元少年A「9年ものあいだ封じ込めていた異端の本性を呼び覚まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ…」

2015-09-10 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

自称「90年代最大の異端児」元少年A 達成したいビジョンあり
 NEWSポストセブン 2015.09.10 07:00
  《重要なお知らせです。いろいろ思うところがあり、急遽ホームページを開設しました。無論、ホームページに関しても僕が誰にも相談せず一人で勝手にやったことであり、太田出版は無関係であることをお断りしておきます。
  元少年A オフィシャルホームページ http://●●●●(実際はHPアドレス)
  まだ立ち上げたばかりで方向性も決まっていませんが、今後はこのホームページを基盤に情報発信をしていく所存です》

     

  宛名に「小学館女性セブン」とだけ張りつけられた茶封筒が女性セブン編集部に届いたのは8月29日のことだった。裏面には「元少年A」と書かれた小さな白い紙が張ってある。中には全2万5000字、A4用紙にして20枚にわたる手紙と1枚のCD-ROMが添えられていた。そして、手紙の最後には、冒頭の通り「公式ホームページ開設」の“宣伝”が記されていた。
  元少年A──。それは、18年前に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人・酒鬼薔薇聖斗にして、今年6月11日に出版された手記『絶歌』(太田出版)の著者である。
  この手紙には、当初Aが手記出版の企画を持ち込んだという幻冬舎の見城徹社長との詳細なやりとりに加え、太田出版に引き継がれた経緯が克明に記されていた。
 《元少年Aです。ご存じの通り、僕は2015年6月11日、太田出版より手記『絶歌』を上梓しました。
  この本の出版に至る経緯を巡り、6月25日発売の『週刊文春』に“少年A「手記」出版 禁断の全真相”と題された、幻冬舎社長・見城徹氏の独占インタヴューが掲載されました。しかしこの記事の内容は残念ながら事実とは異なっていました。僕は当事者としてありのままの真実を包み隠さずきちんと伝える義務を感じ、今回独断で筆を執らせていただきました。
  事の始まりは2012年冬。僕は段ボール2箱分の缶詰を買い込み、カーテンを閉め切った穴蔵のような狭いアパートの一室に籠城し、版木に向かう棟方志功さながら、書き物机に鼻先をこすり付ける勢いで、体重をかけ一文字一文字刻み込むように見城氏への手紙を書いていました。実際に見城氏に送った手紙と一字一句同じ下書きが残っていますので、ここに転載します》(以下《》内はAの手紙から)
  手記出版以降、沈黙を守り続けたAの初めての肉声だ。手紙は、見城氏との私信のやりとりの公開から始まった。
  まず、見城氏へ送った手紙が再現された。Aはそこで、あるテレビ番組で見城氏を知り、彼の著作を読みふけり、彼に心酔していることを告白。見城氏との対面を熱望する自分の心をこう続けた。
《「近いうちに自分は、この見城徹という底しれない怪物と接触することになる」
  そうはっきり確信しました。怪物は怪物を知る。心の奥深くに封印していた私の中の怪物が、あなたと交わりたくて鋼鉄の扉をドンドンと叩きつづけているのです》
  Aはまた、見城氏へ宛てた手紙の中で、“表現すること”への渇望感を明かしている。
 《私には四十歳までに何としても実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この暑苦しい「普通の羊」の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び覚まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらず死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです》
 《私にあるのは、研ぎ澄まされた感性の触角と、ふてぶてしいまでの生命力と、荒ぶる“表現の本能”だけです。私はそれらを武器に、破滅を覚悟で人生最大のロシアン・ルーレットに挑むことにしました。したり顔の見も知らぬ他人に様々なかたちで蹂躙され、搾取されてきた自らの物語を自らの言葉で奪い返さないことには、私は前にも後ろにも横にも斜めにも一歩も動き出すことができないのです》
  そして、見城氏に対してこう選択肢をなげかけている。
 《この手紙を受け取ったあなたは今、歴史のY字路に立っています。あなたがこの手紙をどう扱うか、それによってあらゆる“表現の未来”が変わります。
  闇に葬られた1990年代最大の異端児を、日本少年犯罪史上最悪のモンスターを、他ならぬ「見城徹」の手で歴史の表舞台に引きずり出してみたいとは思いませんか? 赤でも青でも緑でも黄色でもない、あなたが「地の果てまでも行っても見たい」と言っていた、いまだかつて誰も見たことのない原色を最前列でお見せすることを約束します》
  2人の子供を身の毛もよだつ手口で殺した自分について、《’90年代最大の異端児》と称し、出版社に熱烈な売り込み営業をしかけていたのだ。
※女性セブン2015年9月25日号

