光市母子殺害事件 裁判資料を読み直す⑯ 光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書

2008-04-05 | 光市母子殺害事件

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/

最高裁弁護人弁論要旨 補充書
【補充書 1
第1 著しく正義に反する事実誤認について
1 Mさんに対する殺害行為及び殺意の不存在
2 Mさんに対する強姦の故意の不存在について
3 Yちゃんに対する殺害行為及び殺意の不存在
4 被告人の供述の信用性の欠如
5 結論
 
第2 検察官の上告理由について(量刑不当)
第3 公正な裁判を求めて(公正な裁判とは何か・・・理性が支配する裁判である)
第4 被告人の現在・・・被告人が反省を深めている事実を正当に評価すべきである
第5 結論

【補充書 2
Mさんに対する強姦の故意の不存在について
【補充書 3
1 はじめに
2 本件事件の一連の流れ

3 新たに判明した事実

『光市裁判』(インパクト出版会) 資料

光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【2】

平成14年(あ)第730号
弁 論 要 旨  補 充 書 その2
最高裁判所第3小法廷 殿
 被告人FTに対する殺人等上告事件につき、以下のとおり、弁論を補充する。2006年6月14日

弁護人 安田好弘
 同   足立修一



 Mさんに対する強姦の故意の不存在について(スプレー式洗浄剤を使用したとの供述の信用性の欠如・・・実験結果を踏まえて)

1 弁護人らは、弁論補充書、第1,4、(2)において、乙24、同25号証の、
 「僕はMさんを動けなくするためにスプレー式洗浄剤で目つぶしをしようと思い、僕の左手をMさんの左胸の前からMさんの右肩にまわしてMさんの右肩を掴み、そのまま僕の右手を伸ばして床に置いてあったスプレー式洗浄剤を掴みました。そして僕は、Mさんの顔面に向けて、スプレー式洗浄剤を2回か3回噴射しました。そしてスプレー式洗浄剤を床に投げ、Mさんをレイプするために仰向けに引き倒しました。」
 との供述が、事実に反し、およそ信用できないことを指摘した。

2 弁護人らは、本件スプレー式洗浄剤(花王トイレマジックリン、ミントの香料のもの。以下、「スプレー式洗浄剤」と略称する)を用いて、スプレー式洗浄剤を噴霧した場合、如何なる痕跡が残るかについて実験を行った。
 その結果は、別紙添付の実験結果報告の通りである。
 すなわち、
 ① スプレー式洗浄剤を顔面に向けて噴霧した場合、顔面は広範囲にわたって白い泡によって覆われるという外見上顕著な相貌となること(添付写真5~7)。
 ② 顔面に噴霧された洗浄剤は、蒸発して消失することはなく、時間の経過とともに粘稠度を増し、遂にはゲル状の状態で固まること(添付写真8~11)。
 ③ 噴霧液が付着している部分にはガムテープを貼り付けることができないこと(添付写真12)。
 が判明した。

3 従って、被告人が、乙24、25号証の供述のとおり、Mさんの顔面に向けてスプレー式洗浄剤を2~3回噴霧したとするなら、
 ① Mさんの顔面は白い泡に覆われるという相貌を示していなければならないし、
 ② 噴霧された液は、
 1) 遺体発見時(甲2、噴霧時より約7時間半経過)
 事件現場の実況見分時(甲3、噴霧時より8時間経過)
 事件現場の実況見分時(甲5、6、噴霧時より約10~11時間経過)
 のいずれにあっても、蒸発して消失することなく粘稠度を増した液体の状態で顔面に付着していなければならず
 また、
 2) 解剖時(甲9、噴霧時より約19時間経過)には、ゲル状態となって付着していなければならない。
 3) 噴霧された液が付着している場所にはガムテープを張ることができない
 のである。
 しかし、被告人の供述中には、Mさんの顔面が白い泡で覆われたとの供述は一切ないし、遺体発見時はもとより実況見分時さらには解剖時にあっても、噴霧液の痕跡はまったく発見されていない。また、噴霧液が付着しているであろうと認められる口付近にはガムテープがしっかりと付着しており、これが剥がれた形跡は一切ないのである。 

