新約聖書物語 犬養道子著 新潮社 1976年2月10日 発行
p519 使徒行伝
p521
一、序にかえて
使徒行伝は、ルカ福音書の後篇である。ルカにとっては、「在る者」神の時間への介入ーーーとりもなおさず、人の子となって時と歴史の中に入り生活し死し死に打ち克って救いの扉を大きく開いた神人キリストの事業ーーーは、キリストのあとにつづく弟子たちの共同体によって、時の終わりまでこの地上に継続されるものであり、そのゆえにこそ、福音書は未来に向かって歩みはじめる初代共同体(教会)の歴史なしには未完成なのであった。(中略)
ルカは自ら、キリスト教への改宗者であり、アンティオキア生まれのギリシャ人であった。医者であったことは、「愛する医者ルカによろしく(パウロ、コロサイ人への書簡 4、14)」によっても明らかである。当時、医という職業は、今日よりはるかに高い社会的・文化的地位を意味した。つまりルカは、文化人であったわけである。そのことは、彼よりずっと素朴な背景を持つ他の三福音史家の使わない流麗な表現や単語を彼が屡々使うことによっても示し出される。
さて、自身ギリシァの改宗者であった彼は、使徒行伝執筆にさいしても、彼の福音書同様、異邦異宗からの改宗者を読者に設定した。したがって、キリストの普遍性ーーー国境や民族や文化的歴史的習慣的差を越える普遍性ーーーを核心テーマにすえる。ユダヤ・ガリラヤに限られたものではないのだぞ、と。
全28章から成る使徒行伝(初代教会史)のうち、はじめの15章の主役は、当然初代教会の岩(ペテロ)であり、16章からのちは、宣教の大使徒パウロに移ってゆく。しかも16章の10からは、世に言う有名な「『われら』の章」となり、ルカ自ら、パウロの伴侶として登場して来る。(中略)
p522
二、教会誕生
「テオフィロよ、前篇でわたし(ルカ)は、イエスがはじめから行われ且つ教えられたことのすべてを、彼イエスの昇天された日までにわたって記した。
イエスは御受難・御死去ののち、御自分が死に勝って『生きる者』であることを使徒たちに知らせ、40日間、度々、おあらわれになった。その40日の間のある日、使徒たちと共に食事をされながら、イエスはこう言われた、『エルサレムの都にとどまって、わたしが曽(かつ)て語った(天父の)御約束の出されるのを待て。つまり、聖霊による洗礼のさずけられるのを待て』と。また、こうも言われた、『聖霊こそ、おまえたちに力を与えて下さる』と」
そうイエスが語ったのは、復活後ガリラヤからオリーブの園に近いべタニアの丘に戻ってのちのことであった。
復活後丁度、40日目が訪れようとしていた。
40日!
旧い約束に先立ついまだ太古のころ、救いの初期象徴のひとつと呼んでもよい洪水の物語によれば、ノアは箱舟の中で、40日40夜の嵐に耐えた。
約束の地に向けて、モーセの指揮下旅立ったイスラエルの子らは、荒野で40年の準備期間を過ごした。
旧き契約の結ばれたのち、モーセはシナイの山頂に40日40夜とどまって神の律法を受けた。
約束の地が眼前にようやくあらわれたとき、モーセの送った偵察隊第1陣は、40日40夜ののちイスラエルの子らのもとに戻ってきた。
・・・イエス自身、公生活をはじめるに当って、荒野に40日40夜、退いた。
40はすなわち、成就や大事をひかえての準備の数なのであった。(中略)
p526
奇蹟の時代の終焉に近い、紀元30年のこの5月28日、初の聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、初にふさわしい奇蹟を伴った。
ガリラヤ湖畔生まれの無学な素朴な使徒たちが、「聖霊に満たされて、いろいろな国の言葉を語り出した」からである。それは太古バベル(乱れた門、また多くの分立しあう神々の意)の塔の物語(「天地の間で己れほど強く美しい者はいないと傲りたかぶってその誇りを示すため高い塔を多勢でつくっているさいちゅう、人々の唇は互いに理解しあえない「異なる言語」を語りはじめ、それによって、人々はもはや相互い一致することが出来ず、はなればなれになって行った)によっていみじくも示し出された、傲岸や不遜や利己主義等々の罪による混乱と互いの無理解を、新しい救いの言語で和合にみちびく使命の象徴でもあった。(中略)
p527
したがって彼らの日用語は各地おびただしく異なりあう言語であった。「バルト、メド、エラミト、メソポタミア、ユダヤ、カバドキア、ポント、アジア、フリギア、・・・ローマ人、ユダヤ人、改宗者、クレタ人、アラビア人・・・(2、9)」が、、「みな、それぞれの言語で」話し出した使徒たちを見て「驚き、仰天し、とまどった」。
「あのガリラヤ人たちではないか」
と言う者もあれば、
「なに、うまい葡萄酒を飲んで酔ったのさ」
とからかう者もあった、と、ルカはみごとに描写する。
こそこそとかくれていた高間を出て来ただけでも一見に値するのに、湖畔の無学な漁夫にふさわしからぬ言語力で会う人ごとに語りはじめた使徒たちをとりまく群衆は、次第にふえ、やがてエルサレムの丘を埋め尽くした。おしあいへしあい、以前イエスをとりまいた時のように。
そのとき一歩進み出たのはペテロであった。
若い女中に脅え、パニックにおちてナイフをふりまわし、主を否み、一目散に逃げたペテロ。一度、税を払うかと人に問われたさいまともな返事も出来なかったペテロ。習った筈の預言書の内容もいま聞いたばかりの主の教えも右から左にいつも忘れてしまったペテロ。
だが、この成就の50日目に、彼は変った。教会の最初(p528~)の岩(ペテロ)は、ゆたかに霊を受けたのであった。おそれ気もなく大音声にペテロは語り出す。
p646
あとがき
(大半略)
p652~
(略)
もしも、四福音書を総合したこの小さな一書が、読者の心に何ものかを語りかけることがあれば、幸これに過ぎるものはない。このような書物を書く人間的値打ちは全くないと日々自覚しつつ、しかしこの一書こそは「生けるしるしあり」とも言えるほどに心をこめて私は書いた。これを書くためにこそ生きて来たと。未熟・不足を十二分に知りながらも、いまの自分にはこれ以上は書けぬと思われたところで筆を擱いた。丸十七年目のことであった。
(後略)
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〈来栖の独白〉
いやぁ、すごい本に出会ったものだ。記録によれば1976年2月に購入となっている。多くの個所に傍線があり、隅っこを折り曲げたりもしているから、確かに読んでいるはずなのだが、まるで記憶がない。新たな!感動を覚えながら、多くを教わるように読んだ。今回、特に興味深かったのは「使徒行伝」。遠藤周作さんの「あの弱虫の弟子たちが、何故に殉教をも辞さぬ強虫になったのか」という言葉に唆された! そして「パウロ」、なんという感動!
17年の歳月をかけてこの本をお書きになった犬養さん。驚くばかりだが、私にも少しわかるのは、聖書は人をそのように一途にさせる書だということだろう、あくまでも能力に応じて(笑)。いまの私には、聖書がなくては、生きてゆけぬ。
2020年 庭先の桜も満開の日に
* 遠藤周作著『私にとって神とは』---聖書はイエスの生涯をありのまま、忠実に書いているわけではない---原始キリスト教団によって素材を変容させ創作した