知らないのは日本人だけ?(2)原発は安い、という神話/国民も経済界も原子力村の論理に絡め取られている

2011-06-14 | 政治

知らないのは日本人だけ?(Part2)「原発は安い」という作られた神話
JBpress 2011.06.14(Tue) 川島 博之

 人類はエネルギー源として、石油、石炭、天然ガス、原子力などを用いている。ただ、石炭を使うようになったのは、ここ200年のことだ。石油は100年、天然ガスは60年、原子力は40年ほどの歴史しかない。それまでは、燃料として木材を使ってきた。
 技術の進歩によって、次々に新たなエネルギーが出現したが、それが広く使われるかどうかは、コストが関わっている。産業界は安いエネルギーを求める。
 日本は戦後の一時期まで石炭を使用していたが、昭和30年代に石油に転換した。中東から大量の石油が供給されるようになり、石炭より石油の方かコスト面で有利になったからだ。
 日本は戦後の焼け野原から新たに産業を立ち上げた。そのために、自由にエネルギーを選択することができた。そして、いち早く石油に切り替えたことが高度成長をもたらした。
 一方、戦勝国でありながら戦前からの工業国であったイギリスは、石炭から石油への転換が遅れた。石炭を使用する設備が多数存在し、また石炭産業の労働組合が強かったためだ。その結果、イギリスの産業は衰退した。
 このようにエネルギーと社会のあり方の間には深い関係がある。適切なエネルギー源を選択しない社会は衰退する。
*21世紀に入ってから原発の比率は減少している
 そんな目で、下の図[原子力発電の1次エネルギーに占める割合、出所:IEA(国際エネルギー機関)]を見ていただきたい。

これは原子力発電が「1次エネルギー」に占める割合を示したものである。1次エネルギーとは総エネルギー供給量のことである。この図から、世界がどんな思いで原子力発電を行っているか読み取ることができる。
 日本では原子力発電は安いとされている。それは、電気事業連合会がそのように試算しているからだ。
 ただ、昨今は原子力発電が本当に安いかどうかについて議論がある。燃料代は安いが、反対派対策などに社会的コストがかかり、また、使用済みの燃料を処分するにもコストを要するためだ。廃炉など最終処理に要するコストは、今でもよく分かっていない。
 このようなことを考える場合には、世界を広く見渡して見ることも必要だ。もし原子力発電が本当に安いエネルギーならば、多くの国が原子力発電を増やすだろう。その結果、1次エネルギーに占める原発の割合は上昇する。
 だが、図を見て分かるように、21世紀に入ってから原発の比率は減少している。アメリカも原発大国とされるフランスでも、原発の1次エネルギーに占める割合は横ばいか、低下傾向にある。
*多くの国が心の底で思っていること
 なぜ低下しているのであろうか。スリーマイル島やチェルノブイリの事故が影響していることは確かだ。反対運動が盛んになったために、原発を建設することが難しくなったのだ。だが、そうした社会的コストが高くつくようになったのは、日本やドイツなど先進国でのことだろう。
 先進国だけが原発を持っているわけではない。インド、パキスタン、メキシコ、アルゼンチンなど多くの国が所有している。それらの国では、反原発運動は先進国ほどには強くないと思う。それでは、なぜそのような国で原発による発電量が増えなかったのであろうか。
 それは、多くの国が、心の底では「原発は高い」と考えているためと思われる。
 近年、安価な天然ガスが豊富に存在することが分かり、ヨーロッパを中心にその利用が進んでいる。また、中国の奇跡的な経済成長は、安価な石炭を利用したものだった。石炭は単位エネルギー当たりのCO2排出量が石油や天然ガスに比べて多いために、多くの国はその使用を控えている。しかし、中国はそんなことはお構いなしで、大量に使っている。
 今になって中国も原発を造り始めているが、それは言ってみれば、バブル景気に踊って気が大きくなっているせいだろう。原発を大量に造り始めたのは、航空母艦の保有を願う気持ちと同じと見てよいと思う。
 各国とも、エネルギーが経済と深く関わっていることをよく知っている。だから、1990年代になると、原発を増設することはなかった。それは、使用済み燃料の最終処理まで考えると、原子力が決して安いエネルギー源ではないと思っているからだ。
