幻の仙谷財務相  藤井氏、12月に漏らした辞意

2010-01-13 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

読む政治:幻の仙谷財務相(その1) 鳩山首相、「小沢氏配慮人事」で一転
 「仙谷由人財務相、枝野幸男行政刷新担当相がいいと思うんだ」。藤井裕久財務相が辞意を伝えた翌日の6日昼過ぎ、鳩山由紀夫首相は後継人事について側近議員に腹案を漏らした。菅直人副総理兼国家戦略担当相に財務相を打診したが、菅氏が「今のまま副総理と国家戦略がやりたい」と固辞。首相の次なる一手だった。
 「事業仕分け」を手掛け、脚光を浴びた行政刷新担当相の仙谷氏を横滑りさせ、後任に「仕分け人」統括役の枝野氏をあてる「仕分けコンビ」案。内閣支持率が下降する中、攻勢に打って出るのに最適の布陣との判断があった。
 一方、菅氏は断った際、首相に「野田さんはどうか」と野田佳彦副財務相の「昇格」を提案した。野田氏は、平野博文官房長官も起用を薦め、藤井氏も推挙した。首相の「仙谷案」と菅氏らの「野田案」がテーブルに載ったが、首相はまだどちらにも打診していなかった。
 藤井氏が診断書と共に正式に辞表を首相あてに提出したのは同日午後3時ごろ。平野氏は経済団体の会合を中座して官邸に戻り、首相と対応を協議した。
 菅氏は小沢一郎民主党幹事長と良好な関係だが、仙谷氏は09年、小沢氏の秘書が西松建設献金事件で逮捕された際、党代表の自発的辞任を要求し、枝野氏も「説明責任を果たすべきだ」と批判。野田氏は予算編成で省内から評価されたことで逆に党内に「取り込まれた」との懐疑心を植え付けた。
 小沢氏周辺からは「菅氏はいいが、仙谷、野田両氏の起用は望ましくない」との声が伝えられた。党側の抵抗は予期していた首相だが、パフォーマンス人事で党との関係をこじらせるのは得策ではないと最終的に判断したようだ。
 同日夕、内閣府で政務三役会議中だった菅氏を電話で呼び、官邸に着くなり「財務相をお願いしたい」と要請。「野田氏か仙谷氏」と思い込んでいた菅氏は驚いたが、首相は揺るがず、続いて仙谷氏を呼び国家戦略担当の兼務を求めた。
 だが首相の「小沢氏配慮」の人事はしこりも生んだ。
 「この部屋は使えるんだよな?」。同日夜、首相官邸の副総理執務室。菅氏はテレビ中継で流れる首相の記者団とのやりとりを見ながら、同席していた官邸関係者に尋ねた。鳩山首相から「財務相起用」を申し渡されたばかりにもかかわらず、まず気にしたのは、今後も自らが副総理として官邸を拠点に活動できるかどうかだった。(肩書は当時)