 ◎上記事は[NEWSポストセブン]からの転載・引用です
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元少年A 公式ホームページで公開した自作イラストと全裸写真
 NEWSポストセブン 2015.09.10 07:00
 神戸連続児童殺傷事件の犯人・元少年Aが、女性セブン編集部に手紙を送ってきた。そこには、手記『絶歌』(太田出版)を執筆するにあたって行われた幻冬舎の見城徹社長とのやりとりが詳細に書かれていたほか、急遽ホームページを開設したことが明かされて、そのアドレスも記されていた。
  実際にそのホームページのアドレスにアクセスした。トップページには、「元少年A公式ホームページ」という文字とともに、「存在の耐えられない透明さ」という大きなタイトルが飛び込んでくる。
  そこに記載されたプロフィールには、1982年に神戸市に生まれ、事件を起こして2004年に社会復帰するまでの年表に加え、こんな個人情報まで明かしている。
 《身長165.6cm 体重54.3kg 視力 右0.03 左0.05 血液型 A型 大動脈心臓部に雑音あり 誇大妄想癖あり》
  プロフィールの下には、『絶歌』についての自画自賛の宣伝が続く。
 《少年A事件に関する書籍はこれまでにも数多く出版され、ほとんど出尽くしている感がありますが、少年A本人が自分の言葉で語ったものは、この『絶歌』が最初で最後です。
 (中略)事件から18年。『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです》
  ホームページ内の主なコンテンツはまず、Aが好きな映画や小説を書評した「レビュー」のページ。例えば1980年代初頭に「パリ人肉食殺人事件」で日本中を震撼させた猟奇殺人犯・佐川一政の著作に触れ、
 《僕にとって“芸術”とは、「失われた“現在”への求愛」です。僕にそれを教えてくださったのが、あなたです》》
  と、稀代の殺人鬼への憧憬を綴っている。そしてもうひとつが、自作のイラストや写真を投稿した「ギャラリー」のページである。このページを覗いて戦慄した。
《「心象風景」ならぬ「心象生物」という言葉がもしあったなら、不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった──『絶歌』》
  こんな手記の引用文とともに、数十匹というナメクジが小皿の上でうごめく写真が大量に掲載されている。
  この他に、ムカデやサソリ、ゴキブリをモチーフにしたと見られるイラストや、事件現場となった入角ノ池のほとりにそびえ立ち、Aが「アエダヴァーム」と名付けた大樹のイラストもあった。
  そしてAは衝撃の写真を公開する。自身と見られる全裸写真だ。
 「セルフポートレート」と称し、顔は黒の覆面で覆っているものの、それ以外は一糸もまとっていない全裸姿の写真を8枚掲載している。写真に写る男は小柄ながら筋肉質な体形で、腹筋は割れ、腕や胸も太い。その風貌は、少年院時代にひたすら筋トレに励んでいたことを『絶歌』で明かしているAと重なる。
  しかし、自らの“表現”は羅列されている一方で、ホームページのどこを読んでも、遺族への謝罪の言葉は一言もない。
  Aの真意はどこにあるのか。女性セブンは見城氏を訪ねたが、
 「Aに関する取材は一切お断りしている。手紙の真偽についてもお答えできない」
  と言うばかりだった。しかし、見城氏にこれらの画像と手紙を見せ、ホームページも手紙もA本人の手による可能性が極めて高いことを告げると、大きく首を振り、「なんで彼はこんなことを…」と言葉を失った。
  手紙から伝わるのはAの贖罪意識の欠落と、病的なまでの自己承認欲求。そして、いまなお心の奥底に沈殿するおぞましい狂気。Aは18年前から何も変わっていないのではないか──。
※女性セブン2015年9月25日号

