事件の深層 魚住昭さんが選ぶ本
BOOKasahi.com [文]魚住昭(ジャーナリスト・ノンフィクション作家) [掲載]2015年08月30日
■社会の病理見つめる視点を
凶悪事件の犯人は極悪人の烙印(らくいん)を押されて社会から抹殺される。だが、実際は「犯罪の二文字で片付けられる多くが、社会の暗部に根ざした病理現象であり、犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語である」と言ったのは本田靖春だった。
彼は社会部記者からフリーに転じ「事件をより広い視野でトータルに捉え、そこにからまる問題を深く掘り下げ」る取材を志す。その志の結晶が、吉展ちゃん事件を描いた『誘拐』だ。
昭和38年、高度成長に沸く東京で4歳児が誘拐され、殺される。犯人の生まれ故郷は福島県の寒村だった。おとなしくて素直な子供だった犯人がなぜ吉展ちゃんを殺すに至るのか。
本田は貧困連鎖の泥沼であがく犯人の軌跡を見つめながら、被害者遺族の悲しみを克明につづる。加害者・被害者の双方の視点から光を当てる、希有(けう)な手法で社会の病理をあぶり出す。
「真人間になって死んで行きます」と死刑に臨む犯人。どんなに悔いても更生は許されぬのかと本田は問いながら、「きわめて不幸なかたちで」失われた二つの命のかけがえなさを描き尽くす。その眼差(まなざ)しの深さ、優しさが読む者の魂を震わせる。
■人を裁くとは
大岡昇平の『事件』と安田好弘の『死刑弁護人』(講談社+α文庫、品切れ)は、人を裁くとはどういうことかを知るための必読書だ。前者は小説だが、どの法律書より懇切に「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という司法の理念を説いている。
安田の手記はその理念と現実の落差を暴く。1995年の地下鉄サリン事件。安田は主任弁護人として目撃した麻原彰晃の素顔を明かし、なぜ飽食の時代の若者たちが無差別テロに走ったのかという謎に迫っていく。
実は、犯行に使われたサリンの原材料は麻原が「捨てろ」と指示していたものだった。教団幹部がその指示に反して隠し持っていたことが安田の反対尋問で分かり、麻原首謀説が揺らぐ。
が、まさにそのとき麻原は法廷で「弟子をいじめるな」と叫んで反対尋問を妨害する。彼の精神の変調は明らかだった。それでも裁判所はひたすら審理を急ぐ。真相に最も肉薄していた安田はやがて別件の「アンフェアな捜査」(一審判決)で逮捕され、裁判離脱を強いられる。
司法の闇は深い。安田は言う。「刑は裁判所ではなく検察が決める」「一二〇パーセント無実を証明できたところで、無罪にはならない。三〇〇パーセント無実を証明しないと無罪にならない。それが日本の裁判」だと。
■象徴的に断罪
『国家の罠』は02年の鈴木宗男事件で逮捕された佐藤優の手記だ。彼は当事者でありながら、第三者の目で事件の本質を見つめ、検事の本音を引き出す。
「捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
時代のけじめとは内政では富の公平配分から新自由主義へ、外交では国際協調から排外主義的ナショナリズムへの転換だ。
ナショナリズムには自民族の痛みは強く感じるが、他民族に与えた痛みは忘れる「非対称的構造」がある。排外主義を野放しにすると「民族浄化」に行き着く——佐藤が10年前に発した警告が、いかに時代の核心を突いていたか。ヘイトスピーチが横行する世の中で私たちはそれを思い知らされている。
* *
うおずみ・あきら ジャーナリスト・ノンフィクション作家 51年生まれ。『冤罪法廷』など。
◎上記事は[BOOKasahi.com]からの引用です
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 本田靖春著『誘拐』=吉展ちゃん誘拐殺人事件 故小原保死刑囚 (ちくま文庫) 2009-08-10
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
◇ 安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』 2008-05-13
--------------------------------
◇「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/ 00:45~
........