戦後70年・終戦の日は19万人もの参拝者 靖国神社は静かに祈りの時を刻んでいた 安倍談話に感謝の声も

2015-09-01 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

 産経ニュース 2015.9.1 07:00更新
【政界徒然草】戦後70年を迎えた靖国神社は静かに祈りの時を刻んでいた… 安倍首相談話に感謝の声も
 安倍晋三首相は8月14日に発表した戦後70年談話で、「尊い犠牲の上に、現在の平和がある」と戦没者に哀悼の意と敬意を示し、将来にわたる謝罪の繰り返しに歯止めをかける考えを示した。翌15日の「終戦の日」は、東京・九段北の靖国神社に昨年より2万人多い19万人が足を運んだ。参拝者らに話を聞くと、談話に共感する声が非常に多く聞かれた。
 午前6時、神門の木製の大扉がゆっくりと開く。開門を待っていた300~400人が拝殿に進み、静寂の中で手を合わせた。昼前には、待ち時間が1時間を超える行列ができる。子供連れの家族や20~30代の若者が多いのが印象的だった。
 正午の時報に合わせ、境内の老若男女が全員、静かに黙祷をささげた。聞こえるのはセミ時雨だけだった。
 国会審議中の安全保障関連法案は一部の野党やメディアに「戦争法案」とレッテル貼りされ、攻撃されている。今年はさぞ荒れ模様になるだろう-との予想は全くの見当違いだった。
 ナチス親衛隊の軍服を着た参拝者がいたり、男性が韓国語を叫びながら韓国国旗を広げたりするシーンはあったが、こういったごく一部の例外を除き、境内は平穏な祈りの時間が流れていた。 「お踏みください」と書き添えられた菅直人首相(当時)の写真が地面に貼り付けられていた民主党政権時代のような、とげとげしい雰囲気は感じられなかった。
 安倍首相は今年も参拝を見送ったが、自民党総裁として玉串料を私費で奉納した。首相の代わりに靖国を訪れて奉納した萩生田光一・総裁特別補佐によると、首相から「ご英霊に対する感謝の気持ちと靖国への思いは変わらない」という思いを伝えられたという。
 首相は第1次政権時代に靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と語っていたが、第2次政権以降の参拝は平成25年末の1度きり。足立区から参拝に来た男性(84)は「中国や韓国の批判なんて気にせず、胸を張って参拝してほしい」と語った。萩生田氏は、首相が今回参拝を見送った理由について「(25年末に)心静かに参拝したが、政治問題化した」と残念そうに述べた。
 閣僚では、春季例大祭に続き高市早苗総務相、有村治子女性活躍担当相、山谷えり子国家公安委員長の女性3閣僚が参拝した。彼女たちが本殿入り口に到着すると参拝者から拍手が起きた。
 「国難のときに命をささげた方に対して心を込めて、追悼と感謝の意をささげさせていただいた」。有村氏は参拝後、記者団にこう説明した。
 しかし、中国や韓国は日本人の特別な思いにはお構いなしに、首相の玉串料奉納や3閣僚の参拝を「歴史問題において重大に間違っている日本側の姿勢を改めて示している」(中国外務省)などと批判した。
 中国や韓国が靖国参拝を外交カードに使うのは毎年の風物詩だ。高市氏はこう断言した。
 「公務死された方々をどのように慰霊し、おまつりをするかというのはそれぞれの国の問題だと思う。外交問題になるべき事柄ではない」
   × × × 
 安倍首相は14日に発表した戦後70年談話の中で「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々」など国内外の戦争犠牲者に哀悼の意を表し、さらにこう続けた。
 「尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」
 「子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
 首相側近によると「戦後50年の村山富市首相談話のように『日本は悪いことをしました』と一方的に謝るのではなく、当時の時代背景を冷静に捉え直した上で反省する。そして謝罪の繰り返しを終わりにする。そんな首相の思いが込められている」という。
 そうした安倍首相談話は参拝者の共感を得たようで、先人への感謝はもちろんのこと、「(戦後70年という)この節目に区切りをつけるべきだ」との意見が目立った。
 南方戦線でいとこを亡くした女性(78)は「戦死した人たちへの感謝の気持ちが表れていた。昔の人、今の人たちへの思いやりが感じられる内容だった」と評価した。
 高市氏は記者団に、談話の意義をこう強調した。
 「日本人に生まれただけで罪であり、未来永劫、謝罪を続けなければいけないという民族責任論から子孫の代を解放していく、未来志向型の談話となった」
 15日の午前10時半から、境内で恒例の「戦没者追悼中央国民集会」が開かれた。
 「長い年月をへて戦後70年で、安倍政権で大きく潮目が変わったと断言してよいだろう。246万柱の英霊に『どうぞほっとされてください。安倍さんはしっかりやっていますよ』とお祈りしたい」
 主催団体の1つ「日本会議」の田久保忠衛会長(杏林大名誉教授)はあいさつでこう語った。
 午後1時過ぎからは「戦後70年若人の集い」と題した若者らの集会も境内で開かれた。インターネット動画製作・配信者の京本和也氏(27)は「英霊たちが守ろうとした郷土を現在の私たちが守り抜く決意を新たにしないといけない」と強調した。
 中国が海洋覇権拡大を目指し、北朝鮮が核開発を進めるなど、日本をめぐる安全保障環境は厳しさを増している。だからこそ、貴い犠牲の上に平和があることに感謝し、守っていかねければならない-。この日、そんな思いが広がっていた。
(政治部 田中一世)

