「強制起訴」無罪 制度成熟へ議論深めたい
2012/03/18付 西日本新聞朝刊 2012年3月18日 10:50
未公開株の上場話を持ちかけて現金をだまし取ったとして、詐欺罪で強制起訴された投資会社社長に対する判決で、那覇地裁が無罪を言い渡した。
検察審査会法の改正で2009年5月から導入された「強制起訴制度」による被告への初めての判決だった。
その判決で、検察審査会が「市民感覚」に基づいて起訴すべきだと議決した被告の「犯罪行為」が、裁判所から「犯罪に該当しない」とされたのである。
強制起訴は、検察官が「嫌疑不十分」などとして不起訴にした事件を「市民の目線」でチェックし、罪に問うことを可能にする制度として導入された。
「有罪の確信」を得た容疑者に絞って訴追する検察官による起訴に比べて、有罪率が低くなると予想されていたとはいえ、この無罪判決が今後、強制起訴制度に与える影響は大きい。
起訴に「法と証拠に基づく厳密な立証が可能であること」を求める立場からは早くも制度の見直し論も出ている。
「起訴」=「有罪」とみられがちな日本社会の中では、起訴された被告や家族の精神的な負担は計り知れない。起訴によって人権が傷つけられ、無罪になっても大きなダメージが残る。
今回無罪となった被告も、逮捕から不起訴、強制起訴と翻弄(ほんろう)された、この2年間の精神的ダメージの重さを語った。
「証拠に基づいた法律論」で判断すべき起訴に、検察審査会議決はどうしても情緒的な判断が入り込むという現実も、見直し論の背景にある。
市民による検察審査会の議決を受けた強制起訴であっても、起訴は国家権力の行使であり「抑制的な判断」が必要なことは言うまでもない。
強制起訴された被告の人権を守る仕組みをどうつくるか。審査や議決の在り方を含め、見直すべきは見直したい。
同時に「起訴=有罪」ではなく、裁判で真実が究明されるまで被告は「推定無罪」である-との大原則を共有できる社会づくりが何より大切だ。
とはいえ、無罪判決で強制起訴制度が否定されたわけではない。これまで検察が密室で行ってきた不起訴判断の妥当性を国民に見える形で明らかにする意味は、無罪でも失われるものではない。
市民常識に照らして有罪の可能性があれば、公開法廷での審理を通して真相に迫ることに、この制度の意義がある。
今後、4月下旬の民主党元代表・小沢一郎被告に対する判決など、強制起訴事件の判決が続く。いずれも有罪立証のハードルは低くない。しかし、そこで無罪判決が続いたとしても、直ちに制度の存廃をめぐる議論にまで踏み込むのは時期尚早だろう。
市民感覚を司法判断に生かしていく制度は、動きだしたばかりである。同時に導入された裁判員制度と同様、いま必要なのは、これらの制度をより良いものにしていくための議論である。
=2012/03/18付 西日本新聞朝刊=