石巻3人殺傷 少年事件「死刑判決」 賛否 短い評議 制度に課題 処罰感情 更生(毎日新聞2010/11/27)

2010-11-27 | 少年 社会

石巻の3人殺傷:死刑判決 記者座談会 「少年と死刑」記者は… /宮城
 毎日新聞  2010年11月27日
 少年事件の裁判員裁判で初めて死刑を言い渡した石巻3人殺傷事件の仙台地裁判決から一夜明けた26日、事件と公判の取材を担当した毎日新聞仙台支局の記者7人とデスクは座談会を開き、「少年と死刑」の現場に向き合った感想や裁判員制度について話し合った。裁判員たちが判決後に「悩んだ」「苦しかった」との心情を示したのと同じように、死刑適用の是非について記者たちも悩み、考え方にもそれぞれ違いがあることがあらわになった。
■判決に賛否
--死刑判決に対する率直な感想は?
藤 特に驚かなかった。(2人の命が奪われた)結果の重大さからみて死刑は妥当ではないかと思っていた。
鈴木 無期懲役だと思っていたので驚いた。少年の更生可能性を全くゼロにするのはあり得るのかなと。ひどい人間だとは思うが完全に更生の道を閉ざしてしまうとは。
比嘉 僕も驚いた。公判を傍聴して、少年があまりにも未熟だと感じた。少年は公判で初めて遺族の処罰感情を目の当たりにし、ようやく反省し始めたところで結審した印象だった。反省が足りないと決めつけて更生の可能性がないと判断するのは少しやり切れなさが残る。公判で反省が深まっていないと言われるのは不利ではないか。
--少年に対する死刑判決は妥当?
三村 自分が大学生の時もある程度常識を持っていた。18歳も19歳もそこまで子供ではないと思う。遺族の気持ちもあるし、「18歳だから死刑を避けるべきだ」との判断はいかがなものか。
高橋 事件発生時から取材にかかわり、関係者も含めて未成熟だと感じた。公判でやっと反省の色が出てきたと思っていた。ただ死刑制度がある以上は事件の重大性と照らし合わせると極刑を選択せざるを得ないケースだったのかなと思う。26日付の毎日新聞に「死刑判決は、いくら正当な理由があっても、それ自体、殺人であることには違いない」という識者の論文が掲載されているが、僕の心情にぴったりくる。僕は死刑判決に踏み込めない。自分が人を殺す判断に「かかわりたくない、殺したくない」と正直思う。
鈴木 弁護士も言っていたが「短い時間でどれだけ反省しているか。今後どうやって反省するか」は証明できるものではない。特に少年の場合は変わる可能性があると思う。死刑が完全にあり得ないというわけではないが、もっと更生の可能性が分かるような制度が必要だ。
丸山 死刑判決よりも、なぜ事件をくい止められなかったのかを考え、二度と同じ事件が起きないようにすることが大事だと思う。裁判員が判決後の会見で「何とかならなかったのかな」と言っていた。やっぱり何とかできたと思う。その方法を探るべきだ。
■短い評議、制度に課題
--少年は反省したと思いますか?
須藤 少年は反省しているように見えた。ただ謝罪を述べる時も「場当たり的な発言なのではないか」と疑った。保護観察処分中に事件を起こしたということもあったし。反省はしているかもしれないが少年の本質的な部分は変わらないのではないかと思った。
垂水 どんなに反省しても、人を脅したり、たばこの火を押し付けた人をもう一度信じるのは難しい。短い時間の中で人の考えを見極めるのは難しい。
--評議時間についてはどう考えている?
高橋 短かった。裁判員は自分の判断を批判することになるから言えないと思うが、裁判員の負担が重かったはずだ。
須藤 制度で不十分な点はあるのではないか。評議の時間や証拠資料が少ないという問題などは検討する必要がある。裁判員がきちんと判断する材料があったのか。結果だけを裁判員に求めるのは酷だ。
鈴木 資料が少ないというのは成人の場合でも同じ。ただ、増やしすぎると裁判員の負担になる。裁判官が何日も徹夜して資料を読み込んできた今までの刑事裁判を変えようと裁判員裁判が始まった。負担と証拠のバランスはこれからもずっと付いてまわると思う。
比嘉 裁判の流れとして、証拠調べの途中で遺族の意見陳述があれば、その後の少年の供述が変わったのではないか。今回は少年が「ひどいことをしてしまった」との気持ちにようやくたどり着いたところで結審した気がする。そこで死刑と判断するのはわだかまりが残る。
--遺族の処罰感情に判決は影響されたのだろうか?
