今朝の「古楽の楽しみ」は、バッハのマタイ受難曲〈来栖の独白 2017.4.3 Mon 〉

2017-04-03 | 日録

〈来栖の独白 2017.4.3 Mon 〉
 今朝のNHK FM「古楽の楽しみ」は、バッハのマタイ受難曲。カールリヒター。私にとって、命のような曲。
 昔、学生の頃、新宿コタニでこの曲を聴いた時の思い出。美しさに圧倒され、涙が溢れた。こんな曲、音楽が、この世にある。奇跡のような音。イエスという存在が奇跡なら、このお方を源流とする音楽・美術・・・一切が奇跡だ。
 本日、マタイ受難曲を聴くうち、なんとも親しいメロディーが出現♪---私がほぼ日常的に弾き、口ずさんでいるカトリック聖歌の中、【いばらのかむり】ではないか。なるほど、カトリック聖歌は、こういうところから曲を作ってきた(採譜)のか。道理で味わい深い曲が多いわけだ。

苦難 【いばらのかむり】 (#171)
1 いばらのかむり おしかぶされ
 きびしき鞭に はだは裂かれ
 血しおながるる 主のみすがた
 いたましきさま たれのためぞ 
2 きのうにかわる 主を取りまき
 ののしりさけぶ にくむ群れを
 つねに変わらぬ いつくしみの
 まなざしそそぎ ゆるしたもう 
3 世のひとびとの 罪に代わり
十字架になう み苦しみよ
 かぎりも知らぬ 愛のみわざ
 しのびてわが身 献げまつる 

  深く心沈む日、不安に怯える日、哀しみの日・・・そのような日々を、私はカトリック聖歌を弾くことで、慰められ、勇気を与えられ、凌いできた。典礼聖歌も、然り。
 イエスの苦しみもさることながら、御子を傍らで見届けた聖母の悲しみは如何ばかりだったろう。
 今、このデスクの脇、本棚の最上段には十字架が静かにある。私に安心と力をくれる十字架。イエスがおられたから、小さな私の人生にも意味があった。意味を見いだすことができた。

 本日、我が家の庭先の桜が一輪、開花。清廉な花びら。昨年来、心沈むことの多く、春の訪れなど考えられもしなかったが、そんな私にも春は訪れて、桜は咲いている。「私にも春は訪れて」と心に繰り返す。信じられないような春の訪れ。
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清孝が死刑執行されたとき、私はこの曲を弾いていた。
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