 ◎上記事は[産経新聞]からの引用です  *リンクは来栖


アジアで「靖国参拝」に反対しているのは中韓2国だけだとしても、日本国内の一部勢力が火に油を注いできた 2013-08-16 

【靖国考(上)1】首相参拝、中韓より米の反応見極め、時機模索
産経新聞2013.8.14 08:08
 「安倍晋三首相も『必ず12月27日に(靖国神社に)行く』と言っていた。『不戦の誓い』のために行くのであり、ベストのタイミングだと思ったのだが…」
 政府関係者の一人は「幻」に終わった昨年末の靖国参拝案をこう振り返る。
 首相は野党時代の平成23年11月の産経新聞のインタビューで、第1次政権時(18年9月~19年9月)に靖国に参拝しなかったことをこう悔いていた。
 「それ以来、首相の靖国参拝が途絶えたことでは禍根を残したと思っている。19年の春秋の例大祭か夏(終戦の日)に参拝しようと思っていたが、秋の例大祭の時点では首相を辞めていたので時機を逸してしまった。春か夏に参拝すべきだった」
 首相は再登板後も第1次政権時の不参拝について「痛恨の極みだ」と繰り返し表明している。「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことだ」とも強調している。ならばなぜ、首相は12月27日の参拝を中止したのか。
 理由は定かになっていないが、官邸内に「『いま首相が靖国に行くというのなら命懸けで止める』という反対論もあった」(関係者)とされる。背景にあるのはやはり、日本を取り囲む厳しい国際情勢だ。
 首相や閣僚の靖国参拝はあくまで日本の国内問題であるはずなのに、中国や韓国は「歴史カード」を振りかざし、執拗に干渉してくる。そのうえ、最近では同盟国である米国の態度も中韓に配慮して微妙だ。
 「靖国参拝は終戦の日にこだわり焦って行く、ということではない。時機と中韓、そして米国の反応を見極めながら考える」
 首相が7月の参院選終盤、周囲にこう語ったように、「ポイントはいつ行っても反発する中韓よりも、むしろ米国の対応」(外務省幹部)なのだ。
 また、「何も戦争に負けた日(8月15日)だけ行くことはない」(麻生太郎副総理)との考えは首相も同じだ。今後は秋の例大祭(10月17~20日)を一つのタイミングとしつつ、国際情勢や国益を見据えてさまざまな可能性を探るとみられている。

【プレイバック写真】安倍総裁が靖国参拝「国のために命をささげた英霊に…」

       

 2012年10月17日 安倍総裁が靖国参拝 自民党の安倍晋三総裁は17日夕、秋季例大祭に合わせ東京・九段北の靖国神社を参拝した。 安倍氏は参拝の理由について記者団に「国のために命をささげた英霊に対し党総裁として尊崇の念を表するために参拝した」と説明。首相に就任した場合の対応に関し「日中、日韓関係がこういう(険悪な)状態で、いま首相になったら参拝するかしないかは申し上げない方がいい」と述べた。<写真は、靖国神社を参拝した安倍総裁=17日午後、東京都千代田区(桐原正道撮影)>