須藤 プロの裁判官に比べたら裁判員は感情には流されやすいと思う。
高橋 そこは気になるところ。遺族の立場になると死刑を求めたくなるのは当然のこと。それを前提として客観的に判断できているのかなと思う。裁判員裁判の制度を見直す時には、扱うべき事案をどうするかなど課題はあるはず。
三村 法廷で被害者の生前の写真を公開したりするのはパフォーマンスになりかねないと思った。
比嘉 裁判員裁判だったから死刑判決になったとは思わない。光市の母子殺害事件ではプロが裁いて死刑判決になったんだから。今回も仮にプロだけで裁いて死刑になったとしても全く不思議ではない。
◇裁判員の負担重く
--裁判員の負担は大きかったと思うが。
須藤 大きい。死刑は人の命を奪うことで、事実上今回の裁判では死刑か回避かだった。プロの裁判官でも昔は何カ月もかかっていたのに、それをわずか数日で決めるというのは。
鈴木 死刑だから裁判員裁判にはふさわしくないというのとは違うが、負担は大きいはず。最高裁は面接を5回まで無料で受けられる精神的なケアを設定しているが、裁判員の苦しみは一生続くので意味があるのかと思う。
--もし自分が裁判員になったらどうしますか?
垂水 今のままで自分が裁判員になったら不安に思うことは多い。
三村 判決は市民から選ばれた裁判員6人と裁判官3人で決めるのに、会見には裁判員だけ出席して裁判官が出席しないのはおかしい。死刑判決ではあまり話したくないはずなのに、裁判員だけ会見してプロの人が横にいないというのは負担が大きいと思う。
鈴木 裁判員裁判は事件にまったく関係ない人たちが社会について考えるきっかけとなるプラスの面もある。負担だけを強調すべきではない。
丸山 別の裁判員経験者が「自分が知らない世界を知った」と話していたが、裁判所で傍聴すれば、それは見られる。裁判員裁判を国民の新たな義務として強制しているところで「知らない世界を知った」と制度を評価することはおかしい。むしろ裁判員になる前から主体的に裁判を傍聴すればいいだけの話だ。
--少年事件を裁判員裁判で裁くのはさらに難しいと。
須藤 難しいが解決の方法はあると思う。少年とみなして健全育成の少年法の理念に沿う方法と、殺人罪などの重大事件の場合は成人と同じ扱いとするかの二つ。法律などでどちらかに決めてしまう必要があるのではないか。
高橋 刑事裁判では18~19歳の年長少年の扱いがグレーになっている。仮に評議で無期懲役を主張した人がいたとしても、多数決で死刑になれば精神的な負担になるだろう。折り合いをどうつけるのだろうか。
■更生の仕組み必要
--少年は死刑判決を「受け入れる」と話しているようだが?
須藤 死刑の意味を本当に理解しているのか疑問だ。自分のこととして受け入れているのかなと思う。
比嘉 僕は本心だと思う。
鈴木 さすがに控訴しなければ死刑が確定してしまうことは理解しているはず。公判で遺族の意見を聞いて「自分はクズみたいな人間だ」と気付いたと思う。それだけに残念だというのがある。
--死刑判決で遺族感情は和らぐ?
垂水 「控訴しない」と言ったことは、遺族が「(判決を)きちんと受け入れてくれているんだ」という一つの指針にはなっているのでは。今後控訴することになるかもしれないが、反省が表れている部分ではあると思う。
比嘉 それは当然。無期懲役になった時の被害者の悔しさを考えると。ただ応報させないための機能が司法だと思う。遺族の感情は最大限考慮しなければいけないが、死をもって償わせることは遺族の感情だけで考えられる問題ではない。
丸山 少年は命について簡単に人を殺すくらいの認識しかない。自分の命を奪われることに対してどれだけの重みを感じているのだろうか。つまり、死刑がそれだけつらい刑罰であると彼にはこたえていないのではないか。反省して苦しんで死んだならば遺族としても救われると思うが、命の重みを理解せずに簡単に死刑を受け入れた場合に償いを求める遺族感情に結びつかない。
--仮定の話だが、この事件はどの時点で防げたのだろうか。
高橋 少年が実母への傷害事件で鑑別所に入った時だと思う。少年院に入って更生の教育を受けていれば、DV(ドメスティックバイオレンス)も防げたと思うし、彼にとっても更生する機会があったはず。
比嘉 少年が公判で「自分一人の力では更生できない」と供述していたのはしっくりきた。少年を更生させるプログラムとして周囲の人も更生に協力してもらう土台を作らないと、自分が改心したつもりでも周りが暴力を肯定していたらすぐ染まる。非行少年だけをみても更生できない。若いころほど周りに流されやすいから。
......................
