『「無法」中国との戦い方 ここで日本が譲歩すれば 中国の“思うツボ”だ』古森義久著

2012-12-07 | 本/演劇…など

「無法」中国との戦い方 古森義久著 小学館101新書 2012年12月8日初版第一刷発行 
p3~
  はじめに 中国の「日本叩き」政策は「大成功」を収めつつある
 中国での反日デモは「水道の蛇口」と同じ
 2012年秋、中国の多数の都市で反日デモが荒れ狂った。日本が尖閣諸島を国有化したことへの中国の国民一般の怒りなのだという。
  しかし、共産党の一党独裁で結社の自由や集会の自由が厳しく抑圧される中国では、国民一般からの自由な自然発生のデモというのはありえない。政府当局が黙認、あるいは煽動しない限り、多数の人間が集まること自体が許されないからである。
  だから、中国での集会とかデモというのは、当局にとって水道の蛇口の操作に似ている。抗議の動きをどこまで許すかは、水道の蛇口から出す水の量を調節するのと同じなのだ。栓を開ければ開けるほど、水は勢いよく噴出してくる。もうこれで十分となれば、蛇口を閉めればよいのである。
p4~
  共産党支配が続く限り、反日暴動は繰り返される
 私自身が目撃した実例は1999年5月の北京での反米デモだ。このデモは米軍機を主力とする北大西洋条約機構(NATO)軍機が当時のユーゴスラビアの首都ベオグラードの中国大使館を爆撃し、内部にいた中国人3人が死亡、20人ほどが重軽傷を負った事件への中国側の抗議だった。米国側は当初から一貫して誤爆だと弁解していた。
  事件から数日もすると、北京の米国大使館前には連日、抗議のデモ隊が押しかけるようになった。当時、産経新聞中国総局長として現地に駐在していた私も連日、米国大使館前に出かけ、現状を眺めた。
  このデモは完全に当局に管理されていた。デモ行進をして、米国大使館構内に石まで投げ込む当事者たちはみな北京内外の大学の学生たちだったが、全員がバスで動員されていた。大学ごとに現場近くにバスで運ばれてきた男女学生たちは、バスを降りて、隊列を組み、大使館前へと行進していく。その間、道路から石を拾って、大使館にぶつけるのだが、大使館の前には中国人警官が並んで立っていて、普通サイズの石を投げることは黙認するが、そのサイズが一定以上に大きくなると、すぐ停止させるという手の込んだ「管理デモ」だった。なにからなにまで中国当局がシナリオを描いた抗議デモだったのだ。
p5~
  今回の反日デモも、当局のそうした管理があることは明白である。ただし中国の国民一般の間では日本や日本人がそもそも大嫌いという向きが多いから、当局にとって「反日」の動きは放置するだけでも、盛り上がる。当局の管理はむしろ、どこで止めるか、である。反日が暴走して、「反中国共産党」「反中国政府」になってはならないのだ。
p39~
  朝日新聞が喧伝する元外交官の「奇説」
  こうした膨張を続ける中国に対し、日本側では尖閣の実効支配を明確にする措置に反対する声も聞かれる。たとえば朝日新聞は、東京都の購入提案に反対し、なにもせず、もっぱら「中国との緊張を和らげる」ことを求める。2012年7月11日付の同紙では、孫崎享・元外務省国際情報局長の「尖閣は日本固有の領土ではない」という意見までを喧伝する。この孫崎氏の発言は日本の国益を守るために長年、活動した日本国外交官だった人物のそれとはとても思えないほど奇異だった。とにかく中国の主張を優先させ、ひたすら中国への歩み寄りを説くのである。
  孫崎氏は朝日新聞のインタビューで、日本の尖閣領有が100年ほどでは固有の領土とは呼べないとして、中国は14世紀に尖閣周辺まで軍事的影響を及ぼしていたから、「中国のものと主張」することも根拠がないわけではない、と述べた。中国の14世紀といえば、モンゴル帝国の元の統治時代だったが、モンゴルといまの中国の領有権が直結できる、というのだからメチャクチャな理屈である。