 ◎上記事は[NEWSポストセブン]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖


〈来栖の独白 2015.9.12.Sat. )
 ktさんから戴いたコメントに関連して、少しく考えてみたい。
>自らの“表現”は羅列されている一方で、ホームページのどこを読んでも、遺族への謝罪の言葉は一言もない。
 幻冬舎の見城徹氏が元少年Aの手記出版ということで提示した3つの条件。
 ①匿名ではなく本名で書くこと ②遺族に説明し理解を得ること ③なにより贖罪の気持ちを強く持つこと
 私は思うのだが、
 ①は、元少年Aの活路を奪うこと。②は、おそらく永遠に不可能な事。③はAの内面、心情を全く理解していない。
 見城さんの提示が世論を象徴している、そのように私は感じた。
 加害者が声を上げることを許さない。生き直そうとすることを許さない。実に多くの人たちが、Aの手記出版につき、否定の言辞を弄し、公立図書館に於いてすら閲覧制限を設けるファッショぶり、焚書、禁書沙汰。或る図書館は職員が対象物を読みもせず、閲覧につき検討した。このように、多くの人が現物を見ないで批判、拒絶している。その筆頭が被害者遺族ではないだろうか。余儀ないことかもしれないが。
 先入観を捨て、まず、読んでほしい。そこには、Aの被害者遺族に対する痛切な謝罪の気持ち、己が行為によって苦しめた家族に対する詫びの思い、また周囲の人たちへの感謝など、人間らしい心が綴られている。確かに力んで書いてはいるが。
 人は、どのような人も、真人間として生きることが第一義ではないだろうか。幼い、たった14歳で道を誤った孤独な魂を、その背景となったこの社会が皆で、人間らしく生きるようにサポートすべきではないか。「一声も上げるな(死者同然に)」と言うのは、正しいか。被害者にとっては加害者がこの世に息をしているだけで許せないのだろうが、世間は現状のままでいいか。
 いま、私に思い起こされる聖句がある。
 放蕩に身を持ち崩し財産を使い果たした次男が改心して家に帰った時、「よく帰ってきた」と御馳走や音楽、踊りで大歓迎する父親に、「私は真面目にお父さんに遣えたのに・・・」と長男が抗議する。それに対して、「このあなたの弟は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのにみつかったのだから、喜び祝うのは当たり前ではないか」と父親が答える場面だ。(ルカによる福音書15、11~)。
 『絶歌』で、Aは逮捕され独房での生活が始まった時の自分を次のように書いている。Aが、決して人並み外れた強靭な神経の持ち主ではないように私には感じられる。<人を殺しても何も感じない自分が、怖くてたまらなかった。>とも述懐している。

P16~
 この日から、「夜泣き」が始まった。布団に入ると涙が止まらなくなる。上を向いたまま、体を強張らせ、歯を喰い縛り、壊れた蛇口からだらしなくしたたる水滴のように、一滴、また一滴と、涙がこめかみを伝って枕へと流れ落ちた。(略)
 僕は、カタツムリになり損ねた、自分を守る殻を持たないナメクジだった。だから自分を守る殻を、自分の中に作るしかなかった。危険を察知すると、自分の内側に作り上げた分厚い殻の中に逃げ込むのだ。怒りや悲しみなどの剥き身の感情は表に出さず、緊張すればするほど、落ち着いて振る舞うのが習い性となっていた。
 でもこの夜は、次から次へと数珠繋ぎに流れ出す涙を止めようがなかった。
p17~
 僕は痛みに耐えられなかったのかもしれない。「痛みを感じられないことの痛み」に。人間としての不能感に。
 人を殺しても何も感じない自分が、怖くてたまらなかった。(略)
p18~
 僕は病んでいた。とても深く。「精神病か否か」という次元の問題ではない。人間の“根っこ”が病気だった。
 翌日から本格的に取り調べが始まった。日中は自らが行った地獄絵図のような犯行のディテールを淡々と供述し、夜布団に入るとほとんど儀式のように夜泣きが始まる。三日で眼の周りの皮膚が赤く爛れ、ヒリヒリと痛んだ。