【靖国考(上)2】「中国が反発、わが国も…」 韓国「歴史カード」便乗
2013.8.14 11:02
 在任中、6度にわたり靖国神社に参拝した小泉純一郎元首相に対し、米国はことさら批判したり、参拝自粛を求めたりしてくることはなかった。米国は中国や韓国が反発しても関知しないという方針をとった。
 ブッシュ前米政権で国家安全保障会議アジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏が7月16日の都内での記者会見で明らかにしたところによると、中国が台頭する中で「信頼できる同盟国の首脳を公に批判するのは最悪」との、当時のブッシュ大統領の判断などがあったという。
*民主党政権で損壊
 だが、3年余の民主党政権は日米関係を大きく損壊。日本の経済的地位の相対的低下とあいまって、米側の対日姿勢は変化してきている。
 「以前は同じ同盟国といっても、米国務省は韓国より日本をずっと重視していたが、現在では同程度の扱いになってしまった」
 日米外交筋はこう嘆く。オバマ政権下の日米関係は、小泉-ブッシュ時代のような蜜月とはほど遠い。
 米議会調査局は今月2日、安倍晋三首相が終戦の日の15日に靖国神社を参拝すれば「北東アジア地域の緊張が激化する可能性がある」と指摘した。これは米政府の公式見解でも何でもないが、米国内の「空気」は表している。首相が「タカ派」「ナショナリスト」というイメージは一定程度、米側に浸透しているからでもある。
 首相は15日に参拝しない方針だが、それでは秋に参拝した場合、米国はどう出るだろうか。外務省幹部はこうみる。
 「米政府の公式な声明で批判することはしないだろうが、内々にはかなり厳しい反応をすると思う」
 これでは、首相の目指す「日米同盟の強化」による中国への牽制(けんせい)や、拉致問題解決のための北朝鮮包囲網にもほころびが生じる。首相周辺は「参拝までに、米国を納得させなければならない」と強調する。
*「筋違い」米に説明
 実際、日本政府高官は今春訪米し、米政府高官らに首相の歴史に関する考え方を説明して回った。靖国参拝に関しては「中国の言う軍国主義化など全くない」と述べた。韓国の反発については、こんなやりとりがあったという。
 日本政府高官「そもそも日本は韓国と戦争をしていない。戦没者をまつる靖国への参拝に関し彼らに文句を言われる筋合いはない」
 米政府高官「初めて聞いた。そうだったのか…」
 韓国は今でこそ「日本政府、政界や指導者の靖国参拝はあってはならない。韓国政府の立場は明確だ」(5日の趙泰永外務省報道官の記者会見)との見解を示している。だが、韓国政府が靖国問題を強く主張しだしたのは最近のことだ。
 「ハイレベルで靖国参拝に批判の声を上げだしたころ、韓国政府当局者に『直接関係ないだろう。なぜなんだ』と理由を聞くと『中国が反発しているのでわが国も何か言わなきゃ…』ということだった」と、外務省幹部は振り返る。
 韓国では日本の朝鮮半島統治時代の徴用をめぐって日韓請求権協定を無視した賠償命令が相次ぐなど「道理」より「感情」を優先した対応が目立っている。靖国問題も「反日」の格好の材料にされている。
 中国も李源潮国家副主席が3日に鳩山由紀夫元首相と会い、首相や閣僚の靖国参拝を牽制したが、昭和60年に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝するまでは歴代首相の参拝に抗議などしてこなかった。
*日本側の反応見て
 中韓が日本に優位に立つために使う「歴史カード」は、日本側のナイーブな反応を見て比較的近年に多用するようになったものだ。
 時の首相による靖国参拝こそが、日中、日韓間に突き刺さった「トゲ」であるかのような論調は、国会でもメディアでも後を絶たない。だが、それが明白な錯誤であることは至極簡単に論証できる。
 民主党政権の3代の首相はみな、自身の靖国参拝を明確に否定していたが、この期間に日中、日韓関係は戦後最悪になったからだ。
 7月半ばに訪中し、習近平国家主席に近い民間の中国要人らと会ってきたという飯島勲内閣官房参与はその目的の一つが靖国の「根回し」だったと明かす。
 「2日間にわたって中国側に首相の靖国参拝の意義や目的について、滔々と語ってきた」
 いずれ首相は靖国に参拝する可能性が高い。米中韓各国を相手に、歴史分野においても「日本を取り戻す」戦いは始まっている。(阿比留瑠比)
                   ◇
祭神には幕末の志士も
 靖国神社は明治維新時の新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争で戦死した兵士らの霊を慰めるため、明治2(1869)年に「東京招魂社」として創建され、12(79)年に現在の名称になった。「国を靖(やす)(安)んずる」の意味で、明治天皇が命名した。先の大戦はもちろん日清、日露戦争の戦死者のほか、吉田松陰ら幕末の志士も合祀(ごうし)されている。祭神総数は246万6000柱余にのぼる。

