冒頭画像;正田昭が生前、友人らに送った自らの写真。裏に1967年12月3日撮影とあり、40歳で刑死する2年前の姿と分かる
下の画像;刑死後、半世紀余を経て見つかった正田昭の未発表の小説「二少年」など。作家・加賀乙彦さんが保管していた
元死刑囚、獄中の純文学 加賀乙彦さん作品のモデル、遺品から未発表小説6編
中日新聞 2021年10月23日土曜日
「バー・メッカ殺人事件」の元死刑囚で、作家加賀乙彦さん(92)の小説「宣告」のモデルになった正田昭(しょうだあきら)(1929〜69年)が獄中で執筆した未発表の小説6編が見つかった。正田と文通していたカトリックのシスターから加賀さんに託された遺品の中にあった。正田は63年に「サハラの水」が「群像」新人文学賞の最終候補になるなど、作家としての才能の片鱗を見せていたが、死刑執行で筆を絶たれた。 (加古陽治)
69年12月、正田の刑が執行されてまもなく、文通相手のシスター(80)に段ボール二箱が届いた。正田が獄中で読んだ本や聖書、爪と髪などが収められていた。その中に「マーブル・アーチ」「二少年」「夜の音」「明日の虫」「明日の湖」「秋夜」の未発表の小説六編があった。十一編の詩も新たに見つかった。
シスターは自分では創作の文学的価値などを正しく評価できないと考え、面会や文通を通じて正田と親しく交流を続けていた加賀さんに原稿を届けた。
加賀さんは遺稿を参照しながら代表作「宣告」を執筆。正田の手記などは「獄中日記・母への最後の手紙」「ある死刑囚との対話」「死の淵の愛と光」と相次いで出版された。(中略)
正田は、慶応大経済学部を出て証券会社に就職。素行の問題などで解雇されてまもない53年7月、東京・新橋駅前の「バー・メッカ」に知人の証券外務員の男性を呼び出し、従業員らと共謀して殺害。現金を奪って逃げたとして強盗殺人罪に問われ、63年に最高裁で死刑が確定した。事件はアプレゲール(戦後派)の犯罪として新聞などで大きく報じられた。
公判中にカトリックの洗礼を受け、模範囚として内省や読書の日々を送りながら執筆。「サハラの水」のほか、66~67年には聖パウロ女子修道会の「あけぼの」に8つの掌編小説を発表した。獄中手記が「黙想ノート」「夜の記録」として刊行されている。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖) 途中、略した部分があります。
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〈来栖の独白 2021.10.24 Sun〉
当記事に接し、深い感慨がある。
東京・名古屋など拘置所により処遇に多くの違いはあるのは当然だが、上の写真のように(およそ拘束されている身分とは思えないほど)一般人の如くのなりふりで納まっていることに驚いた。時代の変化もあるのだろうか。
「宣告」は、過去に私も愛読し、当局の処遇理解にも役立った。死刑囚勝田清孝にも差し入れて読ませた。「宣告」に纏わる事柄を書いてゆけば、きりがない。