p40~
  孫崎氏はまた、中国が尖閣に軍事攻撃をかけても、米国が日本を支援して防衛にあたるると考えるのは甘い、とも断言する。米国政府が公式に日米安保条約の尖閣への適用を宣言しているのに、孫崎氏の言はそれがウソだと断じるのに等しいのだ。そして尖閣問題は「現状が日本に最も有利」と説く一方、「係争地」と認めて中国との協議にのぞむことを勧めるという矛盾を語る。なにしろ尖閣についての「日本の主張は国際的にも認められない」と簡単に自国の権利を切って捨てるのだから、なにをかいわんや、である。なにがそこまで中国に媚びさせるのか。
 「中国を刺激するな」的なこの種の主張は、中国側の尖閣奪取への意欲を増長するだけである。この種の宥和は、尖閣が日本領であることを曖昧にするのが主眼だから、それだけ中国の主張に火をつける。そもそも緊張の緩和や融和を求めても、中国側の専横な領有権拡大を招くだけとなる現実は南シナ海の実例で証明済みなのである。
p87~
 尖閣諸島を守るために日本がすぐに実行すべき5つの対策
 これまで2回のリポートでは南シナ海領有権紛争での中国の理不尽な態度を伝え、中国の海洋戦略一般の特徴を説明してきた。この戦略は当然、東シナ海の日本の尖閣諸島に対する中国の領有権主張をも含んでいる。
 では日本は中国の尖閣への動きにどう対応すべきなのか。ワシントンでの米国側の考察や意見をも踏まえながら、私自身の見解を述べてみよう。
p88~
【その1】 実効統治を強化せよ
 第1に日本が取るべき行動は、尖閣諸島の実効統治の強化である。
 自国領土を自国固有の領土として確保するためには、当然ながら、その統治を内外に鮮明にしなければならない。ごく自明の基本である。だが、わが日本政府はその自明な措置さえをも長年、避けてきた。日本政府は尖閣に対しては、「中国を刺激しないため」という理由で日本国民の接近や上陸を長年、禁じてきた。灯台の建設まで阻んできた。つまり尖閣の統治をあえて明確にしないという政策を取ってきたのだ。
 だが、その結果はどうだったか。
 2010年9月には中国漁船が尖閣付近の日本領海に堂々と侵入し、わが海上保安庁の巡視船に体当たりした。その前後から中国の漁業監視船と称する艦艇が頻繁に尖閣領海に侵入するようになった。しかも中国当局は尖閣諸島を中国領土だとする宣言をますます先鋭にしてきた。最近では沖縄でさえ日本領土ではないという趣旨の中国政府高官らの言明が目立ってきた。中国側は日本がいかに「刺激しない」ための宥和策を取っても、尖閣を自国領土だとする主張を薄めはしないのである。いや逆に、その主張を強めたと言えるのだ。
 「中国を刺激するな」論の欠陥は、他の実例でもいやというほど実証された。東シナ海の海洋資源を巡る日中紛争である。日本と中国は排他的経済水域(EEZ)の境界線が競合する海域での石油やガスの開発を巡って、主張を衝突させた。日本政府は「中国を刺激するな」という思考から、その海域での資源開発を日本企業に対しては禁止した。だが、中国は政府機関自体がどんどん開発を進めてしまった。しかも日本政府はその中国の動きを目前に見ながら放置したのだった。
 だから「中国を刺激するな」論の背後には、場合によっては紛争の核心である尖閣の主権を譲ってもよいとするような思惑がにじんでいると言える。中国を反発させない、中国を刺激しない。こんなことが日本側の最終目的ならば、そもそも尖閣諸島の領有権でも、東シナ海でのガス田開発の権利でも、中国の要求通りに譲り渡してしまえば、よいことになる。
 だが尖閣は日本固有の領土であり、その保持が日本国民のコンセンサスである。だとすれば、「中国を刺激するな」論を排して、日本の尖閣諸島での実効統治を強化せねばならない。東京都による購入も、国有化も、その目的に沿った措置として歓迎できるだろう。
p90~
【その2】 自衛隊を常駐させて防衛力を強化せよ