*座談会参加者 注・カッコ内は入社年
司会 瀬尾忠義(91) 高橋宗男(93) 丸山博(02) 比嘉洋(06) 鈴木一也(06) 須藤唯哉(08) 垂水友里香(09) 三村泰揮(10) 
 毎日新聞  2010年11月27日 地方版
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石巻3人殺傷事件 検察側、少年(事件当時18歳)に死刑求刑 (⇒2010年11月25日、判決言渡し) 仙台地裁 


2 コメント

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裁判員裁判と少年に対する死刑判決 (マチベン)
2010-11-29 11:10:20
なぜか、トラックバックがききません。niftyに苦情を言っているところです。
上記URL11月28日付に感想を書きました。裁判員裁判の時間的制約が少年の更生可能性に対する見方を不当に狭めていることに強い疑問を持ちました。
また、被害者遺族の感情を裁判員裁判が過度に重視していることにも疑問があり、同じブログの11月29日付にそのことも書いてみました。
ご参照ください。
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Re:裁判員裁判と少年に対する死刑判決 (ゆうこ)
2010-11-29 23:07:19
マチベンさん。
 コメントとご案内、ありがとうございます。拝見し、僭越ながら大いに同感致しました。TB不可とのこと。ならば弊ブログのエントリ本文へと思ったのですが、字数制限のため、このコメント内に転写させて戴くことをお許しください。
※URLを表示しましたところ「入力内容に不正なURLが含まれているため、コメントできません」と出ますので、URL無しで、申し訳ありません。
 マチベンさんのカテゴリー、【裁判員制度「反対」】と明記していらっしゃいました。私も端的に表明していかなくては、と思いました。
 心より感謝です。
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街の弁護士日記 SINCE1992
2010年11月28日 (日)
裁判員裁判で少年に対する死刑判決
26日、仙台地裁で少年に対する死刑判決が出された。
中日新聞の記事が事件を多角的によく分析していた。
過去20年余りで死刑求刑された少年は7人、そのうち2人殺害で死刑求刑されたのは3人。2人は無期懲役、唯一死刑判決を受けたのが光市母子殺害事件の被告で現在上告中だという。
だから、この事件は、光市母子殺害事件に続く2例目の2人殺害の少年の死刑判決ということになる。死刑に軽重がない以上、光市母子殺害事件と同等に凶悪で更生可能性なしと評価されたのだ。
「更生可否スピード審理」とする見出しは、事案の本質を突いているだろう。
仙台地裁は、「犯罪性行は根深い。他人の痛みや苦しみに対する共感が全く欠けている」とし、「更生可能性は著しく低い」と断定した。
たった5日の審理で、更生の可否について、踏み込んだ審理ができるだろうかと、冒頭の記事は疑問を投げかける。
少年事件では家庭裁判所の調査官を中心として、少年の成育歴について詳細な記録が作られている。
ところが、今回の裁判では、成育歴は証拠請求されず、鑑別結果報告書の一部が朗読されただけという。
家庭裁判所調査官の成育歴は極めて重要な証拠だ。発達心理の専門知識を持つ調査官が丹念に調査した結果の中には、事件を解く鍵が含まれている場合もある。
これが証拠請求されなかったのは、裁判員のために、審理の時間を制約しようとする裁判所のせいだろう。
僕は修習生時代に、刑事裁判修習中に少年の殺人未遂事件に当たったことがある。
後続車両から降りてきて少年の車を叩いた男に対して、少年が、やにわに車内のナイフで、斬りつけたという事件だった。
調査官は、少年が沖縄の離島出身であることに着目していた。少年が、本土に渡った後、沖縄差別を繰り返し体験したこと、その中で、周囲に対して過剰な警戒心と恐怖感を抱きながら生きてきた経過に着目していた。そして可能なら、少年の育った島を訪ねて島独特の風土で育った少年の成育歴をさらに調査したいと記載していた。
凶悪というより、本土における差別の中で植え付けられた恐怖心がナイフを振り回すという突発的な行為として発現したという見方だ。
凶悪・凶暴とは違う恐怖心のなせる発作的な犯行という見方だった。
裁判官から意見を求められた僕は、更生可能性を強く主張して、刑事事件ではなく、家庭裁判所へ送致して、少年事件として扱うべきだと強く主張し続けた。
