死刑囚の権利の制限を軽減(閣議決定) 2006年3月

2006-04-01 | 死刑/重刑/生命犯

 〈来栖の独白〉今なぜ死刑囚の権利の制限を軽減か
 3月10日、以下のような報道がなされた。なぜ今、国はこのような決定をする気になったのか、突拍子もない事と思われる。不可解なまま、とりあえず以下に転写。

2006年03月10日12時19分 asahi.com
死刑囚の権利の制限を軽減(閣議決定)
 死刑囚の面会などは法務省が63年、矯正局長通達で「本人の心情の安定を害するおそれのある」場合は許可を与えないのが相当だとして以来、親族や弁護人、教誨師(きょうかいし)などに厳しく制限されてきた。結婚相手でも「面会の機会を確保するための婚姻」と拘置所に見なされると認められない例さえあった。
  法務省は「運用によっては死刑囚の権利を制約しすぎる」として通達を見直し、(1)死刑囚の親族(2)訴訟の遂行や事業の維持など死刑囚の重大な利害の処理のために面会が必要な人(弁護人など)(3)面会により心情の安定に資すると認められる人(教誨師ら)――については原則として面会などを認めた。
  さらに「交友関係の維持その他面会することを必要とする事情があり、規律や秩序を害するおそれがない」ときは、拘置所長の裁量で面会などを「許すことができる」とした。受刑者についてほぼ同様の条文がある「刑事施設・受刑者処遇法」では友人・知人がこれにあたると解釈されている。
  法務省矯正局は「死刑囚といえども、世間から全く隔離していいわけではない。改正法案で少なくとも現状よりは機会が広がる」としている。

 〈来栖の独白 続き〉
 「決定」から20日程も経った今日(2006,4,1)、ふと大きな壁の中を見たような気がした。法務省の胸の内を覗いたような気がした。所詮、私の詮索に過ぎない。
  上記決定報道の直後、山口県光市のいわゆる事件名『母子殺害事件』上告審判決公判における弁護人の不出廷やオウム真理教松本被告の弁護団控訴趣意書未提出にかかる控訴棄却など、死刑廃止運動絡みの弁護士による失点が相次いだ。それらと上記決定とが並んで私の頭の中にあったのだが、不意に63年の法務省矯正局長通達が発せられた状況・経緯を思い起こしたとき、「決定」の理由が理解出来たような気がしたのだった。
 法務省通達がなされた63年頃は、藤本松夫死刑囚の刑執行が断行されたり、民事訴訟の孫斗八死刑囚の刑執行、一方平沢貞通死刑囚の執行が反対運動などによって挫かれたりした時期である。死刑囚の支援運動の盛り上がりや世論が死刑執行を指弾したりした時期にあたる。このような世論・風潮を、国は容易ならざる事態と受け止め、「通達」とともに拘置所行政の管理を強化していった。死刑囚の準被告人的権利への圧迫が、具体的には面会・文通・差し入れなどの制限となって現れた。
 続いて、誤判事件や政治犯(連合赤軍事件・三菱重工爆破事件等)死刑囚の出現もあり、死刑廃止団体といったものも生まれ、獄中獄外が結束して死刑廃止に取り組む事態が起こる。
 私どもが縁組をした頃が、最も管理強化された時期ではなかったろうか。許される領置品の数も、一段と制限されたような記憶がある。
 それが、いま、どうして規制緩和の春なのか。死刑の廃止とともに処遇の改善を求めて闘ってきた努力が、結実したのだろうか。そうではないだろう。私は上に「失点」と書いた。
 失点は、今に始まった事ではない。長年に亘って、この手法を量ねて来たのだから。
 気づいてみれば、上記政治犯にかかる死刑反対の運動を担った人達は全共闘の世代であるが、その人たちも高齢となった。獄中も獄外も。 獄中に在って運動に協力した何人かは処刑されて逝った。若く新しい賛同者はなかなか現れそうになく、世代交代・後継者モンダイはここでも難題のようだ。
  いまいる運動者たちであるが旧態依然として、刑執行については再審の請求による一時的妨害策、一朝有事(死刑執行)に際してのリアクションは判で押したように抗議文の文言までどの局面においても同じである。法廷に於ける戦術は、弁護団の解任・趣意書等提出遅延による僅かの時間稼ぎ。打つべき有効な手が見出せず、後手に回ったり裏目に出たり、遠くで見ていてでさえ手詰まり状態を感じさせる。
  いや、最も深刻なモンダイは手法の拙劣などといった上っ面なことではないだろう。人の心に語りかけ共感を誘うような良識的な姿が一向に伝わってこない点だ。寛容な世論でさえ厳しい目を向けざるを得ない事件や被告たちが多い時に、である。
  死刑反対側のこれほどの衰弱ぶりなら、国が「拘置所をオープンにしても、きっと大丈夫だろう。拘置所長の裁量で、と断っておけば、緩急自在でなんら不都合はあるまい」、こう考えたとしても自然だ。
  死刑廃止運動なるものが真に人間愛の発露であるなら、それに相応しい形を見せねばならない。
参考文献 『日本の死刑』(柘植書房)
(ここまで2006,4,1,更新)

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  宮崎死刑囚が月刊誌編集長と面会
  2006年04月01日10時19分
  連続幼女誘拐殺人事件で2月に死刑判決が確定した宮崎勤死刑囚が月刊「創」の篠田博之編集長と3月末に2度、東京拘置所で面会した。死刑確定後、親族や弁護人以外の第三者との面会が認められたのは異例。東京拘置所は「方針を変えたわけではない。個々のケースで判断している」としている。篠田編集長は10年ほど前から300通近い手紙を宮崎死刑囚と交わしてきた。
  3月31日の衆院法務委員会で審議が始まった「刑事施設・受刑者処遇法改正案」では、死刑確定囚と「交友関係の維持が必要な人」にも面会などを許すことができるとしている。

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