2008/11/10 (69
新しい旅立ち(4)
慈円のほっそりした眉が、けげんそうにかしいだ。
「なにゆえーーー」
そのように急ぐのじゃ、と慈円はいった。
「得度、受戒はせずとも、この白河房に入るということは、出家を決意し沙弥として生きること。出家とは、この世をすてることじゃ。まだ9歳というのに、なにをそのように急ぐことがある」
横から範綱があわてた口調で、
「そうじゃ、忠範。いずれ日をあらため、心の準備をしたうえで入室させていただけばよい。まだ身内の者との別れさえすんでいないではないか」
「いいえ」
忠範はまっすぐに慈円の目をみつめていった。
「出家を志すからには、わたくしには父も、母も、兄弟もおりませぬ。お山へいくときめた日から、わたくしはそのような縁をすてました。それにここへまいる途中、たくさんの死人(しびと)を見ました。いまの世に生きる者たちには、明日という日はございません。きょう、このとき、いましかないのです。ですから・・・」
範綱は恐縮しきった顔でうつむいた。慈円がにこりと笑った。笑顔になると少年のような表情になる。
「おもしろいことをいう。忠範とやら、そなた、こういう歌をしっておるかの」
慈円は、遠くの音に耳をすませるような顔つきになると、目をとじて朗々とうたいだした。澄んだ美しい声だった。
あすありと おもうこころの あだざくら
そこまでうたうと、歌をやめ、
「さて、この後をつづけてみよ」
「しりませぬ」
と、忠範は正直に答えた。慈円はいった。
「しらぬが当然よ。この歌は、いまふと心にうかんだ言葉をうたったまでのこと。その後を、そなた、わが思う言葉で勝手によんでみよ。明日ありと思う心の仇桜、じゃ。さあ、その後は?」
忠範は心を決めた。姿勢を正し、目をとじて、心にうかぶ言葉に耳に覚えのある節を勝手につけてうたいだした。
あすありと おもうこころの あだざくら よわのあらしの ふくぞかなしき
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〈ゆうこのつぶやき〉
忠範の危機感。福音の危機感。これは、社会の底辺の人びとの苦しみや嘆き、困窮を他人事と看過できないところから来る。忠範の生きた時代も、そして私の生きている今の時代も、同様だ。突如解雇を言い渡された人は、同時に住まいを失う。野宿者となる。現在私はやめてしまったが、以前野宿労働者の方たちへの「炊き出し」活動に参加していた。冬は「越冬」といって、毎日一椀の雑炊を提供した。飢えと寒さで亡くなる方たちが多くなるからだ。危機感と、それから行政への怒り。これが必要だ。「いまの世に生きる者たちには、明日という日はございません」と忠範は云う。