幻の仙谷財務相(その2止) 藤井氏、12月に漏らした辞意
 ◇もう、やれない 「重圧」の陰に小沢氏
 「体調不良」を理由にした藤井裕久前財務相の辞任。鳩山由紀夫首相に辞意を伝えたのは5日だったが、年末から「辞意」を周辺に漏らしていた。その陰には、小沢一郎民主党幹事長の存在が浮かび上がる。
 先月16日、10年度予算編成での党の重点要望提出のため首相官邸に乗り込んだ小沢氏は「財務省は予算編成を急げといっているようだが、国民の要望を踏まえて決定してもらいたい」と露骨に批判し周囲を驚かせた。
 小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。
 藤井氏は旧大蔵省出身。就任後、事務方には「菅直人国家戦略担当相(当時)、仙谷由人行政刷新担当相に協力しなさい」と指示。「脱官僚」より「官僚活用」に力点を置き、小沢氏側には「財務省寄り」と映っていた。
 ある閣僚は「財務省をコントロールできてない」との小沢氏のぼやきを聞いている。小沢氏の発言を党幹部は「藤井さんへの批判だった」と語る。この夜、藤井氏は関係者に「もう大臣をやってられない」と漏らした。
 予算編成後の同28日に検査入院。親しい人には「体力の限界」と打ち明け、翌29日の与党3党幹事長らの忘年会で小沢氏が「検査入院なんかじゃない」との見方を示すに至って「辞意」に現実味が帯びた。続く30日の記者会見では予算編成について「相当な重圧」「しんどかった」「相当疲れた」と連発。公然と「弱音」を吐いた。
 藤井氏は菅直人副総理、仙谷由人行政刷新担当相、平野博文官房長官と「四人会」と称する秘密会合を開いている。最近の会合でも「この4人がしっかりまとまれば、政権はもつ」と熱意を語ったばかりだった。
 旧知の渡部恒三元衆院副議長は今月10日、民放テレビ番組で「『心身ともに疲れてしまいました』と電話で言っていた。この人がもっとおれを理解してくれてもいいはずなのにという苦労があったと思う」と裏話を披露。個人名こそ避けたが、「この人」と称した小沢氏との関係に疲れたのではと心中を察してみせた。
 後継に推した野田佳彦副財務相は52歳。「親分肌」で約30人のグループを率いる次期リーダーの一角で「反小沢」であるのは承知の上だ。辞任劇は「ポスト小沢」もにらんで世代交代を促そうとした思惑も透けて見える。
 ◇菅氏、成長戦略の主導権手放さず 財務相、快諾なんかしてない
 突然の藤井氏辞任は、鳩山政権内に新たな火種も生んだ。
 「菅さんが成長戦略の取りまとめをやると首相指示書にはあるが、スタッフは国家戦略に残っている。できるんですか」
 7日午後、首相官邸。仙谷国家戦略兼行政刷新担当相は鳩山由紀夫首相から辞令を交付された後、そのまま菅氏と2人で1時間ほど話し込んだ。菅氏が国家戦略担当相として先月30日にまとめたばかりの「成長戦略」を今後どちらが担当するのかが焦点だった。
 仙谷氏は7日朝、内閣府で行われた事務方との打ち合わせで、古川元久副内閣相から成長戦略の現状について説明を受けていた。国家戦略担当を菅氏から引き継いだ時点で、成長戦略も当然のごとく引き受けるつもりでいたからだ。
 菅氏は財務相を引き受けた直後の6日夜、鳩山首相が記者団に「快諾いただいた」というのを聞き、周辺に「快諾なんかしてない」とこぼした。「国家戦略室はこれまでさんざん機能不全などとたたかれた。ようやく本格的に動ける態勢が整い、これからが本番だ」との思いだ。当然、自らが国家戦略担当相としてまとめた成長戦略には強いこだわりがある。
 国家戦略担当の荒井聡首相補佐官も、仙谷氏ではなく引き続き菅氏の下で働くことになる。仙谷氏の周辺は「鳩山首相が菅、仙谷両氏を官邸に呼んで後任人事を決めた6日の時点であまり詰めていなかったのではないか」と戸惑いを見せる。
 その時点で詰められたのは「経済財政担当は引き続き菅氏」との役割分担。菅氏が自ら「経済財政は私がやりますから」と宣言した。周辺はその理由を「財務省だけに閉じこめられたくないからだ」と解説する。
 菅氏は「脱官僚依存」の急先鋒(せんぽう)だ。「官僚の中の官僚」とされる財務省とのバトルを前に独自の防衛策を講じてもいる。財務相としての初の閣議後会見を首相官邸で従来と同じように副総理として行った。これまでも公務で使用する車に財務省出向の秘書官を同乗させておらず、「財務省に取り込まれまい」とする執念がにじむ。
 菅氏の思惑が大きく影響し、成長戦略の行方は不透明だ。仙谷氏の補佐役として首相補佐官に就く予定の枝野幸男元党政調会長は先月、菅氏から「成長戦略を年末までに作ってほしい」と持ち掛けられ、「成長戦略は不要」の持論を盾に断った。
 成長戦略は今年6月までに具体策をまとめなければならないが、内閣府の政務三役の一人は「誰が責任を持ってやることになるのかよく分からない」とこぼした。
毎日新聞2010年1月11日 東京朝刊
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枝野氏:首相補佐官に…行政刷新担当 「反小沢」代表格
 鳩山由紀夫首相は7日、民主党の枝野幸男元政調会長(45)を首相補佐官に起用する方向で調整に入った。行政刷新担当の補佐官とし、藤井裕久財務相の辞任に伴って国家戦略担当相を兼務することになった仙谷由人行政刷新担当相の業務を補佐させる意向だ。近く閣議決定する。枝野氏は小沢一郎幹事長と距離を置く民主党議員の急先鋒(せんぽう)でこれまで無役だったが、政府の要職に就くことになった。
 枝野氏は昨年11月に事業仕分けの統括役として各省との折衝の先頭に立った。12月には民主党から戦略室と刷新会議の業務の応援にあたる国会議員12人の中に入った。
 ただ、国会法などの規定で政府入りできる議員は首相と閣僚17人、副大臣22人、政務官26人、首相補佐官5人、官房副長官3人の最大74人で、法的な位置付けを持って政府に参加できない立場だった。補佐官への起用で、政府の会議などに出席できるようになる。今後、独立行政法人や公益法人改革を担当するとみられる。
 枝野氏は小沢氏と距離を置く議員の代表格で、08年9月の党代表選では小沢氏に対抗して出馬する姿勢を一時見せた。枝野氏の起用は同じく小沢氏と距離がある仙谷氏が求めたとみられ、小沢氏側が神経をとがらす可能性がある。
 鳩山内閣の補佐官は昨年9月の政権発足時に首相側近の中山義活、小川勝也両氏が起用され、10月に任命された荒井聡補佐官は菅直人副総理の側近で国家戦略を担当している。12月に就任した逢坂誠二補佐官は地方分権担当として原口一博総務相を補佐している。
 枝野氏は93年に日本新党から初当選し、衆院当選6回。菅直人代表時代に党政調会長を務めた。【田中成之、影山哲也】
毎日新聞 2010年1月7日


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