石原慎太郎氏 18年ぶり国会質疑「国民への遺言」 憲法や尖閣問題など

2013-02-13 | 政治/石原慎太郎

石原氏、18年ぶり国会質疑「国民への遺言」 憲法や尖閣問題などで持論展開 〈H25/2/12 衆院予算委員会・石原慎太郎【安倍内閣の政治姿勢集中審議】
産経新聞2013.2.12 23:53
 衆院予算委員会で質問に立つ日本維新の会の石原慎太郎共同代表=12日午後、国会・衆院第1委員室(酒巻俊介撮影)
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表が12日、衆院予算委員会で質問に立った。国会での発言は、議員勤続25年を表彰する衆院本会議で政党や政治家を批判して議員辞職を表明した平成7年4月以来約18年ぶりだ。自身の政治テーマである憲法や、東京都知事時代に取り組んだ沖縄県・尖閣諸島問題、米軍横田基地の軍民共用などで持論を展開、「独演会」の様相になりながらも日本の「危機」を認知させようと努め、安倍晋三首相らも神妙な面持ちで耳を傾けた。
 「浦島太郎のように国会に戻ってきた『暴走老人』の石原だ。質問は、国民への遺言のつもりだ」
 石原氏は冒頭、田中真紀子前文部科学相が付けたあだ名を愛用すると、国政活動の空白を一気に埋めようとするかのように次々と持論を切り出した。
 「この国の混乱や退廃をもたらした大きな要因は憲法だ。第二次大戦の勝者が敗戦国を統治するために一方的に作った」
 「尖閣諸島で政府が今やっていることは実効支配とはいえない。魚釣島の頂上に灯台を造るべきだ」
 随所で自民党や野党の批判を交えても、第1委員室の議員から目立ったやじが飛ぶことはなかった。
 最後には宇宙物理学者のホーキング氏の講演を引き合いに環境問題の重要性を熱弁した。長男の伸晃環境相との「親子対決」は実現しなかったが、首相は「環境問題を重視しているから石原伸晃環境相を任命した」と応じ、両者の良好な関係をアピールした。
 「デリケートな問題があるから明快な回答が返ってくるとは思わない。質問を通じて、こういう認識を持ってもらったら良い」
 1時間40分の質疑時間の大半で長広舌をふるった石原氏は終了後、満足げな表情を浮かべた。
 一方、民主党の閣僚経験者は「石原氏は高尚で良い話をしていた」としながらも、「一問一答形式が基本の予算委よりも、衆院本会議で全議員に聞かせた方がよかったのではないか」と皮肉交じりに感想を漏らした。(小田博士)
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石原氏vs安倍首相の論戦要旨
産経新聞2013.2.12 23:55
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表と安倍晋三首相の主なやりとりは以下の通り。
 石原氏「現行憲法は第二次大戦の勝者が敗戦国を統治するための即製の基本法だ。現行憲法を廃棄する考えはどうか」
 首相「現行憲法のもとは占領期に1週間ちょっとでつくられたと認識している」
 石原氏「憲法にある天皇は『象徴』の具体的意味は」
 首相「象徴とは、日本国において、権力を持つ存在ではなく、日本の長き歴史と伝統、文化による象徴だと理解している」
 石原氏「大まかには正しい。今年、靖国神社に参拝するか」
 首相「いたずらに外交的、政治的問題にしようと思わないので、参拝するしないは申し上げない」
 石原氏「私は行かなくてよいと思う。ならば、神道の祭主である天皇陛下に参拝していただくよう、奏上してほしい」
 首相「天皇陛下の親拝について私がうんぬんする立場ではない」
 石原氏「尖閣諸島を日本が『実効支配』している具体的な実態は」
 首相「尖閣周辺の領海も接続水域もわが国の海上保安庁が管理している」
 石原氏「毅然とした態度をとるべきだ。刀を抜くのはばかだが、鯉口をパチンと切ることだ」
 首相「領土領海を守る決意を示すことだ。日本の実効支配を揺るがせられると思わせてはならない」
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〈来栖の独白 2013/2/13 Tue. 〉
 例えば「予算委員会」と銘打っていても、日本の国会は、予算とは無関係の質疑応答が常態。昨日午後は石原氏が質疑に立つということで、私は楽しみにしていた。案に違わず、憲法改正から尖閣、核保有・・・と、じっくり持論を展開。歴史に遡っての内容もふんだんだが、「タカ派」などと揶揄する(中日新聞)方々はケチをつけるばかりで石原氏の深い想いは到底理解できないだろう、と予想した。案の定、本日の中日新聞の石原氏の質疑記事は、「タカ派 独演会」で片づけている。
