木曽川・長良川連続リンチ殺人事件 2011/3/10最高裁判決 〈2011/3/30判決訂正申立て棄却〉

2011-03-07 | 死刑/重刑/生命犯

「息子の無念晴らして」=被害者遺族、極刑求め-連続リンチ殺人10日判決・最高裁
 1994年に大阪、愛知、岐阜で男性4人が死亡した連続リンチ殺人事件で、強盗殺人などの罪に問われ、二審でいずれも死刑とされた当時18~19歳の元少年3被告に対する上告審判決が10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)で言い渡される。事件で長男江崎正史さん=当時(19)=を失った父恭平さん(66)=愛知県一宮市=は判決を前に、「息子の無念を晴らす判決を。死刑以外は望んでいない」ときっぱり語った。
 事件から約16年半。「ようやく気持ちをコントロールできるようになった」と話す母テルミさん(65)だが、悲しみが消えることはない。「息子はいないと分かっていても、2階から下りてくるような気がする。いつも心のどこかで考えている」と悲痛な面持ちで語った。
 裁判の焦点は少年だった3人に死刑が適用されるかどうか。恭平さんは「年齢ではなく、4人を殺したという行為によってのみ裁かれるべきだ」と強く訴える。3人からは手紙が届くが、「謝罪を受け入れる気持ちはない」。「裁判で責任を押し付け合う様子を見て、反省していないのが分かった。手紙にはきれい事しか書いていない」と怒りをあらわにする。
 「最高裁判決は大きな区切り、新しい一歩」と2人。恭平さんは「息子の供養をしながら新しく生きる道を探したい」と笑顔を見せる。一方、テルミさんは「望みと違う結果でも、最後だから受け止めなければならない。どうなるだろうと考えて眠れない日がある」と不安を隠せない様子だ。(時事通信2011/03/06-14:27)

木曽川長良川リンチ殺人事件 (旧HP原稿)
「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/2 遺族と被告、拘置所で面会」
凶悪犯罪とは何か1~4 【1】3元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決『2006 年報・死刑廃止』


木曽川・長良川連続リンチ殺人事件 判決訂正申立て棄却/ リンチ大佐 2011-04-02
 リンチ殺人の元少年3人死刑確定 最高裁、訂正申し立て棄却
 大阪、愛知、岐阜の3府県で1994年、男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件で、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は1日までに、強盗殺人罪などに問われ上告が棄却された元少年3人の判決訂正申し立てを棄却する決定をした。3人の死刑が確定した。決定は3月30日付。
 最高裁に記録が残る66年以降、少年事件で一度に複数被告の死刑が確定したのは初めて。最高裁が死刑適用基準(永山基準)を示した83年以降、犯行時少年の死刑確定は、故永山則夫元死刑囚(97年執行)の連続4人射殺事件と、92年に千葉県市川市で起きた一家4人殺害事件に続き3例目。
2011/04/01 18:17共同通信
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 国家と死刑と戦争と【1】弁護士・FORUM 90 安田好弘『2007 年報・死刑廃止』(インパクト出版会)
 例えば木村修治さんの場合ですと、判決の直前に、最高裁の知らないうちに戸籍を変える。判決に戸籍は必須ですから、その戸籍を間違えさせたわけです。あるいは判決の日は10時から裁判が始まったわけですが、9時55分に最高裁の窓口に裁判官忌避の申立を持ち込んだんです。忌避の申立というのはあらゆる事項に対して優先的に判断しなければならないわけですから、それを見落として裁判をする可能性に賭けたわけです。最高裁の窓口は1階にあります。法廷はそこよりもかなり離れたところにあります。ですから5分前に忌避を申し立てたら知らないまま判決を宣告してしまう。そうすると重大な手続き違反ですから、判決そのものが無効になって、もう1度争うことができると私たちは考えたわけです。いわゆるウルトラCを使おうとしたわけで、これは江頭純二さんたち当時一緒に闘っていた人に知れ渡るとどこにどう伝わってしまうか分からないと思ったものですから、私たちは弁護人だけでそれを伏せていたわけです。ところがそれと連携せずに、とにかく判決を阻止しようということで法廷が10時に始まると同時に江頭さんたちが法廷で騒いだんですね。ですから法廷は混乱して裁判は10時にスタートしなかった。その間に私たちの忌避申立が届いた。こういうふうな、他の人たちから言わせればダーティーなやり方をとってでもこれを阻止しようとやってきたわけです。
 あるいは判決が出ても判決訂正の申立をする。今では当たり前になりましたけれど、当時は判決訂正の申立という手続きがあること自体、弁護人さえ知らなかったわけです。訂正の申立を出す。申立の補充書も毎日くらい出す。しかも最後に「続く」と書いて、次に続くといいながらも出さない。あるいは全く違うことを書いて、突拍子もなく驚かせるとか、いろんなことをやってきました。再々補充書なんて、再が7つくらい付くまで出しました。そういうことをやっても、やはり判決はとうとう確定させられてしまったのです。
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中日春秋
2011年3月11日
 十八世紀、米バージニア州のある町に、ウイリアム・リンチ大佐なる人物が私設法廷をつくった。彼の仲間たちは、無法者がいると聞くや自分たちで捕らえ、勝手な裁判でしばしば絞首刑にした▼それを雑誌に書き、世に知らしめたのは作家エドガー・アラン・ポーだったという(宮本倫好著『英語・語源辞典』)。そこから大佐の名が「法によらない私刑、特に死刑」や「集団による制裁」を指す言葉になったともされる▼一九九四年、大阪、愛知、岐阜の三府県で、少年グループが、四人の男性を次々に殺害した事件は、その態様から「連続リンチ殺人事件」と呼ばれる。その事件の最高裁判断で昨日、三人の被告の刑が確定した▼リンチ大佐の私刑とは違い、被害者には何ら落ち度がなく、被告らこそが無法者だった。だが、犯行当時は少年…。判決も揺れたが、名古屋高裁、最高裁がともに「なぶり殺し」と表現した残虐で非道なリンチへの刑罰は結局、「法による死刑」だった▼事件から十六年余。「死刑」確定に「ずっと頭に描いてきた二文字」と語った遺族の気持ちは痛いほど分かる。一方、被告の一人との交流で、更生の可能性を見いだし、助命の嘆願までしていた遺族が、この結果に「力不足だった」と語ったと聞けば、胸が詰まる▼「法による死刑」をはさむ二つの言葉。その間で思いが引き裂かれる。


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