「刑務所に戻りたかった」下関駅放火事件から10年 司法と福祉連携 出所後フォロー 累犯障害者男性 84歳「もう刑務所には…」

2017-04-18 | Life 死と隣合わせ

84歳 もう刑務所には… 下関駅放火事件から10年 累犯障害者男性 人生の半分服役 司法と福祉連携 出所後フォロー
 西日本新聞 2016年09月18日 17時36分

   
  「もっと早く出会えていたら、人生は違っていた」と語り合う男性(右)と、奥田知志さん=14日、福岡県内
 「刑務所に戻りたかった」と、JR下関駅(山口県下関市)に放火した男性(84)は8月に刑期を終え、福岡県内の施設で暮らしている。司法と福祉が連携して支えることで「もう刑務所には戻りたくない。好きな人に囲まれて最期を迎えたい」と笑顔も見せる。社会に居場所がないために罪を重ねる「累犯障害者高齢者」の問題を浮き彫りにした事件から10年、男性の笑顔は罪と更生の在り方を問うている。
 男性は74歳だった2006年1月7日未明、下関駅に放火して焼失させた。被害額は5億円以上で、懲役10年の判決を受けた。判決は「軽度知的障害で、かつ高齢でありながら、刑務所を出所後、格別の支援を受けることもなかった」と指摘した。
 当時、男性は放火の前科が10件あり、22歳以降の40年以上を刑務所で過ごしていた。過去の裁判で6回も知的障害などを認められたが、一度も障害福祉サービスにはつながらなかった。
 下関駅の事件は、男性が05年12月30日に福岡刑務所を出所した8日後に発生。男性は事件までの間に、警察に保護されたり、福祉事務所に連れて行かれたりと、八つの公的機関に接触。生活保護を求めるなどしたが、公的支援は受けられなかった。
 そして、下関駅で警察官に退去を求められた末に放火に至った。
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 北九州市でホームレス支援などを続けるNPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長で牧師の奥田知志さん(53)は逮捕直後から、報道で男性の孤独な状況を知り、面会に訪れた。
 男性は人生で一番つらかったのは「刑務所を出た時、誰も迎えに来なかったこと」と答えた。父親に火の付いた薪を体に押しつけられた生い立ちも打ち明けた。奥田さんが「今度出所するときは必ず迎えに行く」と約束すると、涙を流した。
 服役中も60~70通の手紙をやりとりした。男性は毎回「迎えに来てくれるのが楽しみ」と書いた。こうした縁から、奥田さんが身元引受人となり、6月に仮出所がかなった。奥田さん夫妻の出迎えに男性は声を上げて泣いた。生まれて初めての出迎えだったという。
 出所に当たり、保護観察所や自治体、保護司、受け入れ施設など7機関が協議を重ね、連携して受け入れ態勢を整えた。現在、男性は抱樸が運営する施設に入所。週4日はデイサービスに通い、「一番幸せな時間」とカラオケや体操などを楽しむ。7月の七夕では短冊に「自分のしあわせ みんなしあ(わ)せ」と書いて祈った。
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 男性は「今まで刑務所を出ても、どうしていいか分からなかった。独りが一番つらい」と振り返る。31歳も年下の奥田さんを「お父さんみたい」と頼り「もう火は付けんよ」と話す。
 奥田さんは「事件の本質は、障害がある人が罪を犯して刑務所を出所後、何の社会保障制度にもつながらず、累犯となることにある。もっと早く出会えていたら、11回も罪を重ねることはなかった」と断言。「今の刑務所は懲罰を与えるだけで、対人・生活スキルがそぎ落とされる。福祉サービスなどと連携して社会復帰後の生活を支援していくべきだ」と訴える。
*この記事は2016年09月18日付で、内容は当時のものです。

 ◎上記事は[西日本新聞]からの転載・引用です *強調(太字)は来栖
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下関駅で放火事件、74歳の男逮捕
ウィキニュース【2006年1月8日】
 1月7日午前2時過ぎ、山口県下関市にあるJR西日本・下関駅構内で火災が発生し、木造駅舎と構内の飲食店、駅舎南隣の下関地域鉄道部下関乗務員センターなど、中日新聞によれば約3,000平方メートル、読売新聞によれば約4,000平方メートルを焼いて同日午前5時ごろ鎮火した。この火災で下関警察署は、同日放火の容疑で74歳の無職の男を逮捕した。
 読売新聞によると、逮捕されたのは住所不定・無職の福田九右衛門(ふくだ・きゅうえもん)容疑者(74歳)で、下関警察署は火災発生後に駅から約350m離れた駐車場にいた福田容疑者に任意同行を求め事情聴取し、福田容疑者は「腹が減ってムシャクシャした」として、自らの持っていたライターで紙を燃やした上で駅舎近くの倉庫付近で放火したことを認めている。
 福田容疑者は、この日福岡県北九州市から中国地方方面に在来線を使って移動中で、前日の午後7時ごろに乗り継ぎのため同駅に到着していた。福田容疑者は2001年4月にも北九州市内のアパートで放火未遂事件を起こし逮捕・服役していたが、先ごろ出所したばかりだったという。
 中日新聞によれば、この火事で1942年に建築された木造駅舎が全焼したほか、読売新聞によれば出火したプレハブ倉庫、下関乗務員センター、周辺の飲食店などを焼いた。駅舎と乗務員センターには運転士を始めとするJR西日本の職員35人と清掃作業員3人がいたが、避難したため無事だったほか、駅構内のホームや線路、架線などの被害は確認されていない。しかし駅舎内の列車無線通信ケーブルや電話線などが燃えており、同駅に乗り入れている山陽線・山陰線の列車は1月7日始発以後乗り入れを見合わせた。また同日早朝に到着予定だった寝台特急も途中の駅で運行を中止し新幹線などでの代行輸送を行った。
 読売新聞やフリー百科事典『ウィキペディア』によると、下関駅は1901年に山陽鉄道「馬関駅」(ばかんえき)として開業し、1942年に関門鉄道トンネルの開通に伴って現在の竹崎町に移動。1日当たりの乗降客数は2万4,000人である。また近年、大型商業施設「シーモール下関」が駅のすぐ側にできていた。

 ◎上記事は[ウィキニュース]からの転載・引用です *強調(太字)は来栖
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◇ 出所後受刑者の生活支援。 高齢者がJR下関駅に放火した事件、犯行動機に「再び刑務所に入るため」 2008-08-07 
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山本譲司著『累犯障害者』 獄の中の不条理 新潮社刊
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