終戦直後の昭和天皇の姿を描いたハリウッド映画「エンペラー」

2013-03-21 | 国際

「エンペラー」昭和天皇描いた米映画好評 敗戦・日本へも人間的光
産経新聞2013.3.12 23:40
 【ワシントン=古森義久】終戦直後の昭和天皇の姿を描いたハリウッド映画「エンペラー」(邦題「終戦のエンペラー」)が全米各地で封切られた。米国マスコミはその主題の重さから映画の特徴をいっせいに報じたが、その内容は戦争の敗者の日本側にも人間的な光をあて、一部の映画評では、日本側に対して甘すぎるという批判が出るほどとなった。
 8日からの週末に公開された「エンペラー」は、日本占領の連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサー元帥とその副官のボナー・フェラーズ准将を主人公とし、終戦時の要人の近衛文麿、東條英機、木戸幸一各氏らも登場する。中心に立つのはトミー・リー・ジョーンズさんが演じるマッカーサー元帥だが、知日派とされるフェラーズ准将役のマシュー・フォックスさんも熱演する。日本側でも昭和天皇を歌舞伎俳優の片岡孝太郎さんが演じている。
 舞台は敗戦直後の東京で、同元帥が准将に「天皇が開戦にどれほど責任があったかを10日間で調査し、裁判にかけるか否かを決める」ことを命令する。史実にフィクションが多々、混じるその物語は、同准将がかつて恋人だった日本女性の行方を必死で捜す努力とからみあう。
 映画では戦争行為自体について、日本の攻撃だけでなく欧米諸国のアジア植民地支配や米国の日本への無差別爆撃への批判的な言葉も述べられる。日本側の人物も天皇はじめ大部分が人間らしく描かれる。
 映画は全米各地の新聞やテレビ、雑誌でも広く取り上げられ、ほとんどが「歴史の深遠な瞬間が本格的に描かれている」(デトロイト・ニューズ紙)などと好評だった。しかし一部には「日本軍の残虐行為への言及がないまま米軍の日本破壊だけが拡大されたのは不公平」(ニュージャージー州のスター・レジャー紙)という批判も表明された。
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アメリカ映画が描いた昭和天皇 「エンペラー」を見て実感した日米関係の成熟
JBpress「国際潮流と日本」 2013.03.21(木)古森 義久
 昭和天皇の戦争責任を主題とするハリウッド映画「エンペラー(天皇)」が3月上旬、米国各地で封切られた。米国マスコミはその主題の重さからこの映画の上映を一斉に報じ、その内容についても様々な角度から論評した。封切りから10日ほどが過ぎたが、各地の映画館の興行成績でこの映画がトップを走っているという報道はない。成績は、まあそこそこという程度のようだ。
  しかし日本人としては当然ながら気にかかる映画である。封切り日の3月8日金曜日の午後、首都ワシントンの映画館に鑑賞に出かけてみた。まだ夕方にもなっていなかったせいか、観客は少なかった。しかも中高年齢層がほとんどだった。やはりこの種の歴史ドラマは若い層にはそうアピールはしないのだろう。
  だが映画の中身は、昭和天皇をはじめとして戦争の敗者の日本側人物たちにも人間的な光を当てていて、日本人の視点で見ても驚くほど公正だと思った。米国の一部の映画評ではこの映画は日本側に対して甘すぎるという批判が出るほどで、それもまた理解できた。
  1つの映画で国家や社会の全体の状況をあれこれ断じることはもちろん危険ではあるが、この映画を見て、少なくとも私は日本と米国が恩讐を乗り越えて本当に友好的な同盟国同士になったようだと、改めて実感したのだった。
 ■人間らしく描かれていた日本人
  この米国映画「エンペラー」の主人公は、日本占領の連合国総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサー元帥とその副官のボナー・フェラーズ准将である。タイトルの天皇ももちろん重要な役として登場するが、その他の日本側の終戦時の要人たちも顔をそろえる。近衛文麿、東条英機、木戸幸一らがそれぞれに生き生きと描かれる。
  中心に立つのはトミー・リー・ジョーンズが演じるマッカーサー元帥で、映画の中で知日派とされるフェラーズ准将役のマシュー・フォックスも熱演する。舞台は敗戦直後の東京である。マッカーサー元帥がフェラーズ准将に「天皇が開戦にどれほど責任があったかを10日間で調査し、裁判にかけるか否かを決めよ」と命令する。 ただし同元帥としては天皇を被告として追及すれば、日本側は一斉に抵抗し、戦争がまた始まることになると判断する。だから、できればなんとか天皇を有罪扱いにはしたくない、と考えている。フェラーズ准将の必死の調査もその方向を目指して、天皇が開戦の決定には直接には関わっていなかったことを証する事実関係をなんとか見つけようとする。
  このへんまでは歴史上の事実に沿った展開ではあるが、そこに明らかにフィクションのラブストーリーが大きくからんでくるために、映画全体が人間的な感じを強くする。米国側の要人も日本側の要人もみな実在の人物たちばかりを並べているとはいえ、映画の直接の原作は小説である。
  その小説が描き出すフェラーズ准将の恋は一途な純愛なのだ。フェラーズ氏が日米開戦のずっと前に米国の大学で知り合った日本人女性を、廃墟のようになった戦後の日本で探そうとするのである。
  日本人女性は戦前の米国への留学生で、若きフェラーズ氏と恋仲になる。女性は戦争前に日本に帰るが、彼が日本を訪れ、再会する。だが日米両国の対決が2人を引き離し、戦争が起きる。そして占領下の日本では、フェラーズ准将は天皇の戦争責任について調査する大任務を引き受けると同時に、かつての恋人の行方を必死で探すのである。
  映画では、戦争行為自体については日本を攻撃するだけでなく、欧米諸国のアジア植民地支配や米国の日本への無差別爆撃に対する批判的な言葉も述べられる。日本側の要人が「もし他国の領土を武力で奪うことが犯罪ならば、欧米諸国はみな日本よりもずっと先にその罪を犯してきた」などと語るのだ。
  米軍の1945年3月の東京大爆撃の模様も詳しく描かれ、戦後の日本側要人がその爆撃を非難するという場面もある。そしてなによりも、日本側の登場人物たちが天皇をはじめとしてみな人間らしくまともに描かれていた。日中戦争を描いた中国の映画とは大違い。
  この映画は全米各地の新聞やテレビ、雑誌でも広く取り上げられた。そのうち私は新聞記事だけ十数本に目を通してみた。その中には「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」という大手紙も含まれていた。映画評に徹した記事は少なく、大多数が話題とか歴史や社会の現象のニュースというふうに取り上げていた。
  それら新聞記事は内容はほとんどが「歴史の深遠な瞬間が本格的に描かれている」(デトロイト・ニューズ)とか、「史実とフィクションが上手に混ぜられて、アピールの強い映画となった」(ワシントン・ポスト)というふうに好意的だった。
  しかし一部には「日本軍の残虐行為への言及がないまま米軍の日本破壊だけが拡大されたのは不公平」(ニュージャージー州のスター・レジャー紙)という批判も表明された。日本側に甘すぎるという趣旨の指摘だった。
  私は中国に2年間、駐在した経験があり、その間、日中戦争をテーマとした中国側の映画やテレビドラマをかなりの数、見る結果となった。そのすべてが日本軍や日本人を残虐無比の極悪人としてのみ描いていた。今回のハリウッド映画はそんな中国映画とは正反対の日本人の描き方であることが強く印象に残った。
  なお、この映画「エンペラー」は日本では7月に上映される予定だという。
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『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著 2012-08-31 | 読書 


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