本日は名古屋能楽堂 3月定例公演 2016/3/5 Sat. 狂言「雁大名」 能「山姥」

2016-03-05 | 日録

 〈来栖の独白 2016.3.5 Sat.〉
 本日は名古屋能楽堂。
 能『山姥』が全篇よかったわけだが、ほんの少しだけ詞章から(口語で)書き記しておきたい。仏教の光、山姥の切ない思いが響いてくる。

従者「善光寺への道の様子を尋ねましたところ、上道(かみいち)・下道(しもみち)・上路越(あげろごえ)とあり、この上路越と申す道は、己身(こしん)の弥陀、唯心(ゆいしん)の浄土、すなわち、阿弥陀如来も浄土もわれら自身の心の中にあるという教えの示されている道であります。ただしこの道では、お乗り物が使えないと申します。

山姥「一樹の陰に宿り、一河の流れの水を汲むのも、みなこれは他生因縁である。ましてやそなたはわが名を口に出してこの世を渡る人。その人にわが名を名のって、このように山廻りの一節を謡うことも、狂言綺語(きょうげんきぎょ)の道ながら、それがそのまま仏法をたたえることになるのである。ああお名残おしいこと。
山姥「お暇(いとま)申して山に帰りますが、その山においては、
地謡(山姥)「春は、梢に咲くことを待ちわびた、
山姥「花をたずねて、山を廻るのである。
地謡(山姥)「秋は、清らかな光をたずねて、
地謡(山姥)「月の見えるほうへと山を廻るのである。
地謡(山姥)「冬は、冴え返ってゆく寒さに、時雨を降らせる雪が、
山姥「雪を催すようにと誘いながら、山を廻るのである。
地謡(山姥)「このように山を廻ることを繰り返し、輪廻から離れることのできない妄執の身。その妄執の雲が積もり積もって山姥となったのであるが、この鬼女の姿をあなたは見ておいでであるか、ごらんになっているかと言って、みるみるうちに峰に飛びかけり、その物音は谷に大きな音を立てて、今までここにいたと思われたのであるが、山また山に山を廻るの山廻り、山から山へと山々を廻って、やがて、どこへ行ったのかわからなくなってしまったのであった。

 *小学館 日本古典文学全集 謡曲集(2)より
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3月定例能の事前講座 2016/2/20 Sat. 「山姥」
〈来栖の独白2016/2/20 Sat.〉
 3月定例能の事前講座を聴きに行った。藤岡道子さん(京都聖母女学院短大名誉教授)楽しいお話だった。
 本日は生憎の雨。
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名古屋能楽堂三月定例公演

     チラシ(pdf) 

・公演日時
 2016年3月5日 13:30開場 14:00開演
・演目詳細
*狂言 和泉流 「雁大名」
 シテ 井上松次郎
 アド 鹿島俊裕  野村又三郎
 後見 今枝郁雄
*能 観世流 「山姥
 シテ 久田勘鷗
 ツレ 久保信一朗
 ワキ 飯冨雅介
 ワキツレ 橋本宰  椙元正樹
 アイ 今枝郁雄
 笛 大野誠
 小鼓 船戸昭弘
 大鼓 河村眞之介
 太鼓 加藤洋輝
 後見 梅田邦久 他
 地謡 大西礼久 他

 ◎上記事は[能楽協会]からの転載・引用です
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