 第2には、尖閣諸島の防衛強化である。
 中国は他国との領有権紛争では、決して譲歩しない。相手が妥協したからといって、中国も妥協するという発想はツユほどもない。多国間の交渉で紛争を解決するという方法も排除する。国際機関の調停や裁定にも一切、応じない、という方針は中国政府の公式政策として言明している。これらの特徴は本連載の前回までで伝えてきたとおりである。
 国家同士の争いで、一方が譲歩も妥協も国際調停も排除するとなると、解決策としては他方だけの全面的な屈服、あるいは力の行使だけが残される。でなければ、両国間に「永遠の摩擦」が続く。中国からすれば、全面的に屈服しない相手には軍事力行使という手段で自国の主張を飲ませようとする方法だけがオプションとして残ることにもなる。
 現実に中国は、自国が主権を唱える外国統治の領土に対しては、軍事力を容易に行使してきた。中国が領土紛争で軍事力を使う「敷居」は極めて低いのである。これまで書いたように、中国海軍は1974年、南ベトナムが統治していた南沙諸島に軍事攻撃をかけ、いくつかの島を奪った。94年には中国軍はフィリピンが統治していた中沙諸島のミスチフという環礁を襲って、奪取した。南ベトナムからは米軍が撤退し、フィリピンでは米軍がスービック基地を放棄して、いずれも防衛面では弱体になった時期だった。中国は領土紛争では軍事力に依存し、しかも相手の軍事力が弱いと判断した際に攻撃に出るのである。相手が強ければ、軍事力は使わない。歴史がそんな軌跡を明示しているのだ。
 だから日本も尖閣諸島を日本固有の領土として保持したいならば、その防衛のための軍事力を強く保たねばならない。尖閣への自衛隊の常駐も、基地建設も、適切な手段だろう。尖閣防衛の軍事力を強めることが、中国の軍事攻撃を抑える抑止力となるのである。
p92~
 韓国が日本領土の竹島を不当に占拠して、軍事基地まで建設してしまったことが、日本側の士気をどれだけ弱くしたことか。その実例を見れば、尖閣に自衛隊を配備することの対外的な効果がよく分かるだろう。また尖閣周辺での海上自衛隊、航空自衛隊の軍事能力を高めることも当然、尖閣防衛に直結している。
【3】 日米同盟を強化し、集団的自衛権を解禁せよ
 第3は日米同盟の強化である。
 この対策はもちろん尖閣防衛の軍事能力強化と一体になっている。米国は日米安全保障条約により、日本の統治下にある領土が第三国からの攻撃を受けた場合、日本と共同してその反撃にあたることを責務としている。そしてその条約の責務は尖閣諸島にも適用されることは、オバマ政権の高官たちも公式に認めている。だから中国がもし尖閣に対して軍事攻撃をかける場合、その敵となる相手は単に日本だけではなく、米軍となる。その展望が中国にとっては最も恐れる危険であり、そのことが中国の軍事力行使への最大のブレーキとなる。日米同盟による抑止である。
 しかし肝心の日本に有事での断固たる自国領土防衛の意欲や能力がなければ、米国の共同防衛誓約の実行も当然視はできなくなる。まして、いまの米国はオバマ政権下で「アジア重視戦略」を唱えながらも、その一方で、画期的な国防費削減を計画している。だから日本の防衛力強化にかける期待も当然、高くなる。だが、その日本は民主党政権下で、防衛費も事実上の削減を続け、米国との軍事面での連携も怠りがちである。日米同盟の強化には程遠い状態なのだ。特に最近の米軍の新型輸送機「MV-22 オスプレイ」の日本配備に対する日本側のメディアなどの反対論議は、日米同盟の強化や日本の安全保障への配慮が皆無のように見える。
 そこで求められる同盟強化の最有効の対策は、日本の集団的自衛権の解禁である。野田政権はその展望をほのめかし始めた。だが単なるリップサービスである気配も濃い。しかし現実に日本政府が憲法第9条のいまの解釈を変えて、「日本も世界の他の諸国と同様に集団的自衛権を行使できる」と宣言すれば、日本の防衛へのそのプラスは絶大となる。まず最初に米国との軍事面での連携が強化されるからだ。その強化は当然、尖閣諸島の防衛の増強につながる。
