中断を繰り返したが、『廃用身』を読んだ 〈来栖の独白 2020.10.08〉

2020-10-08 | 本/演劇…など

〈来栖の独白 2020.10.08 Thu〉
 なんだかんだケチをつけたりぼやいたりし、中断を繰り返したが、『廃用身』(日下部羊著 幻冬舎文庫)を読んだ。「廃用」という言葉すら、初めて目にしたのだった。「もう、二度と読みたくない」と思うが、なぜか気になる本。『ウィキペディア(Wikipedia)』から、「あらすじ」を引用転載させていただく。

老人のデイケア医療に携わる医師・漆原はある日、“廃用身の切断”という画期的な治療法を思いつく。職員と話し合いを重ね、患者の同意を得て、切断は行われた。
切断後、その患者を担当するケアマネージャーの肉体的負担は軽減され、被介護者である患者は邪魔な部分がなくなり、心身ともに身軽になり、その予想以上の変化は漆原を大いに驚かせた。
廃用身の切断はやがて、“切断”を意味するラテン語amputatio”(アンプゥターティオー)、あるいはそこから派生した近代欧文“amputation”(英 アンピュテイション; 独 アンプゥタツィオーン; 仏 アンピュタシヨン)の頭文字を取って“Aケア”と呼ばれるようになり、10人を越す患者がこの処置を受けた。老人性のうつ症状痴呆の症状が改善される人々を見て、漆原は“Aケア”に未来を感じる。
だがそれよりも先に、漆原の行為は医療ジャーナリストによって、“患者の手足を切る悪魔の所業”などと書き立てられ、マスコミの耳目を集める。

 私は「廃用身」という言葉にいまだに違和感を禁じ得ない。「廃用」と言い、痛み、不都合となった廃用身(手とか脚)を切断する行為に違和感を禁じ得ないが、その医師が自殺するというドラマの展開に、わずかに心の接点・決着を見た。
 医師であり作家である加賀乙彦氏・帚木蓬生氏とは、全く異なる小説世界。分野(精神科医・外科医)の違いがもたらす様相か。


『廃用身』で、止まった。 〈来栖の独白 2020.9.30〉


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