 石原氏の感性にとって、日本国憲法は我慢ならないものだろう。美しくない。概念的にも、日本の風土とはおよそ相いれない。例えば「奴隷」などという人種はこの国には存在しない。アメリカという、日本人とは似ても似つかない無縁の精神風土が俄かに作った憲法である。日本語になっていない。美しくない。これが、石原氏には我慢ならない。私も、だ。この憲法を改正するために石原氏は帰ってきた。国会という場に帰ってきた。都ではできないから、と私は痛切に感じた。
 少しだけ触れていたが、この国は、いまや僅かの親の年金欲しさに親の死亡届を出さず、人として大事な祭りごと(葬儀)すらしないほどに心と矜持を忘れる国民となった。我欲の塊となった。政治(貧困)の問題は、別様である。長年の空疎な憲法によって、この国は自らの国や子を守るということすら放棄し、平和ボケとなった。おのが国や子孫を、自分たちで守ろうとしないでどうするか。そうなっては最早国家でもなく、人でもない。この国は、そこまで堕ちた。
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石原氏 タカ派 独演会 
中日〈東京〉新聞2013年2月13日 朝刊
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表が十二日の衆院予算委員会に出席し、十八年ぶりに現職議員として国会に登壇した。憲法改正や靖国神社参拝などタカ派色の強い持説を延々と披露する、さながら独演会となった。
 かつては自民党議員だった石原氏。国会での発言は、議員在職二十五年で永年在職表彰を受けた衆院本会議で議員辞職表明をした一九九五年以来、十八年ぶり。質問は羽田政権に対した九四年の衆院予算委以来となった。
 石原氏は質疑の冒頭で「十八年ぶりに国会に戻ってきた」と自己紹介すると、首相も意欲を持つ憲法改正を最初に取り上げた。
 現行憲法について「戦争の勝利者が、敗戦国統治のために即製した」と強調すると、首相は連合国軍総司令部(GHQ)による憲法原案作成の経過に触れ「一週間ちょっとで作り上げられた」と呼応。石原氏は「憲法を早期に大幅に変えていただきたい。いかなる協力もする」と意気投合してみせた。
 さらに、石原氏は沖縄県・尖閣諸島の警備強化の必要性を訴えると、首相は「相手に付け込む隙を与えないように、備えを確かにしたい」と応じた。石原氏は武器輸出三原則についても「変えることが安倍内閣の責任だ」と求めた。
 石原氏は質疑時間として割り当てられた一時間五十分中、約一時間十分を自分の質問に充てて存在感をアピール。質疑時間を十分も残して「国会再デビュー」を終えた。
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【国家的喪失】石原慎太郎 原爆被爆というトラウマからセンチメントに駆られて猿に戻ろうとしているこの国 2012-10-01 | 石原慎太郎 
 石原慎太郎 国家的喪失
 産経ニュース2012.10.1 03:22[日本よ]
 週末の金曜日時折都合で官邸の前を通ることがあるが、あそこで原発廃止のデモをしている連中を眺めるとふとあることを思い出す。私がまだ二十代の頃1960年の安保改定に反対して国会をとりまいていたデモの光景だ。
 安保の何たるかもよくわかりもしない手合いが群れをなし、語呂の良い「アンポ、ハンタイ」を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文藝家協会の理事会でも、当時の理事長の丹羽文雄が、「議事も終わったがまだ時間もあまっているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか」と持ち掛け、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、「僕らは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね」と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。
 安保騒動の折には日本で初めて三党の党首が安保についてテレビで、それぞれで所信を披瀝(ひれき)し、社会党の浅沼稲次郎の言い分は支離滅裂、民社党の西尾末広は言葉はすらすら出てくるが論を為さず、首相の岸信介の論は、その人相の印象とはかけ離れて筋の通ったものだった。あの改定によって条約は平等に近いものとなり日本への安全保障は今まで以上に確かなものになったが、デモの徒たちにはそんな斟酌は有り得なかった。