 そもそも近年の米国では民主、共和の党派を問わず、官民の両方で「日本の集団的自衛権の行使禁止は日米同盟強化への障害になっている」という認識が高まってきた。同盟というのは本来、集団防衛態勢なのである。同盟の相手が第三国に攻撃されれば、自国への攻撃と見なして、その相手を助けて反撃する。その意思と能力が第三国に攻撃を思い留まらせる抑止となる。そんな構造が世界の安全保障の現実なのである。
 しかし日本だけは自国を助けてくれる米国でさえ、その艦艇や将兵が日本の領土や領海から100メートル離れた地点で第三国の攻撃をむざむざと受けても、助けはしないと宣言しているのに等しいのだ。
 尖閣諸島の防衛でも、現在の集団的自衛権の行使を自ら禁じた日本は尖閣の至近の海域で日本防衛任務に就く米軍が中国軍の攻撃を受けても、実際の支援はできないことになっている。その海域が日本の領海でなければ、目前で攻撃を受ける米軍さえ、応援できないのだ。この変則に終止符を打つことは尖閣防衛の強化に直結する。
p95~
【その4】 東南アジア諸国との連携を強化せよ
 第4は国際的な連携や発言の強化である。
 中国は、自国がからんだ領有権紛争を国際的な舞台に出すことを一切、拒む。多国間の協議に委ねることにも絶対反対する。この7月の東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会議での展開が、その現実を明示した。
 だから日本にとってはこの中国の忌避を逆手に取って、南シナ海で中国の膨張の被害を受けるフィリピンやベトナムと連携を強めることが有効である。
 南シナ海での領有権紛争に関する「行動宣言」を東シナ海にまで拡大することを提案するのも一考だろう。海洋領有権紛争での軍事力行使の禁止などをうたうこの「行動宣言」に、中国は署名をしながらも、拘束力を持たせる提案には頑強に反対を続けている。
 日本としてはこの「行動宣言」に拘束力を持たせることを求める東南アジア諸国との国際連帯を保つことが有益なのは明白である。中国の理不尽で危険な領土拡張に悩まされる諸国と、できるだけ幅の広い国際連携を組むことが日本にとって役立つわけだ。
 同時にその国際連携の出発点として、日本はまず国際的な場で自国の尖閣諸島領有の権利がいかに正当であるかを積極果敢に主張しなければならない。この主張自体が従来の日本政府の「中国を刺激するな」論の否定となる。
 尖閣諸島の日本帰属は歴史的にも法的にも十二分の根拠が存在する。中国の主張は極めて弱い。その事実を国際的に広める時期がすでに来たと言える。だが日本政府はこれまで尖閣諸島の領有権の正当性を国際的に語ることはなかったのである。
 中国の主張を完全に否定し、「領土問題は存在しない」とする日本政府の公式な立場からすれば、その経緯にも理はあるが、中国のいまの公然たる挑戦を見ると、領土紛争は認めないままにせよ、中国の主張の不当を対外的に宣伝することも必要になってきたと言えよう。
 中国は国連海洋法条約が決めた排他的経済水域(EEZ)や大陸棚に関する規約や合意をも公然と無視している。日本が中国のそうした側面を国際的な場で指摘することは、尖閣諸島防衛への外交的な得点ともなるだろう。中国の尖閣奪取への動きが国際的な課題である現実をアピールすることともなる。
p97~
【その5】 日本国内で中国の脅威と対策を議論せよ
 さて、第5は中国の実態についての日本国内での国政議論の開始である。
 日本にとって中国の動向はいまや国家の基本を揺さぶるほど巨大なファクターとなった。日本の固有の領土である尖閣諸島を奪取しようという動きはその象徴だと言える。中国は日本の安全保障にとっていま最大の潜在脅威であり、懸念の対象である。いや、安保だけに留まらず、経済や金融の面でも、中国は日本の国家としての進路を大きく動かしうる存在なのだ。