「原子力の平和利用」の裏側にあった思惑
 図より分かるように、原発が増えたのは冷戦時代の70年代から80年代にかけてである。そして、冷戦が終了した90年代に入ると横ばいになり、21世紀になると減少し始めた。
 80年代は石油価格が低迷した時代であったが、それでも原発は増えた。一方、石油価格が高騰した21世紀に、原発による発電割合は減少している。このことは、原発が安いエネルギー源として造られているのではなく、「安全保障」と密接な関係を有していることを示している。
 日本が原発を造った動機も、既に多くの人が指摘しているように、安全保障が深く関わっている。広島、長崎に原爆を落とされた日本では、国民感情を考えれば原爆を持つことはできない。そうであればなおさらのこと、原発を所有し、それのみならずプルトニウムを燃やす技術を開発して、潜在的核保有力の高さを誇示する必要があった。
 歴代の自由民主党政権は原発保有の安全保障面でのメリットを重視してきた。そのため、少々の事故には目をつぶり、またコストを無視して多額の税金を投入してきた。
 そして、安全保障面での効果を期待しながらも、そのことをおくびにも出さなかった。原子力の平和利用を強調してきた。
 このような二重性が原発の周辺の人々を甘やかし、そして利権を生んだ。利権はがん細胞と同様に自己増殖し始める。福島第一原発事故の後に「原子力村」と揶揄されるようになった集団は、「原発は安い」と言う神話を作り上げ、また地球環境問題への対応を追い風にして原発を増設し、利権を拡張しようとしたのだ。
 世界はコスト面から原発を冷めた目で見ていたが、原子力村の住人たちは、世界の趨勢とは全く異なるイメージを国民に植え付けることに成功した。
 それは戦前に、帝国海軍がより多くの軍艦を造りたかったために、米国は敵だと国民に向かって宣伝したようなものだった。
国民も経済界も「原子力村」の論理に絡め取られている
 本来、政治家は「帝国海軍」や「原子力村」のように利権集団化したグループを上手くコントロールしなければならない。だが、戦前もそうだったが、日本には広い視野に立って利権集団をコントロールできる政治家が少ない。
 素人同然の政治家たちは、専門家集団である原子力村の論理を素直に受け入れてしまった。それが、地球環境問題への配慮を謳った民主党の原発増設計画だった
と思う。
 今日では、安全保障のためにたくさんの原発を建設する必要はない。冷戦が終わり、民族紛争型の戦争が増えたために、多くの国が原発は少数で十分だと考えている。だから、経済的合理性がない原発を造らなくなってしまった。
 しかし、原子力村の論理が優先した日本は、世界と全く違う道を歩もうとした。多くの国民も、「原子力村」が発信した「原発は安いエネルギーであり、資源のない日本には必要である」との論理を素直に受け入れている。
 その結果、福島の事故後も、世論調査で約半数の人が「原発は必要」と回答している。経済界のリーダーたちも、原子力村の論理に絡め取られ、原発の推進がかえって経済の成長を阻害している事実を読み解けないようだ。
*原子力への膨大な税金投入が日本の低迷の一因
 これまで、中国共産党はエネルギー問題に関しては徹底的にリアリストだった。地球環境問題などへの配慮などどこ吹く風で、安いエネルギーを使った。そして、それが成功につながった。
 しかし、日本では政治家も国民も原子力村の論理に流されてしまった。
 先にも述べたように、エネルギーと経済発展には深い関係がある。日本が世界の趨勢と異なったエネルギー政策を実行し、膨大な税金を原子力に投入し続けたことは、ここ20年ほど経済が成長しなくなった一因になっていると思う。
 日本では利権集団の世界観が国内を席巻し、世界と異なる非効率な政策が実施されることが多い。このあたりを、どう見直すか。福島第一原発の事故は、専門家集団のコントロールという新たな問題を投げかけている。 *強調(太字)は来栖
 <筆者プロフィール>
川島 博之 Hiroyuki Kawashima
 東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員などを経て、現職。主な著書に『農民国家 中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』など
