教育虐待殺人事件 佐竹憲吾被告 中学受験で父親が息子を刺すに至るまで 裁判傍聴記#1

2019-07-22 | 身体・生命犯 社会

名古屋教育虐待殺人事件「中学受験で父親が息子を刺すに至るまで」
「被告人もその父親から刃物を向けられていた」裁判傍聴記#1 
 おおたとしまさ  2019/07/20 genre : ニュース, 社会, 教育  
 2016年8月21日名古屋で12歳の中学受験生・佐竹崚太くんが父親に包丁で胸を刺され死亡した事件で、2019年7月19日名古屋地方裁判所は、父親の佐竹憲吾被告(51)に殺人の罪で懲役13年の実刑判決を言い渡した。
 佐竹被告は自分と同じ私立中高一貫校に合格させるため、日ごろから息子に暴言を浴びせ、暴力も加え、さらには刃物で脅してまで勉強をさせていた。

*名門進学校一家の親子3代にわたる闇
 名古屋地方裁判所での公判で佐竹憲吾被告は、事件当日も包丁で息子を脅していたことは認めたが、殺意は否定。包丁が息子の胸に刺さってしまったいきさつについては「覚えていない」とくり返した。
 論告求刑で検察側は、「思い通りに勉強しない崚太君の言動が気にくわないと考え、怒鳴り、暴力を加え、脅すなどの行為を長期間くり返し犯行におよんだ。『教育』の名を借りた『虐待』といえ、身勝手な行動の末の犯行」と被告を非難した。
 中学受験をテーマにすることも多い教育ジャーナリストとして、そして心理カウンセラーの資格をもち、「教育虐待」についても取材を重ね書籍にもまとめている身として、私はこの事件の真相解明に特段の関心を抱いていた。「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもと、子どもの受容限度を超えてまで行われる過度な教育やしつけのことである。
 ただでさえショッキングな事件であるが、法廷でのやりとりで私にとってことさら衝撃的だったのは、被告人の父親T氏(78)が、「私も息子(被告人)を包丁で脅したことがある」と証言した瞬間だった。さらにはそのT氏も、その父親から教育虐待を受けていたようなのだ。
 私自身が法廷で聞いたこと、見たものを記述しながら、どういうメカニズムで教育虐待が生じ、最悪の結末を迎えたのかを考察したい。以下の記述は、裁判でのやりとりをその場でメモし、主旨を私なりにまとめたものである(※法廷での発言は一字一句正確でない場合があることをご了承いただきたい)。

*「カッターナイフに怯えて勉強し始めた」
 佐竹被告の実家は祖父の代から薬局を営んでいた。被告人本人も被告人の父親も被告人の弟もみんな同じ名門私立中高一貫校の出身だ。国公立大医学部の進学実績では灘や開成をしのぐ、知る人ぞ知る超進学校である。被害者の崚太君は幼いころからその学校の話を聞かされており、そこを目指して中学受験塾に通っていた。
 佐竹被告は子煩悩な父親だった。しかし崚太君が中学受験塾に通い始めた小学4年生くらいから、崚太君に暴言を浴びせ、暴力を振るい、崚太君が大事にしていたゲーム機を壊すなどするようになる。勉強させるためだった。
 妻のMさんが止めに入ると、「中学受験をしたこともねえヤツがガタガタ言うんじゃねえ」とキレた。Mさんは「大声を聞いた誰かが通報してくれないかと思って、わざと家の窓を少し開けていた」とも証言している。夫婦の会話はほとんどなくなり、食事も洗濯も別々に行うようになっていた。
 あるとき手元にあったカッターナイフを持ちだしたところ、崚太君が怯えて勉強し始めたことに味をしめた。それがあるときからペティナイフになり、包丁になった。犯行に使われた包丁は、普段台所で使用していた包丁ではない。崚太君を脅す目的で購入した包丁だ。
 中学入試本番が迫るとともに、佐竹被告は焦り、崚太君への態度はエスカレートしていった。2016年8月13日(犯行8日前)、崚太君の額近くの頭髪が丸くごっそりなくなっているのをMさんが見つけた。最初は「ぶつけただけ」と説明していた崚太君だったが、Mさんが問いただすと佐竹被告にやられたと打ち明けた。
 Mさんは「ママとおうちを出よう」と提案するが、崚太君は「パパとママといっしょがいいから嫌だ」と言う。Mさんが食い下がると、崚太君は「8月いっぱいまで答えを待って」と言った。
 なぜ8月いっぱいなのか。あるいは夏休みの成果を試すテストで自分がいい成績を取ればすべてが丸く収まると考えていたのかもしれないと私は想像する。