【靖国考(中)】消えぬGHQの「禍根」 教育現場に忌避の風潮 荒廃する軍人墓地
2013.8.15 11:11
 「教育委員会として今後、修学旅行で遊就館の利用は考えていない」
 5月29日、兵庫県宝塚市議会。市内の中学校が修学旅行で靖国神社にある展示施設「遊就館」を訪れたことが問題視され、市教委幹部は訪問が不適切だったと答えた。質問した共産党市議は遊就館の展示内容が戦争美化につながると批判した。
 学校現場には靖国神社から生徒児童を遠ざけようとする風潮が根強く残る。
 主な原因は2つ。一つは、現行憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定が厳格に解釈されてきた結果、宗教に関わること自体まで学校ではタブー視されてきたことだ。
 そしてもう一つは連合国軍総司令部(GHQ)の「神道指令」を受ける形で文部事務次官が昭和24年10月25日に出した「社会科その他、初等および中等教育における宗教の取扱について」という通達だ。
 《学校が主催して、靖国神社、護国神社および主として戦没者を祭った神社を訪問してはならない》
 占領下の通達はすでに失効しているが、通達が生きていると考えている教育委員会関係者は多い。
 平成20年3月になって当時の渡海(とかい)紀三朗文科相が通達の失効に加え「国公立が主催して寺社や寺院または教会等の宗教的施設を訪問することは、宗教的活動に当たらない限り許容され、靖国神社、護国神社も同様だ」との見解を示した。
 それでもなお教育界には靖国を遠ざける「靖国禁止通達」の意識がある。宝塚市教委は「(当初の答弁は)ニュアンスが伝わっておらず、誤解を招いた」と釈明した。しかし「行き先は学校長が決定すべき事柄だ」とも述べ、学校側に靖国訪問に慎重な対応を求める考えも示した。
 ■根強い否定の論理
 GHQは昭和20年12月、神道指令で靖国神社に対する国家保護を禁じた。戦前、陸海軍省と内務省によって管轄されていた靖国神社は戦後、神社本庁とは別の一宗教法人としての歩みを始める。
 主権回復後、日本遺族会を中心に靖国神社を再び、国家護持にしようとする機運が盛り上がった。戦没者は国のために命をささげた存在だったにもかかわらず、それを祭る靖国神社が民間の宗教法人という地位であることへの不満があったためだ。自民党が中心となって「靖国神社法案」を5回にわたって提出したが、実現しなかった。
 永田町ではその後も靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」の分祀(ぶんし)を図る「分祀論」、引き取り手のいない戦没者の遺骨を納めた「千鳥ケ淵戦没者墓苑」を拡充する構想が論じられた。非宗教の国立追悼施設を新たに建設し戦没者追悼の中心を移すアイデアも提起されては消えていった。
 これらは「非宗教化」を図る「靖国神社否定」の論理に根ざす。安倍晋三首相は国会答弁で遺族が靖国神社に参拝する理由について「(戦没者と)魂が触れ合うと思うからだ」とし、「それが感じられなければ誰も行かない」と述べ、新施設を検討する考えのないことを明確にしている。
 ■「慰霊は国に責任」
 GHQによる陸海軍省解体の余波を受けたのが、国内に82カ所存在したとされる日本の「軍人墓地」の荒廃だ。
 「軍人墓地」には明治維新以降、戦争で亡くなった陸海軍人の遺骨が納められている。戦前までは軍の管理だったが戦後は国有財産に。墓地を移管された大蔵省が地方自治体に無償で貸与ないし譲渡し、管理を要請した。しかし、自治体の多くが「予算がない」との理由で、戦友会などのボランティアが清掃や慰霊を支えてきた。それも高齢化によって立ちゆかなくなり、管理も慰霊も行われなくなった墓地も出ている。
 和歌山市の旧深山陸軍墓地も荒れ果てたことが市議会で問題になった。
 他の多くの軍人墓地も状況は似ている。高齢化のなかで「このまま朽ちていくのか」と危惧する墓地関係者も多く、行政に掛け合っているが、十分な対応は得られないという。
 「英霊にこたえる会」の中條高徳会長はこう話す。
 「外国の例を見ても本来戦没者の慰霊は国が責任を持ってやらなければならない話だ。靖国も軍人墓地もいまだ多くの日本人が『軍=悪』という方程式から抜け出せない。だが、これらは国民道徳の支柱となる大切なものだ。国のために命をささげた人への敬意を忘れてしまった国がどれほど醜いか。心配している」(安藤慶太)