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原発保有国の語られざる本音/多くの国は本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり2011-05-10 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
 知らないのは日本人だけ? 世界の原発保有国の語られざる本音
JB PRESS 2011.05.10(Tue)川島博之〈東京大学大学院農学生命科学研究科准教授〉
 4月の最終週に、ドバイ経由でエチオピアに出張した。出張ではホテルのロビーなどで外国人と何気ない会話を交わすことも多いのだが、今回出会った人々は、私が日本人と分かると、異口同音に「FUKUSHIMA」について聞いてきた。世界の人々が原発事故に関心を寄せているのだ。福島は広島、長崎と共に、広く世界に知られた地名になってしまった。
 日本はこれからも原子力発電を続けるべきであろうか。それとも、原発は取り止めるべきなのだろうか。
 報道各社による直近の世論調査では、賛否はほぼ拮抗している。多くの人が、地震が多い日本で原子力発電を行うことはリスクが伴うが、便利な生活を送るためには仕方がないと考えているのだろう。
 現在は、原発から漏れている放射性物質の封じ込めや津波で破壊された町の復興に関心が集まっているが、一段落つけば、これから原発とどう付き合うか、真剣に議論しなければならなくなる。
 その議論を行う前に、世界の原発事情についてよく知っておくべきだ。フランスが原発大国であることを知っている人は多いと思うが、その他の国の事情については、よく知られていないと思う。
 筆者の専門はシステム分析だが、システム分析ではデータを揃えて広い視野から先入観を持たずに現実を直視することが第一歩となる。そこで本稿ではIEA(国際エネルギー機関)のデータを基に、世界の原発事情について考えてみたい。そこからは原発の意外な一面が見えてくる。
*原発を所有する国の意外な顔ぶれ
 原発は最先端の科学技術を利用したものであるから、先進国にあると思っている人が多いと思う。しかし、調べて見るとどうもそうとは言い切れない。
 現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOE)で年に2億1800万トンにもなる(2008年)。
 それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている。
 その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている。
 旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである。
 その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている。
 原発を保有している国はここに示したものが全てであり、先進国でもオーストリア、オーストラリア、デンマーク、アイルランド、イタリア、ノルウェー、ニュージーランド、ポルトガルは原発を所有していない。
 ここまで見てくると、一概に原発は先進国の持ち物と言うことができないことが分かろう。
*多くの国は本音で核兵器を持ちたがっている
 東欧諸国は旧共産圏時代に建設し、今でもそれを保有している。しかし、台湾やインド、ブラジル、南アフリカ、パキスタンになぜ原発があるのだろうか。韓国の発電量がなぜドイツよりも多いのであろうか。また、G7の一員でありながら、なぜイタリアには原発がないのか。
 原発の有無は、その国の科学技術力や経済力だけでは決められない。
 ある国が原発を所有する理由を明確に知ることは難しい。その国の人に聞いても、明確な答えは返ってこないと思う。しかし、原発を持っている国名を列記すると、その理由がおぼろげながら見えてくる。原発は国家の安全保障政策に関係している。
 原子力による発電は原子力の平和利用であるが、ウランを燃焼させることにより生じるプルトニウムは原子爆弾の原料になる。また、原発を製造しそれを維持する技術は、原爆を製造する技術につながる。原発を持っている国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができるのである。
