
〈来栖の独白 2016.8.14〉
昨日、Gさんから手紙。彼女は学生時代からの友人。結婚はせず、札幌市中央区内のマンションに一人住まい。
今年5月、北区在のお母様が亡くなられた。一昨年、独身だったお姉さまが亡くなられ、その前年にはお父様が亡くなられている。お母様は、そのお二人を送った後、北区に一人で住まわれており、Gさんが度々出向いてお世話をして差し上げていた。
「Gさんからの手紙」
全国的に暑い日が続いているようです。岐阜では39,7°という、考えるだに恐ろしい高さになったとか。局所的な集中豪雨・・・と、日本は亜熱帯となったかのようです。
ゆうこさんご一家も、熱中症に気をつけて、夏をやり過ごしてください。
ここしばらく、親戚、知人関係から、会社、お寺、介護の方、病院、役所などに加えて、車の衝突事故(*)の後の手続きも入り、やたら人、人、と、関係の深くない人にも否応なく顔を会わせなくてはならなくて、人にあてられる、というか、げんなりしています。そのせいか、首や肩まで凝ってきて。
貴方のおっしゃるように、老年は色んなことを失っていくばかりです。老年は豊かな実りの時、という苦しい説もありますが、そうは思えません。
それにどう対処していくか、対処していけるのか。考えてもしょうのないことではあります。
(いつもすてきな絵葉書ありがとう。この絵は、大学の頃、銀座の阪急の上であった、藤田の作品展で見ました。しっとりとした質感の白の肌と、黒の衣装のコントラストが印象的でした。)
北区の家にいると、母がいなくなったのといっしょに、家そのものから生命が抜け出ていった、というか、家もポッカリと抜け殻になってしまったようです。そう見る者の感情を反映しているのでしょうか。
しばらく暑さが続きます。お元気で。
*来栖註;北区の実家の塀に車が衝突
〈来栖の独白〉続き
人が亡くなったとき、待ち構えているものは、この世の金銭・財産に関する事柄である。
ところで、若いころ、ミサのオルガン弾きという立場は私を支えるために神様から賜ったものと感じていた。
老いて日々、自宅でカトリック聖歌を独り弾き歌うとき、オルガン弾きは、壮年の当時よりむしろ老年の今のためにこそ、主が備えてくださっていたのだと感謝する。
ミサでは典礼聖歌を比較的よく歌うが、私は家で独りカトリック聖歌を弾く。単純なメロディ、強引と思える歌詞。慰められる。
カトリック聖歌 283「おおよき飼い主」
1.おおよき飼い主 守りたまえ
やみにまよえる 小羊らを
いばらの谷をも 分け探ねて
愛のみ手にこそ 返したまえ
2. 夜はせまりぬ 小羊らは
さがしもあえず 父の家を
急ぎ来たりませ よき飼い主
いばらの苦しみ いやし給え
3. ああよき飼い主 集めたまえ
主をしたいよる 小羊らを
荒野にさまよい 渇く子らを
うるおわせ給え 愛のいずみ
〈来栖の独白〉続き
私の気持ちが沈むのには幾つもの理由がある。その中、気分を沈ませるというには、あまりに取るに足りない理由だが、中日新聞連載の夕刊小説。吉田修一さんの「ウォーターゲーム」。登場人物の鷹野一彦がリー・ヨンソンという気持ちの悪い男に捕えられたことだ。鷹野一彦は気分のスカッとした、頭の切れる好青年。新聞へか作者吉田さんへか、命乞いしたくなるほど、私は案じて!いる。なのに、今日は日曜日で夕刊は無い。・・・まあ、鷹野は主役級だからおいそれとは死なぬと思うが。いや、こういった人物をも殺すのが吉田流か。この状況で鷹野君が助かるとすれば、ドラマチック過ぎて、物書きとしては悪手か。
----------
◇ 「老いた日々を生きる」とは「喪失を生きる」ことだ2016.7.23 おのれをこの世に繋ぐ鎖を少しづつ外していくのは…2016-07-23
◇ 名古屋市美術館 藤田嗣治展へ行った 2016/6/12 Sun.
........