 最近官邸前で盛んな反原発のデモは子供まで連れて、この子供の将来のためにもという道具仕立てでかまびすしいが、それへの反論説得のために政府は一向に的確な説明をしきれずにいる。大体脱原発依存のための三つのパターンをいきなり唱えてそのどれにするかなどという持ち掛けは粗暴で子供じみたもので、何の説得性もありはしないし、原発廃止を唱えてうきうきして集まっている輩(やから)も、放射能への恐れというセンチメントに駆られているだけで、この国の近い将来の経済の在り方、そしてそれを支えるべきエネルギー体制への具体案など一向に備えてはいない。
 そして原発事故を混乱させた無能な責任者の前総理が、さわぎに便乗してデモ隊の輩を官邸に紹介して連れこみショウアップを試みる体たらくは浅はかというよりもむしろ危うい話だ。
 原爆被爆という人類未曾有の体験を持つ日本人の放射能へのトラウマは当然のことだろうが、それがことへの判断を大きく損ないかねぬということも、我々はまさにこの国の近い将来のために自覚しなくてはなるまい。
 私が昔何度か対談した実存主義の創始者でもある哲学者のレイモン・アロンはある時、同席していた私の親友だった若泉敬を前に、「日本のような唯一被爆体験を持つ国がなぜ核を持とうとはしないのか。日本にはドゴールのような指導者はいないのか。フランスは人類の未来を左右するだろう核という新しい技術体系を他国に委ねることは絶対に出来ない」といったものだ。実はその頃、非核三原則なるものをかまえながら沖縄返還に腐心していた佐藤栄作総理は、ニクソンとの交渉の以前ジョンソン大統領に日本の核保有に関しての協力を要請して断られ、ついでドイツと協力しての核開発を模索していたのだった。佐藤総理の密使として返還交渉に活躍していた若泉も実はそれを知りながら有事の際の核持ち込みの密約に腐心していた。これらの剛毅(ごうき)で見事な二枚舌を当節の日本人は好みはしまいが。
 私は先月、政治家を志し参議院に立候補した折のテーマにしていた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を視察したが、この従来の原発とは全く異なる原子炉が何ゆえに運転停止したまま徒(いたずら)に時を過ごしているのかを知って愕然(がくぜん)とさせられた。青森の六ケ所村に蓄積されている核廃棄物を再燃焼させることの出来るこの炉は、機械のある部分の事故以前の、一部の故障によって停止し、それに怯(おび)えた手合いの停止訴訟によって十年を超える長きにわたって止められたままなのだ。その間機械は完全に修復補強されてもなお、裁判という手続きがこれをはばんでいる。加えてあの福島の事故ですべての原発は国民的禁忌となりはてた
 その結果日本の原発技術の援護なしにはなりたたぬ韓国は、ウェスチングハウスを買収した東芝の後ろ盾でUAE(アラブ首長国連邦)の原発建設を落札しフランスに一泡ふかせた。韓国では、原子物理を専攻する学生の数は急増しているが、この日本では過去から背負った核トラウマと今回の災害による原発被害とあいまって原子力を専門に学ぼうとする学生の数は皆無に近く、またそれを教える先輩学者の数も激減している。
 韓国の大企業サムスンの繁栄も実は東芝が財政的理由で放棄した半導体の画期的プロジェクトをそのスタッフごと彼らが法外な給料で抱えて横取りしたことに発している。人間にとって新しい技術体系である原子力も、今またこの国の国民のトラウマから発したいたずらなセンチメントによって捨て去られようとしている。
 かつて反権威の象徴的存在でもあった吉本隆明氏は原発反対のヒステリーを批判して、「新しい技術を失敗を重ねて正統化しての進歩が近代精神の芯をなすもので、人間の進歩もそこにあった。それを無下(むげ)に否定してかかるのは、人間が猿に戻ることだ」といっていたが、センチメントに駆られて猿に戻ろうとしているこの国から、周りの、より人間たらんとする国々は容易に収奪しつづけ、日本は国家的喪失をつづけるのだろうか。
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『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
p161~
第3部 誰も日本のことなど気にしない
