息子殺害の元事務次官 「今の若者は難しい」と口にしていた
NEWS ポストセブン 2019/6/10(月) 7:00配信
元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)による息子殺害事件は、“罪は罪”と指弾する声とともに、父親としての苦しみに共感する声も聞こえてくる。
熊沢容疑者の自宅近くで理髪店を営む男性が振り返る。
「熊沢さんも息子さんも店に来てくれていた。息子さんは無口で『おじさん、いつもの』とだけ言って黙ってテレビを見ていました。熊沢さんは家族の話はしなかったけど、一度だけ『今の若者は難しいよ。ワガママだから』と話された。あれは息子さんのことだったのでしょうか……」
熊沢容疑者が東京・練馬区の自宅で同居する無職の息子・英一郎氏(44)を刺殺した事件は、日本社会が抱える問題を露わにした。
「英一郎さんは10数年前に家を出てひとり暮らしをした後、実家に戻っていた。事件の直前に英一郎さんは自宅隣の小学校の騒音に苛立ち、『運動会の音がうるせえな、子供らをぶっ殺すぞ』と発言。その言葉が殺害のきっかけとなったそうです」(全国紙社会部記者)
英一郎氏の遺体に残された刺し傷は数十か所に及び、父親の強い殺意をうかがわせた。この時、熊沢容疑者の脳裏をよぎったのは5月28日に神奈川県川崎市で発生した私立カリタス小学校の児童ら20人殺傷事件だ。
犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)が同じように引きこもりを続けていたことを受けて、「このままでは息子も第三者に危害を加えるかもしれない」と思い詰めて犯行に及んだと、熊沢容疑者は供述したとされる。
熊沢容疑者は東大法学部を卒業後、農水省に入省。経済局長や農水審議官などの国際畑を歴任し、2001年に事務次官に就任した。熊沢容疑者を知る農水官僚が指摘する。
「エリート街道のど真ん中を歩いてきたのに温和で立派な方だった。出世したいという野心もなさそうで周りが盛り立てるタイプでした。家族について話すのを聞いたことはありません。悩みを抱えているようにはまったく見えなかった」
小泉政権下の2002年、BSE問題の不手際の責任を取って事務次官を退任し、駐チェコ大使などを経て、リタイア生活に入った。だが、その暮らしは平穏とはほど遠かった。
息子の英一郎氏は定職につかず、アニメやゲームに心酔して、親の仕送りで暮らしていた。自身のツイッターでは、
〈庶民が、私の父と直接会話なんて、1億年早いわヴォケ!!!〉 〈もし殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺すな〉
などと、両親への複雑な思いを吐露していた。
都内でひとり暮らしだった英一郎氏はゴミ出しなどをめぐり近隣トラブルが絶えず、熊沢容疑者の心労は重なるばかりだった。事件6日前には暴れる英一郎氏から激しい暴行を受けたと熊沢容疑者は供述している。
※週刊ポスト2019年6月21日号
最終更新:6/10(月) 7:00 NEWS ポストセブン
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