貴乃花が語った「弟子・貴景勝への思い」と「父から学んだ“一子相伝の秘技”」 文藝春秋 2019年1月号

2018-12-15 | 相撲・野球・・・など

貴乃花が語った「弟子・貴景勝への思い」と「父から学んだ“一子相伝の秘技”」
 2018年12月15日 07時00分 文春オンライン
 「弟子を褒めない人が珍しく、褒めてくれました。『オマエなァ、普通なら緊張して体が動かないのが当たり前なのに、よく勝った。勝てると思わなかったのに……』と」
 9月に日本相撲協会に引退届を提出した元貴乃花親方が、ジャーナリスト・二宮清純氏のインタビューに答え、半生を捧げてきた「平成の大相撲」を総括した。
 元貴乃花親方は、昭和の終わりに角界の門を叩くと、平成4年(1992)に初優勝。平成6年には22歳で横綱に昇進し、その後、平成15年の引退までに22回の幕内最高優勝を達成。誰もが認める「平成の大横綱」だ。
 冒頭で紹介したのは、1991年の5月場所初日で、横綱・千代の富士を破った際に、父・貴ノ花からかけられた言葉である。
■「一子相伝の秘技」とは
――この金星は、昭和から平成へのスター交代を突きつけました。18歳9カ月での金星は史上最年少です。
「私は前頭筆頭でした。場所前の報道で当たるのではないか、という予感はしていました。ただし緊張はなかったですね。横綱相手に、胸を借りるつもりでぶつかっていこう。考えていたのは、そのことだけでした」
――千代の富士関と対戦するにあたり、先代から戦術的なアドバイスは授かっていたんですか?
「それは以前から授かっていました。具体的には言えませんが、教わるたびに、これはすごいなと。プロの職業とはこういうものだと驚いてばかりいました」
――まさに一子相伝の秘技ですね。
「これは、はっきり言ってウチの弟子にしか教えていません。いや、教えようとしても、弟子がそのレベルに達していないと意味がないんです。技術を先に教えるとつぶれていく場合もある。私が育てた弟子の中で、それができるレベルにあるのは、今のところ貴景勝だけです。いわゆる暗号めいた指示でも、彼は理解できる」
 このインタビューで、元貴乃花親方は、2001年、最後の優勝となった武蔵丸との取組や九州場所での愛弟子・貴景勝の初優勝について語り、さらに、今後の相撲界のために法人を作って「全国行脚」を開始することも明かした。
 全文は、発売中の 「文藝春秋」2019年1月号 で読むことができる。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年1月号)
 文春オンライン

 ◎上記事は[@niftyニュース]からの転載・引用です
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「少しずつ、人生を取り戻せています」貴乃花が漏らした本音
「文藝春秋」編集部 2018/10/10
source : 文藝春秋 2018年11月号
genre : エンタメ, スポーツ
「私、貴乃花光司は本日、公益財団法人日本相撲協会に年寄を引退する旨の届を提出いたしました」
 9月25日、貴乃花親方が記者会見を開き“電撃引退”を発表した。その後、10月1日に弟子たちの千賀ノ浦部屋への転籍が認められたことで、日本相撲協会の親方職を失職した。1988年の初土俵入りから2003年の引退までに通算794勝を挙げ、22回の幕内最高優勝を果たした「平成の大横綱」の相撲人生はこれで一区切りを迎えた。

   
    「感動した」最後の優勝 ©共同通信社 
 
 “引退会見”から3日後、貴乃花親方は旧知のスポーツジャーナリスト・二宮清純氏にこう心中を吐露していた。
「少しずつ、人生を取り戻せています。ご飯の味、お酒の味……。おいしさを感じるようになったんです。それまではただ寝て、起きてという日々でしたから……」
 二宮氏は1990年代前半の「若貴フィーバー」全盛期の頃から、藤島部屋に足を運んでいた。1994年に22歳で横綱に昇進した貴乃花親方に対し、「これからの希望は?」と尋ねるとこんな答えが返ってきたという。
「……早く老人になりたいです」
 ハタチを過ぎた頃から感じてきた「綱」の覚悟と重み。貴乃花親方が歩んできた相撲人生はいかなるものだったのか、そしていったい、彼は何と闘い続けてきたのか。
 発売中の「文藝春秋」11月号では、貴乃花親方がこれまで二宮氏に明かしてきた本音を交え、彼が歩んできた激動の相撲人生を辿っている。

 ◎上記事は[文春オンライン]からの転載・引用です
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貴乃花いない大相撲でも初優勝した貴景勝 師匠譲りのマイペースとは? 2018.11.25
孤高の貴乃花親方、不可解行動に秘められた真意  理事剥奪も覚悟、激しさ増す執行部とのせめぎ合い
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