*犯行2日前、包丁で太ももを刺す
 8月19日(犯行2日前)の夜、佐竹被告は崚太君を連れて車で外出した。帰宅したのは翌日昼前。その間、崚太君は飲み物すら与えられていなかったという。その車の中でのやりとりが、ドライブレコーダーに記録されており、その書き起こしが法廷で公開された。
佐竹被告:書けって言ったら死ぬほど書け。オレが覚えろと言ったことはぜんぶ覚えればいい。てめえ大人を馬鹿にするなっつうのがわからんのか。
崚太君:イタい! イテテ!
佐竹被告:包丁脚についとるだけやろ。何が痛いか。入試やらせてもらってるだろ。
崚太君:痛い!ごめんなさい。  (このとき崚太君は太ももを包丁で刺されていた。)
佐竹被告:オレ、刺すっていったはず。多少痛くてもがちゃがちゃうるせえ。
崚太君:イテテ!
佐竹被告:脚ぐらいですむと思ったのか、糞ガキ。こんな怪我、なんなんだ。
 8月21日、Mさんはアルバイトのため、家を出た。
 「寝ている崚太の足の裏をくすぐった。それが最後です」。
 そのあと事件が起き、被告人は崚太君を抱えて病院に連れて行き、「自分が刺した」と説明していた。
 法廷でMさんは終始むせび泣くようにしてかろうじて質問に答えていた。

*「中1の1学期で野球部を辞めさせた」
 2019年6月24日、被告人の父親T氏(被害者の祖父)が、弁護側の証人として証言台に立った。以下はそのやりとりの一部抜粋。
弁護人:孫である崚太君はどんな存在でしたか?
T:家の跡継ぎですから、大事な孫でした。
弁護人:証人も被告人と同じ中学・高校を卒業していますね。
T:親の言うとおりに受験して、進学しました。
弁護人:証人の父親はどんなひとでしたか?
T:しつけの厳しいひとでした。親を敬えとか、勉強中叩かれたり、同じような間違いをくり返したときには竹のモノサシで手を叩かれたり。窮屈で自由のない子ども時代でした。
弁護人:勉強は楽しかったのですか?
T:受験勉強は楽しくありませんでした。親の言うとおりにやっていただけです。高校生になっても窮屈でした。勉強部屋から出られないように、外から閉じ込められたこともあります。
弁護人:薬剤師になったのは自分の意志ですか?
T:薬剤師にはなりたくありませんでした。本当はサラリーマンになりたかった。でも、祖母に頼まれて、薬剤師になりました。
弁護人:2人のお子さんにはどういう職業を望まれましたか?
T:長男の憲吾は薬剤師、次男には医者になってもらおうと望みました。小さいころからそれとなく伝えていました。子どもの付きたい職業にならせてあげたいと思ったことはありません。
弁護人:証人は被告人に対してどのように接していましたか?
T:私がされたのと同じように、非常に窮屈な思いをさせたと思います。我慢強い子でした。
弁護人:被告人に中学受験勉強をさせようと思ったきっかけは?
T:薬剤師にしたいという願望から、無理やりやらせました。
弁護人:被告人の中学受験勉強を見てあげたのですか?
T:薬局の仕事の合間の空いた時間に参考書を予習して、学校から帰ってきた憲吾に教えました。
弁護人:被告人は勉強を楽しんでいましたか?
T:いいえ。仕方なく、一生懸命やっていました。
弁護人:被告人を叩いたり、怒鳴ったりしたことはありましたか?
T:ありました。態度が悪いときや、つまらないミスをしたときに、腹が立って。
弁護人:被告人が志望校に合格したときはどんな様子でしたか?
T:たぶんうれしかったと思います。野球部に入って野球をやれることを喜んでいました。
弁護人:被告人は野球部に入ったのですね。
T:はい。でも、中1の1学期の中間試験でひどい成績をとってきたのでやめさせました。

■「大学へは進学していません」
弁護人:被告人はそのときどんな様子でしたか?
T:我慢して従ってくれました。悔しそうでした。
弁護人:被告人は大学に進学しましたか?
T:大学へは進学していません。
弁護人:それでは薬剤師になれませんよね。
T:中学校を卒業するころに、一生懸命諦めました。
 本人の意志を無視して何でもやらせてきたT氏が、ここで被告人を薬剤師にする希望を諦めたというのが意外に思えたが、次男に期待をかけたのではないかと私は想像する。逆にいえば、被告人はこのとき父親から見放された。

