8月14日 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者

2019-08-14 | 日録

〈来栖の独白 2019.8.14 Wed〉
 8月14日は、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の殉教された日である。コルベ師殉教という出来事が私をカトリックに結びつけ、二人の息子の霊名に「コルベ」をつけることとなった。母と聖母の騎士修道院へ行ったことも、懐かしく思い出される。この世に生きて、人生の根幹に触れる出来事に出会うという機会は、そう多くはないだろう。アウシュビッツに於いて、コルベ師が「私はカトリックの司祭ですから、妻も子もいないので、その人の身代わりになります」と、家族のいる男性の身代わりとなって死んでゆかれたことは、私に決定的な出来事となった。1941年8月14日没。
  人は隣人のために命を与えることができる。聖書は「命を与えるほど大きな愛はない」という。

ヨハネ福音書15章 12〜13節
 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 このみ言葉は、私がものを考える上での根幹となった。「命は地球よりも重い」といった生命第一の考え方に私が首を傾げるのは、その故だ。命よりも重いものがある。「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」《論語》という言葉もある。
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聖人カレンダー
 8月14日 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者
  1894年-1941年

     

 コルベは、ポーランドの織物職人の家に生まれ、信仰深く育てられた。16歳のときにコンベンツァルのフランシスコ会に入り、1918年に司祭となった。ローマで、6人の同志とともに「無原罪の聖母の騎士会」という信心会を創立して、聖母マリアに対する信心を広めることに尽くした。その後、ポーランドに帰って月刊誌『無原罪の聖母の騎士』を発行。
  1930年ゼノ修道士ら5人とともに来日し、長崎で同信心会と印刷所を開いた。月刊誌『聖母の騎士』を発行するなど宣教活動に励み、多くの人びとに感化を与えた。『聖母の騎士』は現代でも多くの購読者を得ている。
  1937 年、コルベ神父はポーランドのニエポカラノフの修道院長に選任され、日本を去る。その後、第二次世界大戦の勃発により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕えられ、アウシュヴィッツ強制収容所に送られた。そこで、死刑を言い渡された妻子ある士官の身代わりを申し出て、餓死牢で注射を受けて亡くなった。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15.13)というキリストの愛を実践した現代の殉教者である。
  日本におけるコンベンツァル聖フランシスコ会は、東京、瀬戸、春日井、西宮、長崎、湯布院、奄美にある。

 ◎上記事は[Laudate]からの転載・引用です

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◇ ユダヤ人はなぜ、ナチス・ドイツの標的にされたのか アウシュビッツで身代わりとなったコルベ神父 「PHP online 衆知」

     

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 〈来栖の独白〉補遺
 『毎日のミサ』9月号が届いている。見覚えのある建物だなと思って見た表紙。かつて、神言会のT神父からお話を聞き、一泊した多治見の修道院だった。懐かしい・・・。

   
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カトリック正平協「死刑廃止と執行の即時停止を」2019/8/6 〈来栖の独白〉イエスは「命よりも大切なものがある」と云う
* どんぐりと「いのち」 われらを養ってくれるいのち 2010/1/13  


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