【靖国考】(下)首相が堂々参れる日いつ? いまだ残る「熱狂と偏見」
2013.8.16 06:09 靖国、中国をたきつけた国内勢力
*政権批判は影潜めるも…
 68回目の「終戦の日」である15日の靖国神社は、民主党政権時代には目立った厳しい政権批判は影を潜めた。神社境内での集会や、付近で配られていたビラなどで安倍晋三首相の15日参拝を求める声は散見されたが、首相の参拝自体が期待できなかった民主党時代のとげとげしさはなかった。境内は正午の黙祷(もくとう)時は静寂に包まれ、落ち着いた「祈りの場」に立ち返っていた。
 「安倍首相も正々堂々、お参りになる日を切に願っている」
 境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会で、日本会議の三好達会長(元最高裁長官)がこう述べると、会場からは拍手が起きた。
 ただ、昨年は「この国はまさに暗雲が漂っている」と焦燥感をあらわにした「英霊にこたえる会」の中條高徳会長は今回、「この国の行方が見えてきたのはうれしい」と安倍政権の今後に期待感を示した。
 ■民主への怒りと不満
 振り返れば鳩山由紀夫元首相は平成21年10月の中国の温家宝首相(当時)との会談で、「靖国のことは頭から消し去ってほしい」と述べ、自身と閣僚の不参拝を約束した。靖国が「先の大戦では『靖国で会おう』を合言葉に多くの兵士が散っていった。ご遺族は父や主人に会えるかもしれないとの思いであの場所に行く」(4月10日の安倍首相の国会答弁)という「特別な場所」であることなど、眼中になかったのだ。
 菅直人政権時代の22年には、境内の一角に菅首相と仙谷由人官房長官、岡田克也外相を批判する写真が地面に貼られ、 「TRAITOR(売国奴)」「ご自由にお踏みください」と記されていた。民主党政権への怒りと不満が鬱積していた。
 一方、今回の集会で衛藤晟一(せいいち)首相補佐官は環境整備の必要性を強調した。
 「他国からいろいろ言われることなく、ちゃんとお参りできる国をつくりたい。これができなければ戦後は終わらない」
 首相はこの日、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。代理奉納した同党の萩生田光一総裁特別補佐は記者団に、首相に託されたこんな伝言を明かした。
 「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に、本日は参拝できないことをおわびしてほしい。靖国への思いは変わらないと伝えてほしい」
 ■ 国内の一部が火に油
 首相は、中国、韓国のみならず同盟国の米国も巻き込んで外交問題化する15日の参拝は選ばなかったが、在任中に時機を考慮して参拝する意向は変わらない。
 とはいえ、靖国参拝が政治問題化するのは中韓だけが問題なのではない。 「アジアの中で靖国参拝に反対しているのは中韓2国だけ」(外交評論家の石平氏)だとしても、日本国内の一部勢力が火に油を注いできたのも否めない。
 例えば中江要介元中国大使は12年4月に国会で、昭和60年12月に中国の胡耀邦総書記(当時)と靖国問題を協議した際のエピソードを証言している。同年8月15日に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝したのをきっかけに、日中関係が冷え込んでいたころだった。
 胡氏「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう。黙って85年でも100年でも騒がずに静かにして、自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」
 中江氏「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と思ってしまう人が出るかもしれない」
 冷静になろうと努める中国側を、むしろ日本側がたきつけているような構図だ。時の首相がいかに真摯に戦没者の慰霊と追悼の意義や正当性を訴えようと、背中から矢を射る勢力が幅を利かせていては事態はなかなか改善できない。
 靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の顕彰碑があり、パール判決文(意見書)を引用した次の碑文が刻まれている。
 《時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう》
 残念ながら、靖国をめぐる国内外の「熱狂と偏見」はまだやわらいではいないようだ。(阿比留瑠比)

 *上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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終戦70年 8月15日 靖国参拝 首相、私費で玉串料/ 3閣僚(高市・山谷・有村)/ 古屋圭司氏・小泉進次郎氏… 
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