 しかしそれほど重要な中国の実態を国政の場で体系的、政策的に論じようという努力が日本には存在しない。国政の場での中国に関する研究や議論がないのである。
 この点、米国は対照的である。政府は経済面で毎年、中国が世界貿易機関(WTO)の規則をどこまで順守したかを詳述する調査報告を発表する。中国の軍事力の実態に光をあてる調査報告を公表する。中国の人権弾圧の実態や宗教の自由抑圧の状況を年次報告の形で批判する。政府と議会の合同の「中国に関する議会・政府委員会」という組織があって、公聴会や調査報告によって、中国の人権状況に恒常的に光を当てている。
 また、議会の諮問機関「米中経済安保調査委員会」は、米中経済関係が米国の国家安全保障に与える影響に焦点をしぼり、立体的な調査と発表を続けている。民間でも多数の大手シンクタンクが中国の軍事や経済を研究して、その結果を公表する。その結果、最近のワシントンでは文字どおり連日、中国についての研究や討論のイベントが催されているのだ。
 一方、日本では中国研究自体はもちろんなされてはいるが、国会のような国政の公式の場で中国のあり方が論じられることはまず稀である。中国を単に批判的に取り上げる中国叩きではなく、中国の軍事態勢や海洋戦略を冷静に調査し、その結果を国民一般にも伝わる形で公表し、議論するという作業が国会を主体に実施されてしかるべきだろう。日本にとっての中国の比重はそれほど巨大なのである。
 中国が尖閣諸島に対し、どのような戦略や思考を抱いているのかなど、日本国民全体が理解できる形で、国政の舞台で論じられるべきだ。そうすれば国民の間で尖閣を守ろうという意識が自然と高まるだろう。 
 以上が尖閣諸島を守るための日本側の取るべき政策についての5つの具体的な提案である。(~p99)
p238~
 新冷戦時代・・・ 日本も「中国の研究」に一流の人材を投入せよ
 アジア全域の駐留米軍を射程にした中距離ミサイルの増強、空母の保有のみならず、衛星破壊兵器、宇宙基地、さらにはサイバー攻撃とアメリカを挑発しつづける中国。一方のアメリカも近年、中国の軍事的脅威に対する研究を強力に進め、その規模と深度はかつてのソ連研究を凌ぐほどになっている。それを踏まえ、中国研究の第一人者として知られる国際教養大学理事長・学長の中嶋嶺雄氏と対談。(SAPIO 2012年2月22日号初出)
p239~
 誰が軍の指導者なのかも不透明
中嶋
 このところアメリカの対中国政策がずいぶん変わってきました。その最大の理由は中国の軍事的膨張です。オバマ政権の中国に対する外交・軍事戦略は明らかに従来の姿勢と違います。その点から見て、このたび古森さんが書かれた新書『「中国の正体」を暴く』は非常に中国の本質に迫った重要な作品です。
古森 オバマ政権の対中国政策の転換は、日本にとっても大きな意味があると思います。オバマ政権が登場して最初の2年間は、融和政策でした。中国を刺激するような言動はなるべくとらない、軍事力についても軍拡とか脅威とかという言葉を口にしないという、かなり明確な通達が政権内で出されていました。中国に対して厳しいことを言うとすれば、“透明性”について言及することぐらいでした。
 ご存知のように、中国の軍事体制の特徴のひとつは透明性がないということです。どういう戦略でどういう兵器をどのように調達していくのか。それを誰が、どういう手続きで決めるのかということがまったくわからない。これは民主主義ではない国の特徴です。
中嶋 人民解放軍は、林彪の時代があり、その前は彭徳懐の時代、文革後は葉剣英、海軍は劉華清でした。つまり、誰が軍の指導者かということがよくわかっていた。ところが、今は中国の軍全体が非常に膨張し、誰が軍の指導者なのか不透明になっている。従来、アメリカは中国をカウンターパートとか、ステークホルダー(利害保有者)という認識を示してきましたが、その方針を転換せざるを得ない状況になったのですよね。