4 以上の事実からすれば、被告人の「Mさんの顔面にスプレー式洗浄剤を2~3回噴霧した(乙24、25)との供述は、事実に反することが明白である。

5 ところで、被告人が、スプレー式洗浄剤を目つぶしに使用したか否かは、被告人のMさんに対する抱きつき行為が強姦目的であるか否かを決する決定的な事由である。なぜなら、スプレー式洗浄剤を使用しなかったとすれば、被告人はただ単にMさんに背後から抱きついたに過ぎないことになり、このことは、被告人の「強姦するためではなく、ただ単に甘えたくて抱きついた」という供述に符合するからである。
 また、同時に、上記のとおり、被告人の供述は、強姦の手段として、スプレー式洗浄剤を目つぶしに使用したか否かという重要な事実についてまで虚偽の供述であるということであるから、他の供述も同じく疑わしく、「強姦目的でMさん宅を訪れた」という被告人の供述についても同じくその信用性に重大な疑問が生じるからである。
 検察官は、被告人がMさんの背後から抱きついたというだけでは、被告人に強姦目的があったとすることに不安であったのであろう。そのため、検察官は、強姦目的であったことを裏付けるものとして、スプレー式洗浄剤の噴霧を思いつき、被告人をしてその旨の供述をさせたのである。このことは、スプレー式洗浄剤が、逮捕後18日経過した5月5日に初めて供述され(乙24、25はいずれも5月5日の検面調書)、しかも、その日以外には一切供述されていない(同日及び翌日付員面調書があるが一切ふれられていない)という不自然さからも明白である。そして、この虚偽供述は、本件強姦事件が検察官のねつ造によるものであることを如実に物語っている。
 以上のとおり、被告人には強姦目的がなかったことが明らかである。

以上

2007/08/30up

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5 コメント

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量刑よりも大切なもの (untouchable)
2008-04-07 09:08:03
来栖さまへ
度々投稿させてもらっている、untouchableです。

四月二十二日に判決が出てから投稿させていただこうと考えていましたが、あえて判決が下る前に投稿させていただきます。

被告人が死刑になったからといって、この問題が解決できるものではないと今自分は考えています。しかし、被告人が反省し更生したからといって解決しないのも事実。

つまり量刑の話をすることは不毛だと考えています。
前に投稿させていただいた時に私の感性に共感してくださり、自分のように感じてくださる方もいるのだと正直嬉しかっです。

何かの意味を問うために、何かに矛先を向ける。
それが司法であったり、国家であったりする。

来栖さんが仰ったように、この世は不条理に満ちていると自分も思います。

人を殺すことは良くないこと。
でも人を殺すことでしか、救われない空虚を伴っているのも人間なのです。

仇を討つことで救われる。
これも人間の真実の姿なのではないでしょうか。

仇を討っても、死んだ人間は戻ってこないという議論は愚かな人間の言う詭弁だと考えています。死者を生き返らせるために仇を討つわけではありませんから。

愚かな私はどれだけ考えても、本村氏に人間性の輝きを感じるのです。感じることは素晴らしいことだと、前に来栖さんも仰ってくださいました。そう私たちオーディエンスは感じることしかできないのです。

私たちは本村氏でも少年でもありませんから。
個々が感じることしかできないのだと思うのです。

だから来栖さんには量刑や司法などではなくて生命の尊厳を、輝きを、この日記を通して発信して欲しいのです。来栖さんは極力中立の立場を貫いていて、素晴らしいと思うのですが。

被告人は極悪非道だから即死刑、又は被告人は精神的に幼いだから無期では亡くなった弥生さんと夕夏さんの生命に対しての冥福にはならないと思うからです。

不条理の闇の中にこそ、真実の光が灯っているのだと自分は信じています。

自分でも何を書いて良いのか最後の方は分からなくなりましたが、若年故の勉強不足だと思い理解してください。

長い文章に加えて、ほとんど自己主張になってしまいました。すみませんでした。

なお、来栖さんに失礼な表現とうありましたら素直に甘受します。
返信する
そうも言ってられなくなるかも (ゆうこ)
2008-04-08 09:37:03
untouchableさん。
 真摯なコメント、心よりありがとうございます。おっしゃるように来週14日はご命日ですし、22日は判決言い渡しですね。外野に過ぎない私なのに、さまざま考えてしまいます。


>量刑の話をすることは不毛だと考えています。

 どうでしょうか。
 2009年5月までに裁判員制度が開始される予定ですね。殺人や傷害致死等、重刑が予想される刑事事件に国民参加を義務づける制度で、違憲にも抵触すると私は考えていますが、実施されれば、死刑判決を書かされるという事態を否めません。量刑にまで踏み込まざるを得ないわけです。しかも、極めて短期間に集中審理をやり、判断しなければなりません。

 袴田事件で判決文を書いた熊本典道さん。この人の苦悩を一般市民(国民)が背負って生きることになるかもしれない。司法は、大変なところに来ていると感じます。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/65a29f16584c4575a5e543c644de473f
返信する
訂正 (untouchable)
2008-04-09 00:05:41
不毛とは行き過ぎた表現でしたね。ただ量刑よりも大切なものがあるのではないかと自分の中で思いそれを伝えたかっただけなのです。すみませんでした。

裁判員の話ですが、自分が裁判員になったときに
厳粛に真贋を見極められるかどうかわかりませんし、その場の雰囲気に流されてしまうかもしれません。
裁判員制度は難しいですね。

ただ、司法を司るものが司法のプロフェッショナルであろうと一般の市民であろうと誤審はなくならないでしょう。本当に誤審を無くすとしたら刑法を削除する意外にありませんから。

被告人が無罪を主張している事件は裁判員制度を適用しないとか、国も国民のことを考えているのであるのなら、国民に負担のかからないように配慮して欲しいものです。このケースはこのケースで問題あるのでしょうけど。

きっと、誰かが国や他の裁判員を相手取って損害賠償請求でも起こすのではないでしょうか?

