〈来栖の独白 2017.5.31 Wed〉
明日から、夏。またもや、母のこと。亡くなったのが2月24日金曜日、冬の終わりとはいえ、立春は過ぎていた。春だった。このように考えるのは、母から遠くなりたくない私の気持ちがあるのだろうか。
ところで、〈来栖の独白 2017.5.24. Wed.〉に、以下のような一節を記している。
母について思い巡らす中、受刑して16年、やっと遠くになっていた勝田清孝のことも思われた。警察庁広域重要指定事件113号・勝田清孝を、母は私の求めに応じて、最高裁確定判決の日(1994年1月17日)に快く養子に迎えてくれたのだった。母のような人生・人柄であったればこそ、実現した。
母について思い巡らすことも尽きないが、清孝についても、様々に思い巡らす。先日、古い記録(備忘録)を紐解いた。そして感じたことは、人に完全なる「悔悟」「更生」は実現しないのではないだろうか、ということだった。人は、多くは、我が身を優先して守る、それが人の性ではないのか。そんなことを思った。極く希に、己が命を投げ出して隣人を救う人がいる。聖書はその行為を、これほど大きな愛はない、と云う。
清孝が死刑囚(生命犯)であったために、殊更「悔悟」「更生」ということについて考えたのだろう。が、人間は等しく皆、似たり寄ったりだろう。誰しも、完全な悔い改めなどできはしない。それが人間というものだろう。だが、と、私は考えないではいられない。清孝と交流していた頃、無意識に自分に言い聞かせて(戒めて)いたことが私にはあった。それは「卑劣はしない」「卑怯な真似はしない」ということであった。清孝は一切の自由を剥奪された「死刑被告人」(後に確定死刑囚)という、最も弱い立場にある人であった。彼の境遇を思えば、私には多くのものが自由になった。
或る日、清孝が云った。「俺のことを、いつ行っても此処(獄中)にいる、と思っているでしょう」と。明けても暮れても3畳半の居室(独居房)から出ることの叶わない囚人であった。拘置所から出ることはおろか、居室でも、定められた位置に正座か安座しか許されない。寝転ぶことも、許可無しには叶わないのであった。さぞかし悔しかったろう。
そのように「弱い(立場の)人」ゆえ、私は、「卑怯、卑劣は、すまい」と誓ったのだ。その生き方は、単に清孝に対するだけでなく、私自身の生き方となった。
私など、小さな人生にすぎない。悔悟、更生などという言葉にも、遠い。
が、神の目から見るなら、すべての人間が不徹底な「悔悟」に終わるのではないか。本日も独り、以下のカトリック聖歌を弾いて、口ずさんだ。
【あわれみのみ心よ】 (#161)
1 あわれみのみ心よ わが叫び聞きたまえ
罪深きわれなれど 心より悔いたれば
2 限りなき主の恵み 限りなき罪をもて
背きたる我なれど ゆるしませみ心よ
3 われこそは主の茨(いばら) 編みしなり罪をもて
われこそは主の柱 けずりしよ科(とが)をもて
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