古森 アメリカがどんなに融和的に中国と接しても、図に乗ってどんどん強硬な措置をとってくる。それで、オバマ政権もやむを得ず、中国の軍事拡張を正面から批判し、対応策を打ち出すようになったということです。そのクライマックスが今年1月5日にオバマ大統領が国防総省で行なった、アジアにおける米軍のプレゼンスを強化するという演説です。
中嶋 私は1993年から「米中新冷戦」ということを言ってきました。米ソの冷戦構造崩壊にともなって東西冷戦は終わったが、アジアには冷戦が残っている。特にアメリカと中国は価値観が違うだけじゃなくて、軍事戦略の面でも冷戦を続けるだろうと。それがいよいよ現実的になった。中国が台湾を含めてどういうアジア政策を展開するのか。第1列島線、第2列島線ということを言って、最近では南シナ海、尖閣諸島だけではなく、沖縄までも虎視眈々と狙っている。
古森 第1列島線、第2列島線とはその影響圏、コントロールする範囲を広げていくという意味で中国が使っている用語ですね。これは西太平洋における米軍のプレゼンスがどんどん希薄になることを願っている戦略です。最近の中国がミサイル増強や空母を保有するなど、軍事のハードウェアを強化していることの背景には、そういう膨張的な戦略意図があります。
■明の時代から中国は海洋国家だった
中嶋 私が懸念するのは、中国が太平洋地域だけならともかく、イランやアラブ地域の方向にも触手を伸ばしているということです。ハーバード大学の教授だった故・サミュエル・ハンティントンは論文『文明の衝突』の中で「儒教イスラムコネクション」の危険性という問題を提起していました。中国が儒教的な専制体制をとりながら、それがイスラム原理主義、あるいはイスラム圏と結びついた時には非常に危険だという内容です。最近の中国の動きを見ていると、パキスタン、イラン、イラクといわばイスラム原理主義的な国と関係を結んでいる。そしてスーダンや、私たちが名前も知らないようなアフリカの国々にまで関心を示しています。こういう中国の世界的な膨張に対して、アメリカとしても我慢ができなくなったということでしょうね。
古森 日本にとっては西太平洋、東アジアが最大の関心の領域ですが、一方で中国がグローバルパワーとして、まず経済面から活動を拡大してきた。たとえば、昨年、リビアのカダフィ政権が倒れました。その危機の時、3万人以上の中国人労働者を帰国させるため、人民解放軍が派遣されたというように、経済活動の拡大によって、軍事力でそれを守るようになってきた。
 ただし中国がグローバル展開する際、アメリカとの価値観の違いが顕著に表われます。たとえば、アフリカ諸国に政府援助する時、アメリカは、民主主義を進めるとか、軍事用途には使わないなど必ずある程度の条件をつけます。ところが、中国の場合、ほとんど条件をつけないので、独裁政権、軍事政権は大喜びで中国からの援助を受け入れます。これがまた、アメリカにとって脅威となるわけです。
中嶋 中国のイスラム圏、アフリカ諸国への勢力拡大は、もちろん資源確保という戦略意図があるわけですが、明の時代にアフリカまで出て行った鄭和の大航海を想起させます。われわれは中国を大陸国家だと思っているけれども、中国は実は海洋国家でもある。2008年北京オリンピックの開会式で、フィールドいっぱいに無数の人間が巨大な船形のパフォーマンスを展開して鄭和を持ち上げました。あれは、世界中に海洋国家であることをアピールしたんだろうと思うんですね。
古森 その中国の軍拡は、いったい何を目指しているのか、というのがわれわれの懸念になるわけですが、日本では国政レベルで中国のあり方、特に軍事力に光を当てて研究し、議論するということがない。期待するのは無理なんでしょうか?
