『われは海の子』--終戦後、GHQの指導で文部省唱歌から追放された、7番の歌詞

2017-07-17 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

2017.7.17 05:03更新
【産経抄】「われは護らん 海の国」 GHQ指導で追放された文部省唱歌は… 7月17日
 ♪われは海の子 白浪の…。「われは海の子」は、明治43(1910)年の尋常小学読本唱歌に掲載されて世に出た。作者不詳とされてきた名曲の作詞者が明らかになったのは、約80年後の平成元年である。
 ▼決め手となったのは、北欧文学者、宮原晃一郎の一人娘が保存していた手紙だった。宮原は文部省の詩の懸賞募集に、「海の子」と題した作品を応募していた。その入選通知が残っていたのだ。
 ▼12年7月20日の「海の日」には、宮原の故郷、鹿児島市の海を望む公園に歌碑が建てられた。「年末の第九のように、海の日には日本中でこの歌が歌われるようになればいい」。除幕式では、こんな声が上がっていた。大賛成だが、ただ一つ条件がある。
 ▼歌碑には、3番までの歌詞が刻まれている。海辺に生まれ、たくましく育つ少年が主人公である。実は歌詞はまだ続く。少年はやがて鍛え抜いた体を持つ青年となり、大海原にこぎ出していく。終戦後、GHQの指導で文部省唱歌から追放されたのは、7番の歌詞が原因だった。
 ▼♪いで大船を乗り出して われは拾わん海の富 いで軍艦に乗組みて われは護らん海の国。この部分が、軍国主義を想起させるというのだ。昭和33年から再び教科書に載るようになったものの、3番までしか歌われなくなった。久しぶりに全曲を聴いてみた。やはり海洋国家、日本にふさわしい名曲である。
 ▼日本近辺の海底には、豊富な資源が眠っていることがわかってきている。尖閣諸島周辺での領海侵犯を常態化させている中国の公船は、九州北部海域の領海にまで侵入を始めた。海の富、海の国を守る覚悟をいよいよ固める時である。今日の「海の日」、「われは海の子」を7番まですべて歌う日としたい。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *リンクは来栖 
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『われは海の子』
 作詞 宮原晃一郎
 作曲 不   詳
1.我は海の子 白浪の 騒ぐ磯辺の 松原に 煙たなびく 苫屋こそ 我が懐かしき 住家なれ
2.生れて潮(しお)に 浴み(ゆあみ)して 浪を子守の 歌と聞き 千里寄せくる 海の気(き)を 吸いて童と なりにけり
3.高く鼻つく 磯の香(か)に 不断の花の 香りあり 渚の松に 吹く風を いみじき楽(がく)と 我は聞く

  -戦後教科書から消えた歌詞-

4.丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい) 操(あやつ)りて 行手(ゆくて)定めぬ 浪(なみ)まくら 百尋千尋(ももひろちひろ) 海の底 遊びなれたる 庭広し       
5.幾年(いくとせ)此處(ここ)に 鍛へたる 鉄より堅(かた)き 腕(かいな)あり 吹く塩風に 黒みたる 肌は赤銅(しゃくどう) さながらに
6.浪にただよう 氷山も 来(きた)らば来(きた)れ 恐れんや 海まき上(あ)ぐる たつまきも 起(おこ)らば起(おこ)れ 驚(おどろ)かじ
7.いで大船(おおぶね)を 乗り出して 我は拾わん 海の富(とみ) いで軍艦(ぐんかん)に 乗組みて 我は護(まも)らん 海の国
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◇ NHKで歌えなかった島倉千代子さんの「東京だョおっ母さん」 GHQが定めた「ラジオ・コード」 靖国を連想させる「九段」という地名を問題視か
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2 コメント

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海の日 (あやか)
2017-07-17 21:15:07
『われは海の子』の歌詞、私は全部知っていましたよ。
岩波文庫の『日本唱歌集』という本に掲載されています。
岩波書店は、どちらかと言えば、革新派のリベラル系ですが、たとえ戦前の資料でも、そのままの表現で版をかさねています。その点は公正だと思います。
 それにしても、終戦直後のアメリカ占領軍は、ずいぶん陰険な思想弾圧をおこなったんですね。『戦後、自由にものがいえるようになった』という人がいますが、あれは嘘だったんですね。
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あやか様 コメント、ありがとう。 (ゆうこ)
2017-07-17 21:41:10
>革新派のリベラル系ですが、
>そのままの表現で版をかさねて
 よかったぁ。

>陰険な思想弾圧をおこなったんですね
>自由にものがいえるようになった』という人がいますが 
 それによって成長した左系メディアが、しっかり継承してますね(笑)。
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