 北朝鮮が原爆の所有にこだわり、それを手にした結果、米国に対して強い立場で交渉できる。この事実は広く知られている。そのために、イランも原爆を欲しがっている。
 米国が主導する世界では、世界の警察官である国連の常任理事国以外は核兵器を所有してはいけないことになっている。それ以外の国が原爆を持つことは、警察官以外が拳銃を持つようなものであり、厳しく制限されている。
 しかし、各国の利害が複雑にぶつかり合う世界では、金正日が米国に強気に出ることができるように、核兵器を持っていることは外交上で有利に働くと考えられている。
 多くの国は、本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり、原発保有国のリストと発電量を見ていると、その思いの強さが伝わってくる。
*フランスが原発大国でイギリスの原発が小規模な理由
 日本では、フランスが原発大国であることはよく報じられるが、その理由が語られることはない。フランスが原発に舵を切ったのは、地球環境問題がやかましく言われるようになった1990年代以前のことである。フランスはCO2を排出しない発電方法として原発を選んだわけではないのである。
 それには、西側にいながら米国と一線を画したいと考えるドゴール以来の外交方針が関連していると考えるべきであろう。同様の思いは、国防に関心が深いスウェーデンやスイスにも共通する。また、フィンランドは常にソ連の脅威にさらされてきた。
 そう考えると、西側の中でもイギリスの原発発電量がスウェーデンよりも少なく、フランスの約1割に過ぎないことがよく理解できよう。イギリスの外交方針が米国と大きく異なることは多くない。原子力の力を誇示して、ことさらに米国と一線を画す必要はないのである。
 韓国に原発が多いことも理解できる。米国が作り出す安全保障体制の中で原爆を持つことは許されないが、北朝鮮が持っている以上、何かの際に原爆を作りたいと考えている。
 その思いは台湾も同じである。旧共産圏に属する小国が、多少のリスクに目をつぶって原発を保持し続ける理由もそこにある。東西の谷間に埋もれるなかで、少しでもその存在感を誇示したいと思っているのだ。
*「絶対安全」とは言えない原発の所有を国民にどう説明するか
 このような力の外交の一助として原発を位置づけるという考え方は、多くの国で国民にそれなりの理解を得ているようだ。だから、フランスや韓国や台湾、ましてパキスタンで反原発のデモが繰り返されることはない。
 しかし、日本、ドイツ、イタリアではそのような考え方は国民のコンセンサスとはなり難い。言うまでもなく、この3国は第2次世界大戦の敗戦国であり、多くの国民は力による外交を毛嫌いしている。そのために、原発の所持を安全保障の観点から国民に説明することが難しくなっている。
 この3国では原発所持の理由を、経済性や絶対安全であるとする観点から説明することになる。しかし、それだけでは、使用済み燃料の最終処理に多額の費用を要し、また、福島の事故で明らかになったように、絶対安全とは言えない原発の所有を国民に説明することはできない。
 イタリアはチェルノブイリ原発事故の後に国民投票を行い、原発を廃止した。また、ドイツも緑の党などが強く反対するために、福島の事故を受けて、原発の保有が大きな岐路に立たされている。
 ここに述べたことを文書などで裏付けることは難しい。しかし、原発の保有国リストや発電量を見ていると、自然な形で、ここに述べたようなことが見えてくる。世界から見れば、日本の原子力政策も潜在核保有力の誇示に見えていることであろう。
 これまで、日本における原発に関する議論は、意識的かどうかは分からないが、本稿に述べた視点を無視してきた。
 しかし、原発の経済性と安全性の議論だけでは、なぜ、原発を持たなければならないのかを十分に議論することはできない。福島の事故を受けて、今後のエネルギー政策を考える際には、ぜひ、タブーを取り除いて議論すべきであろう。
 戦後66年が経過しようとしている。少子高齢化も進行している。そろそろ、老成した議論を始めてもよいのではないであろうか。(背景の着色は来栖)
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