 ところで、私の強い危惧は別のところにある。今般のホームページ開設に関わることだ。
 碓井真史氏は「これだけ目立つ行動を取れば、何が起こるかわかりません。結果的に、彼の精神が不安定になることも考えられます。サポートチームなどから、必要なサポートをもらって欲しいと思います」と云う。『絶歌』を読んで、私もAに殆んどといってサポートの態勢がないことに驚いた。
 HP「ギャラリー」の画像は、精神の障害(性的サディズムなど)がぶり返しているように感じられて、ぞっとさせられる。私には到底理解の及ばない画像であり、巷間言われるように、更生の可否すら疑わしく思えてしまう。
 見城氏へ宛てた手紙に、次のように認めている。

 私には四十歳までに何としても実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この暑苦しい「普通の羊」の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び覚まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらず死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです。
 私にあるのは、研ぎ澄まされた感性の触角と、ふてぶてしいまでの生命力と、荒ぶる“表現の本能”だけです。私はそれらを武器に、破滅を覚悟で人生最大のロシアン・ルーレットに挑むことにしました。したり顔の見も知らぬ他人に様々なかたちで蹂躙され、搾取されてきた自らの物語を自らの言葉で奪い返さないことには、私は前にも後ろにも横にも斜めにも一歩も動き出すことができないのです。

  Aは、物書き(表現者)として名を成したいのではなかろうか。そんな気がしてならない。ならば、雌伏し、修行を積むことだ。せっかちになっているように思えてならない。ホームページなど、自滅行為だ。過去の犯罪や、それがもたらした「元少年A」という虚名と決別することだ。
 そういえば、『絶歌』に以下のような文脈があって、私は非常に気になったものだ。2007年12月に建設会社の採用の決まったAは、翌年年明けから働くようになった。その時期の記述である。

 身体だけが資本だった。(略)
 ベルーガ鯨のようにナマっ白かった皮膚は真っ黒に日焼けし、身体つきも変わった。洗面所の鏡に向かうと、蒼白く貧弱な「少年A」の痕跡がすっかり消えていた。そのことに、安堵と同時に自分でも説明のつかない一抹の寂しさを感じた。

 この箇所を読んだとき、私はAが過去に依りかかっていることを感じた。保護観察期間が終了し、医療少年院を本退院した(成人でいえば、刑期を終えた)Aである。謝罪・贖罪の念は持ち続けねばならないが、それは、過去(元少年A)に依りかかることではないはずだ。「一抹の寂しさ」との記述に、私は漠とした不安、引っ掛かりを感じたのだが、それは今般のHP設立という形で現れた。
 HP設立は、自殺行為だ。これを是とする人はいないだろう。焦ってはならない。しっかり人間を、人間の悲しみとか希望とか、苦しみとかを見詰めて欲しい。人間を見ずして、何が書けるだろう。焦らず、人としての道を生きて欲しい。
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【元少年Aを闇に戻したのは誰か 7年2カ月の更生期間が水の泡】杉本研士・関東医療少年院元院長 2015/9/16
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2 コメント

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Unknown (kt)
2015-09-10 20:57:44
>自らの“表現”は羅列されている一方で、ホームページのどこを読んでも、遺族への謝罪の言葉は一言もない。

謝罪は遺族へ直接なされるべきものでホームページ上でなされていないのは当然であり、それを求めるくせに元少年Aの手紙を記事にして金儲けしているマスコミの姿勢は偽善でしかない。マスコミには”謝罪”を語る資格などないというものです。
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kt様 (ゆうこ)
2015-09-12 12:56:15
 同感のコメント、嬉しいです。ありがとうございました。
 愚考ですが、まとめておきたかったので、上に書いてみました。ちょっと読んでみてくださいませ。
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