死刑命令書に署名拒否

2006-09-26 | 死刑/重刑/生命犯

2006年09月26日 00時00分 東京新聞

杉浦法相 在任中、執行『0』濃厚

 杉浦正健法相の在任中に、死刑執行が行われないことが濃厚になった。同法相は二十六日午前、内閣総辞職後の記者会見で「死刑問題についてのコメントは差し控える」と述べたが、関係者によると、執行命令書への署名を拒んだという。一九九三年に当時の後藤田正晴法相が執行を再開して以来、在任期間が短かった四人を除く歴代十四人の法相が続けてきた死刑の執行は、“中断”された格好だ。

 死刑執行は、刑事訴訟法で法相の職責と定められており、歴代の各法相に、在任中に一回は執行させるのが政府の方針とされる。

 小泉内閣は総辞職したものの、杉浦法相は新内閣の法相が就任するまで職務に当たる。

 関係者によると、法務省事務当局は今月、杉浦法相に複数の死刑囚の記録を提出。当局者が繰り返し面会して、執行命令書への署名を促したが、法相は難色を示したという。

 杉浦法相は、弁護士出身で、浄土真宗大谷派の門徒。昨年十月末の就任記者会見で、死刑執行について「私はサインしない」と発言した。その理由を「私の心の問題、宗教観、哲学の問題だ」と説明したが、一時間後には「個人としての心情だった」と撤回した。

 死刑執行は、同派僧侶の左藤恵法相による執行命令書への署名拒否などで、八九年十一月から三年四カ月途絶えた「空白期間」があった。九三年三月に後藤田法相が再開してから昨年九月まで、計四十七人の死刑囚の刑が執行されている。死刑確定者数は今年八月末現在で八十八人に上る。

■制度のあり方、議論尽くせ

<解説> 杉浦法相による死刑執行命令書の「署名拒否」は、死刑制度のあり方をめぐる議論に一石を投じることになりそうだ。

 多くの国民にとって、死刑制度は縁遠い話に違いない。法務省が長く、死刑執行の具体的事実を明らかにしてこなかったからだ。今も、執行された死刑囚の氏名を公表しない。

 だが近い将来、国民は死刑制度の「部外者」ではいられなくなる。二年半後に迫る裁判員制度は、殺人など重大事件を対象にしており、国民から選ばれた裁判員が、死刑判決を選択する場面も出てくるはずだ。

 死刑制度の一端に国民がかかわる以上、死刑に関する情報を積極的に開示するのは政府の義務と言える。

 昨年二月に内閣府が発表した世論調査では、死刑について「場合によってはやむを得ない」とする回答が八割に上った。

 しかし、国際的には、死刑廃止に向かう潮流がある。先進国で死刑制度を残すのは日本と米国の一部の州だけで、死刑制度を法律上、または事実上廃止している国は百カ国を超える。

 国家が法に基づいて行う殺人である死刑を、存続すべきか否か。維持するとしても、昔ながらの絞首刑を続けるのが妥当なのか。死刑廃止を訴える超党派の国会議員グループによる終身刑導入を目指す動きもある。

 制度の存廃も含め、国民的議論を尽くすべき時は熟している。 (鬼木洋一)

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2006年9月26日22時9分  読売新聞)

 死刑「慎重に考え、厳正に執行」…長勢法相

法相に就任した長勢甚遠さんは26日の会見で、死刑問題について「大変重大な刑罰で、慎重に考えなければならない問題だが、確定した裁判を厳正に執行することも大切なことだ」と述べ、法の規定に沿って判断するとの考えを示した。

 杉浦前法相は、昨年10月の就任会見で死刑執行命令書に署名しない考えを明らかにし、その直後に発言を撤回していた。ところが、今月、法務省事務当局から、執行対象となる死刑囚の記録を渡され、命令書への署名を求められたものの、これを拒んでいたことが判明。結局、約11か月間の在任期間中、死刑は執行されなかった。

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 本日の奈良の女児殺人事件の判決もそうだけれど、人の世に苦しみが生まれ、その苦しみを救済してゆくものは一体何なのだろう。新閣僚の晴れがましい言葉を聞いていても、空々しさしか感じられない。自分の幸せをこの国の総理にお願いする気にもならないし、子どもの生活を「再チャレンジ」とかに期待する気にもなれない。少子化も、高齢化も、教育も、然り。


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