裁判官は懐が深かったと思う。僕は不満足だったが、刑期を軽くするという形で、僕の意見をくみ入れてくれた(余談ながら、このときの国選弁護人は、殺意を否定する少年に対して、無理矢理殺意を認めさせるという尋問をしており、腹立たしかった。少年の弁護人は、修習生として直接、裁判官に意見を述べる機会があった僕だけだったと言っていい)。
話が横にそれた。
調査官の作る成育歴にはそれほどの重みがあるということだ。
読み込むのは大変だろうが、読み込むことができれば、素人ならではの発見と共感もあったかもしれない。
少年の更生可能性を表面的にしかとらえる時間がなかったのは返す返すも残念というほかない。そして、それが裁判員裁判であるがゆえに避けられないことだとすれば、やはり裁判員制度には根本的欠陥があるというべきだ。
是非、少年には控訴してもらいたい。
控訴審で十分な審理時間を確保してもらいたい。
中日新聞は、検察幹部が「弁護側が控訴したら高裁はどう判断するか。裁判員裁判の結果であっても判決の見直しがあるかもしれない」と語ったと伝えている。
検察から見ても、死刑判決は、重すぎるのではないかということだ。
中日新聞は、さらに少年に対する厳罰化を求める市民感情が背景にあることを指摘する。
厳罰化が不必要なことは、以下のグラフを示すだけで十分だろう。
少年の凶悪事件は、圧倒的に減っているのだ。減っていることを示すだけでは、少年に対する厳罰化を求める世論にはひょっとして不十分なのかもしれない。
激減して極めて異例になっただけに、この異例の者は社会には到底理解できない。
理解できないものを排除し尽くしたいという衝動が社会にはあるのかも知れない。
異端を排除しようとする神経症的な空気が社会に蔓延している。
危ない社会だと思う。
少年が控訴して、減刑されることを切に願う。
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2010年11月29日 (月)
裁判員裁判と遺族感情
裁判員裁判で死刑判決が続いた。
被害者の遺族の感情を重く見る傾向があると言われ、あるいは遺族感情に配慮すべきだとも言われる。
論理的には、遺族のいない被害者は軽く見られることになる。
また、遺族が何らかの信念で、極刑を望まないと言えば、死刑にはならないことになる。
自分自身のこととして、僕は少なくともこれだけは言える。
僕が何かの拍子に犯罪に巻き込まれて殺害されても、子どもたちには、犯人の死刑を望まないでほしい。
それは新たな殺人を望むことに他ならないから。
僕は、たとえ自分が殺されたとしても、犯人を殺したいとは思わないから。
人を殺さないということは、だれに対しても一番大事な徳目だと考えるから。
子どもたちよ、僕は、あなたたちをそう考えるように育ててきたと信じるから。
自分の子どもが殺されたとき、僕は、死刑を望まないか。
想像することもできない。
むつかしい問題だ。
しかし、望まないでいたい。
子どもたちは、きっと犯人を殺すことを望まないであろうから。
僕が、自分を殺した犯人を殺したくないと考えるのと同じように、子どもたちも自分を殺した犯人を殺したいとは思わないだろうから。
今でも印象に残っている手記がある。
オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件に関して、坂本弁護士の妻都子さんのお父さん大山友之さんの書いた著書(「都子聞こえますか-オウム坂本一家殺害事件・父親の手記」)の一節だ。坂本弁護士一家殺害事件の犯人たちに死刑判決が出た後の父親の気持ちが、そのまま綴られている。
手元にないので、正確性を欠くが、次のようだった。
法廷に通い詰めた大山さんは、死刑判決が出てほっとした心境とともに、果たして本当に都子さんは死刑判決を望んだろうかと自問自答する。障害児のボランティアに関わり、弱い人を助ける職業へと歩もうとしていた都子さんを思い描く。そして、命を何より慈しんでいた都子さんは、犯人の死刑など望まなかったのではないかと思い当たる。ひたすら犯人の死刑を望んだ自身と、都子さんの優しい人柄の間で割り切れない葛藤を抱いたまま大山さんは裁判所を後にする。
被害者遺族の感情は、それぞれだろう。
そして、死刑判決を望まないとしても、それは決して、家族を愛していなかったからではないこと、愛するが故に、死刑を望まない遺族もいるに違いないことを知っておいてほしい。
仮にそうであるならば、ことさらに遺族の被害感情を重視する量刑のあり方は、公平を欠くことにならないだろうか。裁判員裁判が過度に遺族の被害感情を重視する傾向があるのだとしたら、僕はこの点にも疑問を留保したい。
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