 アメリカは莫大な財政赤字を抱えて、日本を守ることができなくなった。もちろんアメリカ政府が正式にそう発言しているわけではない。だが2009年にオバマ政権が成立し、アメリカの財政がうまく立て直せないと分かり始めた頃から、アメリカの指導者が私に「日本が核兵器を持っても構わない」と言い始めた。
 これまで「日本に核兵器を持たせない」というのが、アメリカの日米安全保障政策の基本だった。「日本はアメリカが守る。だから核兵器を持つ必要がない」とアメリカは言い続けてきた。だがアメリカは日本を守ることができなくなり、守るつもりもなくなった。
p162~
 2010年、私の新年のテレビ番組のために行った恒例のインタビューでキッシンジャー博士はこう言った。
「日本のような経済的大国が核兵器を持たないのは異例なことだ。歴史的に見れば経済大国は自らを自らの力で守る。日本が核兵器を持っても決しておかしくはない」
p166~
 日本では左翼の学者や政治家たちが、核をことさら特別なものとして扱い、核兵器を投下された場所で祈ることが戦争をなくすことにつながる、と主張している。私は、こういった考え方を持つ進歩派の政治家の発言に驚いたことがある。
 福島原発の事故の担当になった民主党政権の若い政治家が、「これからどのような対策をとるのか」という私の質問に、「原子力は神の火で、軽々しくは取り扱えない」と答えた。「神の火」とは恐れ入った表現である。核エネルギーは石油や石炭と同じエネルギーの1つである。核爆弾も破壊兵器の1つに過ぎない。
 日本に関するかぎり、核爆弾を特殊扱いする政治的な狙いは的を射た。日本人の多くが、核を「神の火」であると恐れおののき、手を触れてはならないものと思い込み決して核兵器を持ってはならないという考えにとりつかれている。この状況が続く限り、日本人は核を持たないであろうとアメリカの政治家は考え、日本の指導者に圧力を加え続けてきた。だがその状況は大きく変わり、シュレジンジャー博士のように「持つも持たないも日本の勝手」ということになりつつある。
p168~
第4部 日本はどこまで軍事力を増強すべきか
 日本はいま、歴史的な危機に直面している。ごく近くの隣国である中国は、核兵器を中心に強大な軍事体制をつくりあげ、西欧とは違う独自の倫理に基づく国家体制をつくりあげ、世界に広げようとしている。すでに述べたように、中国は人類の進歩が封建主義や専制主義から民主主義へ向かうという流れを信用していない。中央集権的な共産党一党独裁体制を最上とする国家を維持しながら軍事力を増強している。そのような国の隣に位置している日本が、このまま安全でいられるはずがない。
 日本はいまや、同じ民主主義と人道主義、国際主義に基づく資本主義体制を持つアメリカの支援をこれまでのようには、あてにできなくなっている。アメリカは、歴史的な額の財政赤字を抱えて混乱しているだけでなく、アメリカの外のことに全く関心のない大統領が政権に就いている。こうした危機のもとで、日本は第2次大戦に敗れて以来、初めて自らの力で自らを守り、自らの利益を擁護しなければならなくなった。
 第2次大戦が終わって以来、日本人が信奉してきた平和主義は、確かに人類の歴史上に存在する理念である。だが、これほど実現の難しい理念もない。
p170~
 国家という異質なもの同士が混在する国際社会には、絶対的な管理システムがない。対立は避けられないのである。人間の習性として、争いを避けることはきわめて難しい。大げさに言えば、人類は発生した時から戦っている。突然変異でもないかぎり、その習性はなくならない。
 国連をはじめとする国際機関は、世界平和という理想を掲げているものの、強制力はない。理想と現実の世界のあいだには深く大きなギャップがあることは、あらゆる人が知っていることだ。
 日本はこれまで、アメリカの核の傘のもとに通常兵力を整備することによって安全保障体制を確保していたが、その体制は不安定になりつつある。今後は、普遍的な原則に基づいた軍事力を整備していかなければならない。普遍的な原則というのは、どのような軍事力をどう展開するかということである。(略)
p171~
 日本は、「自分の利益を守るために、戦わねばならなくなった時にどのような備えをするか」ということにも、「その戦争に勝つためには、どのような兵器がどれだけ必要か」ということにも無縁なまま、半世紀以上を過ごしてきた。アメリカが日本の後ろ盾となって、日本にいるかぎり、日本に対する戦争はアメリカに対する戦争になる。そのような無謀な国はない。したがって戦争を考える必要はなかった。このため日本はいつの間にか、外交や国連やその他の国際機関を通じて交渉することだけが国の利益を守る行為だと思うようになった。