中嶋 日本の政治家はそんなレベルにないですね。それどころか、大挙して中国を訪問し、江沢民や胡錦濤に頭を下げるという外交をやっている。
 そもそも中国の侵犯や威嚇が続く尖閣問題は、明らかに日本外交の失敗です。1972年に日中国交正常化しましたが、その直前に人民日報が「尖閣は中国の領土」と外交声明を掲載しました。ところが、当時アメリカのニクソン大統領が訪中するという“ニクソン・ショック”で、日本政府も外務省もバスに乗り遅れるなとばかりに、その重要な声明を考慮せず、国交正常化に流れていった。その後、78年の「日中平和友好条約」批准書交換セレモニー出席のために訪日した小平は「尖閣の問題は次の世代、また次の世代に委ねる」という内容の発言をし、政府もメディアも大歓迎した。だが、小平が最高権力者となった後の92年、中国は領海法を定め、国内法上は尖閣は中国のものであるとしました。この年、天皇皇后両陛下の訪中が控えていたため、日本政府は中国の領海法に対して、ひと言も抗議していないんです。そういう既成事実の積み重ねがある上に、さらに中国に低姿勢に出る。そうすれば、中国は世界と協調してくれるだろうと。
古森 中国に対してやさしく出れば、中国もやさしくしてくれるという発想はどこから出てくるのでしょうか?
p244~
中嶋 戦後の日本外交、特に外務省のチャイナスクールなどが大きな災いの元だと思います。私はかつて香港の総領事館に外務省特別研究員として2年間勤務したことがありますが、「中国」というとそれだけで位負けするという体質があるようですね。
■日本には中国と相容れない価値観が厳存する
古森 私は北京駐在の後半に、アメリカを専門に研究している中国の知識人―政府関係者ですが―と親しくなったのですが、彼が流暢な英語で「日本と中国はひとつの国になるのが自然じゃないですかね」と本気で言うんです。で、文化も言語も違うのはどうするのかと聞くと、「言葉はやっぱり大きい国の言葉でしょう」と言うわけです。
中嶋 まさに「中華思想」ですよね。これはとても根が深い。われわれもよほど身を構えていかないといけない。
古森 アメリカの場合には、基本的な価値観の違いを少なくとも国政レベルで認識しています。だから、日本の議員のように訪中して最高指導者に会いたいなんて言う人たちはいない。胡錦濤が訪米した時でも、議会でのパーティで議会の側からは写真は撮らなかった。胡錦濤と並んでいるところを写真に撮られるのを嫌がるアメリカ議員の声が多くて禁止になったんです。中国は大変怒りましたけどね。日本の国会議員と正反対です。
 アメリカ側のそんな姿勢の背景には、一党独裁で人権を弾圧し、国民の自由な選挙で選ばれた指導者ではないという基本的な体制・価値観の違いへのはっきりした認識があります。
中嶋 なるほどね。日本はその点、中国との関係を「同文同種」といった言葉で括ろうとしますが、そもそも無理がある。中国の文化を学んだことは事実ですが、明治時代はヨーロッパの近代化を学び、戦後はアメリカ民主主義を学びました。中国から漢字文化を学んだとはいえ、日本独自の文字をつくり上げてるわけです。独自の美意識もある。
古森 日本でも中国との相容れない価値観が厳存することを認識して、もう少し国政、あるいは外交そのものと結び付いた中国の軍事動向への対応、情報収集活動も含めて新しい枠組みへの動きがあってしかるべきだと思うのですが。
中嶋 不透明な中国の軍事力に対する分析能力を磨くことは非常に重要なことですね。
p247~
古森 アメリカは中国の軍事動向を把握するために人工衛星などハードウェアを充実させ、その情報収集能力の高さはすばらしいものです。それプラス、官と民の両方で中国の軍事を研究する人材が増加している。戦後、米ソ冷戦時代、ソ連の軍事がやはり秘密のベールに包まれており、そのソ連の軍事を研究する分野に、国際政治学、安全保障学、理工系も含めて、ベスト・アンド・ブライテスト(超一流の人材)が集まっていた。キッシンジャーやブレジンスキーなどが一例です。そのベスト・アンド・ブライテストが今、中国の軍事研究へと移ってきているんです。つまり、官と民がぴたっと歩調を合わせて、アカデミズムでも中国の軍事研究が主流となっている。そういう状況が少しでも日本に出てくればと思うのですが……。
