【二月二十一日 ある死刑囚の記録】死へ進み始めた2人
中日新聞 2014年2月4日
加納恵喜(けいき)の最高裁での上告審。弁護士の湯山孝弘は、上告趣意書や補充書と呼ばれる文書と弁論で、名古屋高裁での死刑判決の理不尽さをできる限り丁寧に主張した。
恵喜が殺(あや)めたのは名古屋のスナックママ一人で、計画性も無い。前科である長野での殺人は有期刑で服役を終えている。こうしたケースの死刑は過去に無く、判例違反ではないか。金目当てと認めたこともあったが本心ではなかった。キリスト教の洗礼を受けて反省もしている…。それと、湯山が信念とする、ある人の言葉も付け加えた。
恵喜と出会う四年前の二〇〇〇年十月、湯山は日弁連が派遣した調査団の一員として、一九八一年に死刑を廃止したフランスを訪れた。リュクサンブール宮殿にある議会上院の控室。廃止の旗振り役だった元法相ロベール・バダンテールが言った。「人間は変わりうるものだ。死刑はその可能性を奪う」
上告趣意書の二十六ページ目、湯山は「この言葉を信じたい」と書き、最後を締めくくった。
上告から三年がすぎた〇七年三月二十二日、最高裁の結論が出る。「棄却」。高裁での死刑判決を認めるということだ。
恵喜が知ったのは翌日の二十三日だったという。覚悟していたのか、高裁判決のときは「目まいがした」という恵喜にあわてた様子は見られない。湯山への速達で心境を明かしている。「結果は武藤(ぶとう)恵喜の終止符であって、残された時をどのように過ごすかは加納恵喜にかかってくると思っています。まるで未知の世界に入り込むわけですが、意外と動揺はありません」。恵喜の日記の二十三日の欄には青いボールペンで「死刑」とだけ記されている。
武藤から加納へ。恵喜は養子縁組した母、真智子(仮名)と知り合い、変わった、あるいは変わろうとしたのかもしれない。少なくとも湯山にはそう思える。
真智子が名古屋から越した大阪市内のマンション。部屋のベランダから赤いポストが見える。恵喜につながる箱だ。友人に「近くてうれしい」と喜んでみせた。一方で上告棄却の直後、湯山宛ての手紙でこんなことを言っている。「二人して死へのカウントダウンが始まりました」。真智子の病は日増しに重くなっていた。=続く
(敬称略)
◎上記事の著作権は[中日新聞]に帰属します
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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】失う痛み初めて知る
中日新聞 2014年2月5日
養子縁組した息子、加納恵喜(けいき)が最高裁で上告棄却され、死刑囚となってから一年。真智子(仮名)は二〇〇八年の春を迎えていた。医師から前年の夏ごろまでと告げられていた余命をどうにか、つないできたが、がん細胞は骨まで転移し、もう歩くのも、つらい。
四月のある日、連絡がつかないのを心配した友人が警察に頼み、真智子の部屋のドアを開けると、ベッドで意識を失っていた。
連日だった手紙が途絶え、恵喜も異変を察する。だが、塀の中では何もできない。案ずる思いを手紙に込めた。笑わせたかったのか、ちょっと冗談っぽく。「気持ちは真智子(原文は実名)さんのところへ日参しています。テレパシーを感じるでしょ」。日付は五月一日。真智子が読むことはなかった。
その日午後七時九分。通っていた教会の牧師らに見守られ、真智子は入院先の病院で息を引き取った。
恵喜と真智子は同級生に当たるが、生まれ月の違いで年齢が重なるのは三~五月の春の間だけ。生前の真智子はそのひとときを「同じ年だね」と無邪気に喜んでいたという。ともに五十八歳の春。この先、真智子が年を刻むことはない。
「ちょっと早すぎるよ…」。その死を知った夜、恵喜は名古屋拘置所の房の中、頭から布団をかぶって泣き続けたという。訃報を送ってくれた真智子の友人への返信にこうある。
「愛する者を亡くした人の心の辛(つら)さを初めて知りました。(自分が殺した被害者の)遺族に対して心のどこかに『俺が命を持って償いをするから、それでいい』という気持ちがありましたが、私の思い上がりでした。真智子さんは身をもって教えてくれました」
もう死刑でいい。遺族にボタンを押させろ…。投げやりにも見える恵喜の態度を、真智子は「生きて償うことから逃げている」と叱ってきた。
「恵喜さんへ…」。死の数日前、ペンも持てなくなった真智子の最後の一通を代筆した病院関係者が覚えている。「大福でも何でも好きなものを食べて、私の分も元気で生きてね」
小さな葬式。恵喜に代わって参列した支援者の一人が後日の面会で、ケータイで撮った遺影を見せた。刑死を待つ恵喜に、その柔らかなまなざしが注がれることはもうない。 =続く(この連載は二月十一日に再開予定です)(敬称略)
◎上記事の著作権は[中日新聞]に帰属します
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◇ 【二月二十一日 ある死刑囚の記録】 2013年2月21日 死刑執行された加納(旧姓武藤)恵喜(けいき)死刑囚 ① 2014-01-28
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納(旧姓武藤)恵喜(けいき)死刑囚 ② 殺人者支える“母親”
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納(旧姓武藤)恵喜死刑囚 ③ 弁護士 湯山孝弘
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納(旧姓武藤)恵喜死刑囚 ④ 「俺の死刑のボタンは遺族に押させてやってくれ」
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納(旧姓武藤)恵喜死刑囚 ⑤ 死へ進み始めた2人 / 失う痛み初めて知る
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納恵喜(けいき)死刑囚 ⑥ 面会室/ 孤独/ コンベヤーが迫る/ 教誨
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納恵喜(けいき)死刑囚 ⑦ 法相 千葉景子氏 小川敏夫氏
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納恵喜(けいき)死刑囚 ⑧ 下された法相命令 / 「開かずの扉」に消えた
◇ 2013年2月21日 死刑執行された加納恵喜(けいき)死刑囚 ⑨ 「償いにはならないが」 最終回 2014-03-06
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