑か終身刑かを話し合った。評議は全部で2日半。その間、陪審員はホテルに缶詰めになり新聞もテレビもみられない。
 知らない人と生活しトイレに行くにも警備の人が付いて来た。早く終わって帰りたいと思うようになった。みんないらいらし、男性2人はけんかを始めた。女性の陪審員1人は泣き続けていた。
たぶん、死刑に反対だったのだと思う。
--全会一致で死刑と判断したのは。
◇多くが死刑と判断することを躊躇(ちゅうちょ)していたと思う。しかし死刑を回避した場合、被告は終身刑と決まっていた。ルイジアナ州には釈放の可能性のない終身刑があるが、陪審はそのことをよく理解していなかった。終身刑になった場合、被告は何年かしたら釈放されるのではないか
と思っていた。検察側の説明で被告を危険人物だと思っていたので、釈放されたら怖いと感じ、死刑と判断した。
--死刑判断を伝えた後は。
◇直後は胃が痛み、長い間、悪夢にうなされた。正しい判断をしたと信じていたが、法廷でみた被告の母と子の顔が常に頭に浮かんできた。しかし、一方で間違ったことをしていないと信じていたので、友人や家族にも相談できなかった。
--その後、被告は無罪となった。
◇控訴審で優秀な弁護士がついた。その弁護士から連絡があり、唯一の目撃者だった男性が当時、酒を飲んでいたことなどの新事実を伝えられた。検察は、都合の悪い証拠を法廷に提出していなかった。事件の証拠を持っているのも、どの証拠を提出するかを決めるのも検察だった。陪審は検察の操り人形に過ぎないと痛感した。控訴審の法廷で、手錠をしたままの被告の手を握り「すみません」と謝罪した。
--市民が死刑判断することについて。
◇とても難しい判断だ。無実の人の命を奪うかもしれないと思い、苦しむことになる。米国では、陪審員が離婚や自殺をした不幸な例がある。陪審の義務の下、人の命を奪う事態に直面したことが理由と考えられている。
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◇事件と裁判の経緯
95年1月、ニューオーリンズの黒人地区路上で、男性が射殺された。目撃証言をもとに薬物の売人だったダン・ブライトさん(38)が逮捕され、強盗殺人罪で起訴。96年、1審で死刑判決が言い渡されたが、控訴審で無罪に。04年釈放された。
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■ことば
◇米国の陪審制
一定以上の罪に問われた被告に、陪審での評議を受ける権利を憲法で保障している。実際は司法取引によって陪審審理を経ずに刑が確定することが多い。陪審の評議には、裁判官は加わらない。陪審は通常、有罪か無罪かを評決し、量刑は裁判官が決定する。ルイジアナ州は、死刑か終身刑かについても陪審が判断し、その判断を受け裁判官が判決を下す。ほとんどの州で評決は全会一致が原則。
毎日新聞 2009年02月24日 東京朝刊

正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」


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