文春の流儀 ⑬
週刊誌と女性記者① 少年Aの両親に会う
木俣正剛
中日新聞夕刊 2019/10/18 Fri
週刊誌記者というと男性のイメージが強いように思われます。しかし、私が編集長だった2000年前後は、「週刊文春」といえば女性記者といわれるほど、猛女…いや優秀な記者が活躍していました。
まずは神戸の連続児童殺傷事件で、酒鬼薔薇と名乗った少年Aの両親の手記を担当した森下香枝記者(現在は「週刊朝日」編集長)。私はこの時は編集長になる前で、担当デスクでした。
弱冠27歳の彼女が重要な事件の担当となったのは自分で立候補したからです。14歳少年はどのように育ったのか。両親の話を聞くのは、週刊文春の使命ともいえるテーマです。
自ら立候補しただけあって、神戸に取材に入って1週間で成果がでました。少年Aの両親の隠れ家がわかったというのです。
ただ、報告している顔色が尋常でなく悪い。体調が悪いのか?と聞くと「取材を受けてほしいという手紙を書いたのですが、郵便受けにいれたら、また引っ越すだけだと思ったので、近くにレンタカーを止めて、見張っていました。それらしき人物が出てきたら手渡したいのですが、一人で待っていると一睡もできません。応援をください…」。
この根性に賭けよう。編集長に進言して、新人記者一人を応援につけました。
数週間後、編集部に少年Aの弁護士から電話がありました。
「文春の記者が近所にいて離れない。なんとかしてくれ」「いや違法なことはしていないし、強引な取材もやっていない。待っているだけだ」
こんな問答のあと、弁護士から「両親の許可なく一問一答を原稿として出さない誓約書」を編集長、顧問弁護士の印鑑つきでだすなら、両親に会わせてもいいという返事がきました。
神戸のホテルオークラで弁護士立ち会いのもと、両親に会いました。会ったというより、見たというほうがいいかもしれません。母親は泣き続けるばかり。父親は悄然と下をむいている。質問をしても、ただ泣いています。母親は「書きたいなら、どうぞ、書いてください」とメディアへの不信感を隠そうともせず去っていきました。
ただ、これで一巻の終わりか…という感触は、私たちにはありませんでした。当時の報道は、母親の厳しい教育のせいで子どもがあんな事件を起こしたというものが大半。聞くとみるとでは大違い。私たちがみた姿は本当に普通の親であり、この親と家族を襲った、この凄惨な事件の背景こそ、雑誌が伝えるべきものだと思ったからです。
きまた・せいこう=文芸春秋元常務取締役。岐阜女子大副学長
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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* 神戸連続殺傷事件 少年A〔空想の友・エグリちゃんのグロテスク〕 加害者家族を支え続けた羽柴修弁護士 2019/08/09
* 「少年A」のしたことはすべて母親の責任 神戸連続児童殺傷事件巡る手記 「少年A」を産んだ母親の悲しすぎる末路
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◇ 『「少年A」 この子を生んで・・・』神戸連続児童殺傷事件・酒鬼薔薇聖斗の父母著 文藝春秋刊1999年4月
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◇ 『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈…母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。〉
◇ 『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 太田出版 (神戸連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗)