日本語として自然ではなかった「象徴」という言葉──日本人と象徴天皇(1)

2018-09-11 | 雲上

日本語として自然ではなかった「象徴」という言葉──日本人と象徴天皇(1)
社会2017年12月22日掲載
 まもなく、平成の世が終わる。天皇陛下の「生前退位」の意向が最初に明らかになったのは、2016年7月13日のNHKのスクープだった。政府は当初、その報道を否定したが、翌8月には天皇ご自身によるビデオメッセージが発せられた。
「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」
「既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
 約11分にわたるこのメッセージには、「象徴」という言葉が8回も登場する。メッセージを発した天皇の念頭には、言うまでもなく日本国憲法の第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」があったことだろう。
*「象徴天皇」によって肉付けされた言葉
 しかし、意外にもこの「象徴」なる言葉は、近代の日本にとってなじみの薄い言葉だったらしい。NHKスペシャルの取材班が、2015年に放映された同名の番組を基に書籍化した『日本人と象徴天皇』(新潮新書)の中で、昭和史に関する著作の多い作家の保阪正康氏は、こう述べている
「象徴という言葉をちょっと調べたことがあるのですが、私たちは今、日常的に使うけれども、もともと日本人は象徴という言葉を近代でそんなに使っていない。戦後の言葉ですよね。この憲法によって私たちが象徴という言葉を知ったということではないでしょうか」
 実際、1946年にGHQの草案に沿った形での憲法改正草案が発表されると、それを受けて草案を諮った枢密院での議論には、とまどいの様子がうかがえる。枢密院とは、憲法問題など重要な国務に関して顧問官が審議を行う天皇の諮問機関である。
「天皇の地位については依然として理解できない。象徴とは辞典によれば『無形の観念を有形なるものにて彷彿たらしむること』とあるが、天皇とは法律的意味に於いて『日本国の代表』なのか『代理』なのか、単に『標(しる)し』を意味しているに過ぎないのか」(林頼三郎顧問官)
「象徴の語は法的意味が不明なので『国家及び国民を代表す』と改定したらどうか」(美濃部達吉顧問官)
 つまり、象徴の是非を論じる以前の問題として、そもそも象徴なんて言葉を持ち出す意味がよく分からない、という反応が垣間見えるのだ。
 しかし、GHQ草案を受け取っていた松本烝治国務大臣は、「原案を修正することはできない」との立場を崩さなかった。こうして、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」との位置づけが確立されていくわけだが、この時点でその「象徴」が何を意味することになるのか、理解している人はほとんどいなかったのである。
*定義できない点が実はミソだった
 しかし、番組にも出演していた東京大学名誉教授の御厨貴氏は、『日本人と象徴天皇』の中で「定義できない点が実はミソだったのではないか」と述べている。
「『代表』とか言ってしまうと、それにどうしても政治的な意味が付与される。『象徴』というのは言い得て妙で、何となく政治的な意味はないなという感じがしますから。『象徴』という言葉は、この国が戦後の復興に向かって進んでいくプロセスの中で、更にみんなから”読み込み”があって、それぞれの人にとってだんだん『まあそうだよね』というものになっていった。最初は戸惑いがあって当然だったと思うんですね」
 1946年6月8日、「憲法改正草案」は、枢密院本会議において美濃部をのぞく賛成多数で可決された。こうして「象徴」という日本語に意味を込め、「血肉化」していく役割が、新たに日本国の象徴となった天皇に託されることになったのである。
 デイリー新潮編集部

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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 * 政治状況を冷徹に認識していた「君主」としての昭和天皇──日本人と象徴天皇(2)
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【両陛下 屋久島・奄美群島訪問へ 今年(2017年)11月で調整】---〈来栖の独白〉福音的行為と観ていたが・・・
 〈来栖の独白 2017.8.16 Wed〉
 長い長い間、私は天皇陛下の言動に深く敬意を抱き、共感してきた。天皇陛下の御行為は、おそらくは皇后美智子様の影響でもあろう、と思ってきた。
 その私に疑念が芽生えたのは、1年前の退位メッセージに接したときである。メッセージのなか、「象徴」という言葉の多さに、強い違和感を抱いた。「象徴天皇」とは、たかだか70年ほどの歴史。それに比して、「天皇」は、この国、有史以来の存在ではないか。
 退位メッセージ以来、私は、天皇さんの来し方、現在のあり方について、考えるようになった。
 現天皇(皇太子時代=明仁殿下)が、学習院中等科の1年生(12歳)の時、バイニング夫人が英語教師として赴任。夫人は、皇太子を英語名「ジミー」と呼んだ。名前に始まり、GHQ教育が施されていった。皇太子時代から天皇としての今日まで、私が陛下の言動に違和感を覚えず、むしろ「なんと福音的な」と、事あるごとに賛美し、頭を垂れてきたのは、GHQ教育がキリスト教教育であったためだろう。皇太子時代から天皇となられてからも、殿下・陛下は日本各地へ赴き、苦しむ人、悩む人たちを励まされた。それは、キリスト者である私の目に、キリスト・イエスの行為と重なった。見事に福音的行為であった。
 しかし、昨年の退位メッセージは、そんな私の見方を一変させた。GHQに洗脳された「左翼」なのではないか、と。有史以来の日本の伝統文化を、僅か70年ほどの「時間」に売り渡してしまわれた・・・。
 国連の女子差別撤廃委員会は、日本の男系天皇制に対し疑問視している。
 国民は、しっかり考えなくてはなるまい。「日本の文化」について。
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『東條英機 処刑の日』アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 猪瀬直樹著 (文春文庫) 2011/12/6

 
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昭和23年12月23日零時1分30秒、死刑執行開始 天皇明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか? 

   

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1 コメント

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象徴 (あやか)
2018-09-12 09:32:35
天皇陛下を【象徴】とする憲法の規定は、人によってさまざまな受け取りかたは、あると思います。
ただ、私は、この【天皇陛下象徴制】は、日本の数千年の國體(こくたい、国柄)から、さほど乖離しているとは思えません。
 日本の天皇様は専制独裁君主ではありません。
やはり、日本民族の象徴的な族長だった、、というのが伝統だったとおもいます。

 現在の【日本国憲法】が、戦後アメリカ占領軍から押し付けられた物であることは、まぎれもない事実ですが、
この憲法の第一条だけは、日本人の立場の言い分がかなり反映しています。
アメリカ占領軍との激しい交渉の中で【これだけは、譲れない】と言って主張した結果が、この第一条の規定なんですね。

ところで、この【天皇陛下の『象徴』の表現】を提唱したのは、『山本玄峰』という禅宗のお坊さんだったそうです。
この件につきましては、平成時代の始め頃、右翼の指導者『田中清玄』氏が、産経新聞に掲載された談話の中で証言して居られます。
 (私は、図書館で、古い新聞の保存したものを読みました)
もちろん、田中清玄氏の発言が正しいかどうかは、私にはわかりません。
しかし、『右翼』のひとでも、【天皇陛下象徴規定】に異議を唱える人は、いないでしょう。
私は、憲法9条は、改正すべきだと思いますが、【象徴天皇陛下の規定】
については、今のままで良いとおもいます。変にさわろうとすると、かえって政治的におかしな「【天皇制の問題提起?】とやら」をする人が、でてきますので、結果的に皇室にご迷惑をかけることになりかねません。

国民のあいだでも、「天皇陛下は日本人の象徴」という見方は定着しています。そして、それが戦後の皇室への敬愛の念をささえている事も事実です。

天皇陛下は、そのお言葉のなかで『象徴として、、、、』という言葉をよく使われています。
それは、象徴規定が制定された、さまざまな経緯を熟知された上で、そう、おっしゃってると思います。
天皇陛下が『左傾』していると言うご指摘には、必ずしもご同意できません。

宥子さまのお考えとは、少し違っているかも知れませんが、
わたしの乏しい知識の範囲で、感想を述べさせていただきました。
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