例えば裁判員制度が適用される一審で有罪判決、二審で逆転無罪のケースの場合。

一人の裁判員として無罪だと思ったのに、周りの見えないプレッシャーで有罪にしてしまった。心に深いダメージを負ったとか。その逆もありえますね。

そうなって司法の場が損害賠償で金もうけできる場になったら国も考えるのではないでしょうか?
それはそれで面白いのですが。

ただ、裁判員については分かりません。はじまってからまた諸問題が生じるでしょうし、解消するでしょうし。とりあえず、はじまらなければわかりません。

話は百八十度変わるのですが、私は今アメリカにいます。

私はキリスト教徒ではありませんが、たまに教会に行
きます。

AMAZING GRACEはいい曲ですね。
この曲を聞くと、私の中でオウム事件や光市事件の痛みと悲しみそして希望が沸いてきます。

せっかくですので、和訳したものを載せておきます。
(来栖さまのホームページなのに、身勝手な私のことをお許しください)。

驚くほどの恵み、なんとやさしい響きか私のような墜落者した者さえも、救われたかつて私は失われ、いま見出された(盲目だったが、今は見える)

私のこころに畏れることを教えたのは恵み
そして、私の恐れを解放したのも恵みなんと素晴らしいこと私が最初に信じたときに現れたその恵みは

多くの危険、労苦、誘惑を私は通ってきた。ここまで私を無事に導いてくれたのは恵み。

そして恵みは私をわが家に導いてくれる。主は私によきものを約束された。

彼のみことばがわたしの希望の保証彼は私の盾であり、分け前。

人生の続く限り。この体と心が衰え死ぬべき命が終わるとき私は手にいれるだろう。

隠されていた喜びと平和のいのちを。世界はまもなく滅び太陽は輝きを失うだろう。

しかし、私をこの世から呼び出す神は永遠にわたしのもの。

私たちは、いつまでもそこにいて太陽のように輝き神への賛美を歌う日々が減ることはない。

最初に(賛美を)始めたときから。

Copyright 2001 eChurch Japan
Copyright 2000 Logos Internet Ministry, Japan

この私のコメントはすぐに削除してもらって構いません。この感動を他者に伝えたかったので。
またまた長文で失礼しました。
返信する
untouchableさん。コメント、ありがとう。 (ゆうこ)
2008-04-09 10:32:54


>この感動を他者に伝えたかったので

 昨日、コメントのお返事をしましてから、追伸をと思いました。が、untouchableさんが、いらしてくださるかどうかな、などと思っていたのです。追伸というのは、「量刑・・・」とは別に、untouchableさんのご意見表明の場として、どうぞこのブログをお使いください、というものでした。先ず、そのことを申し上げておいて・・・。


>いま見出された(盲目だったが、今は見える)

 このところ毎晩のように就寝時聴いているCDのなかに、AMAZING GRACEも入っているのです。プロテスタントの教会の賛美歌ですよね。「驚くばかりの」ですね。マルコやルカ(7,22)等福音書に記述されていますね。マルコ8,22~「何が見えるか?」「人が見えます。木のようなものが歩いているのが見えます」とめくらは答えた。(ドン・ボスコ社)
 恵みというのは、見えない目が見えるようになる、ということではないでしょうけれど。

>希望の保証 
>私の盾
>死ぬべき命
>喜び
>平和
>いのち

 如何にもキリスト教らしいphraseが続きますね。untouchableさんのご投稿の背景に、こういった光の世界がお有りだったのですね。私事で恐縮ですが、長年このphraseの世界に身を置いてきました。力を貰った。勇気を貰った。「いのち」を貰いました。
返信する
御返事ありがとうございます。 (untouchable)
2008-04-09 12:49:08
アメリカと日本で時差があるせいか、タイミングよくコメントを書くことができます。

私のわがままなコメントを歓迎してくださって本当に来栖さんの心に感謝、感謝です。
本当にありがとうございます。

私が来栖さんのおっしゃるような
光の世界に身を置いているかどうか分かりませんが、来栖さんが(力を貰った。勇気を貰った。「いのち」を貰いました。)という心の底からの気持ちがよく分かります。

死刑問題を考えることを手を挙げて放棄すれば一番楽なのでしょう。そして何度もそう考えました。

でも、AMAZING GRACEを聴くと(よく考えなさい、ひとりの人間であるために)と、自分を励ましてくれているような気がします。

そしてAMAZING GRACEを聞いていると、人間の存在の小ささを感じます。勿論、私がこんなことを言える分際ではないのですが。

量刑はまた別の話として
被害者の弥生さんと夕夏さんや被害者遺族の本村さんの苦悩や悲しみや無念に思いを馳せることのできない小さな心は真実を悟ることはできないのではないでしょうか。

また少年を一人の人間として見ようとしない小さな心も、真実を悟ることはできないのではないでしょうか。

だから私は双方が持ってる心の叫びに静かに耳を傾け、この問題が本質的に提起する真実を自分の中で見つめたい。

今の私にはそんなだいそれたことは出来ませんが。
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