 よく考えてみるまでもなく、アメリカの日本占領はせいぜい数十年である。人類が戦いをくり返してきた数千年の歴史を見れば、瞬きするほどの時間にすぎない。日本人が戦争を考えずに暮らしてこられた年月は、ごく短かったのである。日本人はいま歴史の現実に直面させられている。自らの利益を守るためには戦わねばならない事態が起きることを自覚しなければならなくなっている。
 国家間で対立が起きた時、同じ主義に基づく体制同士であれば、まず外交上の折衝が行われる。駆け引きを行うこともできる。だがいまの国際社会の現状のもとでは、それだけで解決がつかないことのほうが多い。尖閣諸島問題ひとつをとってみても明らかなように、外交交渉では到底カタがつかない。
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『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p249~
 アメリカでは、原発事故は戦争と同じ扱いである。したがって、中心になるのは軍隊である。警察や消防は補助的な存在で、軍隊が事故現場を取り仕切り、先頭に立って地域と住民の安全を確保する。ところが、我が国には軍隊がない。自衛隊は自衛隊に過ぎず、世界の常識で言う軍隊としての行動をとれなかった。もともと、そうした体制もできていなかった。(略)
 福島原発の事故で最も致命的だったのは、「原発は安全である」という宣伝のもとで、政府も地域の人々も事故が起きた場合の訓練を行っていなかったことである。つまり、備えがまったくなかった。
p250~
 私はアメリカの原子力発電所をいくつか取材したが、「原発は安全である」と宣伝する一方で、定期的に事故に備える訓練を行っている。すでに触れたが、使用済みの核燃料が大量に保管されているワシントン州のハンフォードでは、毎週金曜日の午後に、地域の人々を含めて訓練が実施される。(略)
 このことを東京電力の関係者に言ったところ、次のように反論された。
訓練をしなければならないというと、ただちに原発反対の声につながってしまうのです
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行
p76~
 日本の核保有に関して、私と、もう一人複雑な思いを抱えていた若泉敬にとって極めて印象的な思い出があります。ある機会に私はかつて強い影響を受けた、サルトルと並んで戦後のフランスにおける実存主義の旗手の一人だった哲学者のレイモン・アロンとの知己を得て以来彼が来日する度会って会話を楽しみましたが、ある時親友の若泉を伴って会食したことがあります。
 その時話題が世界の核に及んだらアロンが、
「日本は何故自ら核兵器をもとうとしないのだ。世界で核を保有する権利が最もあるのは、世界で唯一の被爆国の日本以外にありはしないのに」と詰問してき、何か言い訳をしようとした若泉を遮って、
「日本にはドゴールのような指導者はいないのか。我々は我々の危機に及んでの、友人と称する他国の善意を信じることはあり得ない。君ら一体何を根拠に他国の善意なるものを信じようとするのか」
 といわれ返す言葉がありませんでした。
p77~
 若泉にとってその時の会話はよほど肺腑をえぐるものだったらしく、彼はその後すぐに生まれた次男に核という名前をつけましたが。
 現代この時点で核戦略に関する議論は新しい技術体系を踏まえてさまざまあり得よう。核兵器による攻撃は弾道ミサイルで運ぶ以外に、潜水艦からの発射や巡航ミサイル、あるいは今日では宇宙船搭載による等。しかし日本という狭小な国家は、今日の水爆ならばただの2発で全滅してしまいます。そんな国が、例えばまず1発の水爆で半ば消滅しかけているのに、それを救うべく他の一体誰が自らの危険を冒して乗り出してくるだろうか。
 特に中国が「軍民統合、平戦結合、以民養軍、軍品優先」なる16文字政策によって1989年から2006年にかけての17年間に軍事予算をなんと8倍に増やし、核に関しても十分な抑止力を超えた装備を備えた今、彼らのいうように「中国の国防は純粋に自衛のためのもの」と信じる者はどこにもいません。今限りで中国がいずれかの国に対して直接武力による侵犯を行う意図はうかがえぬにしても、日本との間にある尖閣諸島周辺の資源開発問題や、あるいは領土権そのものに関しての紛糾の際に、その軍事力はさまざまな交渉の際の恫喝の有効な手立てとなってくるのです。


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