中嶋 日本のアカデミズムでは、軍事研究そのものが人気がないだけでなく、防衛大学校を除いて安全保障や防衛についての授業はほとんどないんです。一番大事なことなのに回避している。日本はアジアの中で、大学教育レベルでも遅れる気がします。
 アジアの安全保障において、今後、アジア諸国からの期待にこたえるような人材育成とともに、日本政府は沖縄の基地問題を早く解決して、中国という「脅威」に対応していく体制を構築しなければいけませんね。(~p248)
--------------------------
さあ、孫崎享氏を国会に呼ぼう/「無法」中国との戦い方/『アメリカに潰された政治家たち』 2012-12-28 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 さあ、孫崎氏を国会に呼ぼう
 産経新聞2012.12.28 07:22[from Editor]
 1988年夏だから、もう25年近く前になる。自民党の麻生太郎氏は米国ワシントンの大学で、学生たちに語った。
 「日本の政治が安定している理由を教えましょう。相撲にたとえれば、土俵上でプレーをするのは自民党議員だけです。野党は、その周りに座る審判で、簡単に政権運営に介入できない」
 新聞社派遣の留学生として、その場に居合わせた私は、この人の英語の野太い声に、吉田茂元首相の孫、日本の保守本流の家系という自負があふれるのを感じずにはいられなかった。
 いま、その政治構図が復活しそうだ。圧勝した自民党と公明党が組んで、野党側は小粒な「土俵下の審判」になりさがる。麻生氏が入閣というのも、私には因縁めいてみえる。
 さてあの人、元外務省国際情報局長、孫崎享(うける)氏は、この結果をどう評するだろうか。
 「日本の戦後指導者の多くが米国に操られてきた」。そう断じた元外交官に、政権交代を機に弁明を求めたい、と考える政界人は少なくない。私も、孫崎氏をぜひ国会に呼び、論議の場をつくってほしい、と思う。
 鳩山由紀夫氏について出馬断念する前に、この欄で、「その無定見を拒否したのは日本の国民」と書いたが、結局、その通りになった。彼の政治家としての失敗は本人の資質に起因しており、孫崎氏のように、“対米自主”路線への米国の圧力にからめても意味がないのだ。
 孫崎氏は首相当時の鳩山氏に何度も会い、沖縄の米軍普天間飛行場の県外移設を進言した。最近では、小沢一郎氏の旧「国民の生活が第一」とほぼ同じ主張を述べて、「修羅場から逃げない。失うことを恐れない」を、政治家の条件と言っていた(著書『アメリカに潰された政治家たち』)。
 だったら率先垂範、自ら出馬した方が早いだろうが、そうならなかったのは残念だ。
 新政権には、麻生氏と安倍晋三氏という“対米追随”の両雄が返り咲いた。残念というのは、外務省で局長までつとめ、防衛大学校でも教えた孫崎氏が野党議員の一人に列していたら、さぞや立派な土俵下の審判になっただろう、と思うからである。
 「追随」と並べれば「自主」が心地よく響く。だが鳩山氏を出すまでもなく、それが現実の国際舞台で有効かどうかは別問題で、よく吟味する必要がある。(編集委員 平山一城)  * リンクは来栖
=========================================
戦いの火蓋が切られた米中の無人機開発競争 中国が米国機の設計情報をイランから入手? 古森 義久 2012-12-07 | 国際/中国/アジア 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。