■「中学受験生の親はそれほど必死になるものだから……」
 高校生になると父親とはほとんど目も合わせなくなり、いっしょに食卓を囲むこともなくなった。それでも被告人が自由になることはなかった。「帰る時間を制限して怒ったり、子ども部屋のドアを外して好き勝手ができないようにした」とT氏。
 T氏は、補聴器を使用しており、ときどき質問を聞き返すことがあるが、弁護人からの質問には間髪を入れず答えていた。弁護人が「一呼吸置いてから答えてください」と諭す一幕も。頭の回転が非常に速いことがうかがえる。見た目にも、品のある老紳士である。
弁護人:被告人は大学に行かず、どうしたのですか?
T:働くといって家を出て、一人暮らしを始めました。
弁護人:新居の敷金礼金や家賃などはどうしたのですか?
T:私が経済的に補助しました。
弁護人:被告人はどんな仕事をしていたのですか?
T:飲食店や運送会社で働きましたが、長続きはしていませんでした。
弁護人:被告人は結婚してから、事件の起きたマンションを購入していますよね。資金はどうしたのですか?
T:私の父のお金や私の祖母からもらっていたお金を使いました。
弁護人:被告人にとって崚太君はどんな存在でしたか?
T:かわいくてかわいくて、大事に大事に、しっかり育ててやろうと思っていました。
 (※このとき、いつもは表情を変えない被告人が、眼鏡を外し涙を拭ったように私には見えた。)
弁護人:被告人は崚太君にどんなしつけをしていましたか?
T:一般に出て恥をかかないようなしつけをしていました。厳しく育てたと思います。
弁護人:被告人の収入で、私立中学の学費や中学受験塾の費用を負担できたのですか?
T:私立中学の学費を払うことはできなかったと思います。塾の費用は私が払うと、私から提案しました。
弁護人:被告人の崚太君に対する態度について、被告人の妻のMさんから相談を受けたことはありますか?
T:事件の一年半くらい前から5~6回ありました。
弁護人:それでどうしましたか?
T:憲吾には荒い言葉はできるだけ使うなと言いました。Mさんには叱られた崚太をケアしてあげてほしいと言いました。
弁護人:被告人の崚太君に対する態度をどう思っていましたか?
T:憲吾は、宝物の崚太のために必死だったと思います。
弁護人:被告人が持っていた包丁で崚太君が亡くなってしまいました。やり過ぎだったとは思いませんか?
T:中学受験生の親はそれほど必死になるものだから、やむを得ないと思います。
弁護人:被告人の社会復帰後どうサポートするつもりですか?
T:私も憲吾も猟奇的なところがある。精神科医の先生にお世話になってしっかり治癒してほしいと思います。
 (このとき、Mさんがむせび泣く声が法廷に響いた。)

■「出刃包丁をこたつに突き刺したことがあります」
 検察側からの質問もなされた。
検察:証人は、被告人が崚太君に勉強を教えているところを直接見ていましたか?
T:直接は見ていません。でもホワイトボードが壊れているのは見ました。叩いたり、怒鳴ったりしているということは聞いていました。きついなとは感じて、「できるだけ優しくしてやれよ」と伝えました。
検察:「勉強を教えるのをやめろ」とは言いましたか?
T:言っていないです。
検察:さきほど、胸に包丁が刺さって崚太君が亡くなってしまったことはやむを得なかったと言いましたが、本当にそう思っているのですか?
T:思ってます。
 (※あまりに堂々と間髪入れずにこの返答だったので、検察側の質問者は一瞬たじろいだ。)
 若い方々、現代のひとびとからすると、異常かもしれませんが、われわれの時代にはよくあることでした。時代についていけなかったことは悪かったと思いますが、憲吾はそれだけどうしても入れてやりたいと思っていたのだと思います。
検察:証人も被告人に対して刃物を向けたことがあるのですか?
T:あります。出刃包丁を持ち出して、憲吾と次男と妻のいる前で、こたつの天板の上に突き刺したことがあります。
検察:なぜですか?
T:覚えていませんが、憲吾が高校生のころだったと思います。
検察:崚太君に対してはどんな思いですか?
T:内孫ですから、どうしても跡を継いでほしいと思っていました。いまは、遺骨を早く納骨したい。
検察:佐竹家の墓にということですか?
T:それはまだ考えていません。
 なんと被告人自身も、父親から刃物を向けられ脅された経験があったのだ。被告人とその父親の関係性を聞くにつれ、被害者である崚太君と被告人のイメージがどうしても重なり合ってきた。あまりにも悲しい負の連鎖である。
 続く#2では、被告人の妻Mさんの証言を中心にレポートする。

おおたとしまさ
 育児・教育ジャーナリスト
 1973年、東京都生まれ。麻布中学・高校出身で、東京外国語大学中退、上智大学英語学科卒。中高の教員免許を持ち、リクルートから独立後、独自の取材による教育関連の記事を幅広いメディアに寄稿、講演活動も行う。著書は50冊以上。

    ◎上記事は[文春オンライン]からの転載・引用です
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