<昇り龍 大関昇進>(上)憧れの叔父追うように

2023-07-25 | 相撲・野球・・・など
<昇り龍 大関昇進>(上)憧れの叔父追うように レスリングのため来日
 2023年7月25日 中日新聞
 カメラのまばゆいフラッシュ、宙を舞う座布団。異国の地で見た大相撲の世界に、15歳のスガラグチャー・ビャンバスレン少年の心は奪われた。後の豊昇龍である。
 2015年夏場所4日目。同じモンゴル出身の横綱日馬富士が、平幕佐田の海にひっかけで敗れて金星を配給した一番を、豊昇龍は両国国技館で見ていた。
 その前年。千葉・日体大柏高がレスリングと相撲の人材を求め、モンゴルで選考会を行った。約30人の候補の中から選ばれたのが豊昇龍ら3人。後に全員が角界入りすることになるのだが、当初から相撲部入りしたのは、三段目の朝白龍だけ。豊昇龍と十両の欧勝馬はレスリングで頂点を目指すはずだった。
 だが、来日したばかりの大相撲観戦が人生を変えた。朝白龍は、国技館から帰る電車で聞いた豊昇龍の決意の言葉を今も覚えている。「俺も相撲やるって決めた。叔父さんに言うわ」
 「叔父さん」とは、言わずと知れた第68代横綱の朝青龍。気迫を前面に出した荒々しい相撲で幕内優勝25度を数え、豊昇龍は今も「憧れの人」と言ってはばからない。そんな叔父にすぐさま思いを伝えると、「レスリングをやるために来日したんじゃないのか」と怒られたが、最後は理解を示してくれた。
 豊昇龍の生活を支え、国技館にも引率した柏相撲少年団の永井明慶(あきよし)代表(41)は、親交があった横綱の性格から「相撲をやれば自分と比較される人生になってしまう。『俺を超える自信と覚悟はあるのか』とプレッシャーをかけたのでは」と推察する。
 体重別階級制度が敷かれるレスリングのマットに立つつもりで来日した豊昇龍。来日時の体重は、わずか65㌔だった。筋骨隆々の現在とは似ても似つかず、あばら骨が浮き出たすらりとした体形の写真が残っている。永井代表は「太らないと勝てないという意識で、ご飯を食べていた」と転向後を振り返る。3年時に全国高校総体で個人準優勝を果たし、直後に受検したした新弟子検査では107㌔、新大関を射止めた今場所は140㌔超。来日してから8年間で自分の分身をつくって余りある体重を蓄えた。
 偉大な叔父と自身を重ねたがる周囲の視線に嫌気が差し、「なぜ比べるのか」と気色ばんだことも、口うるさい叔父との接触を絶とうとしたこともある。入門当初、豊昇龍と永井代表は、こんな誓いを交わしたという。「朝青龍のおいではなく、豊昇龍の叔父という言われ方をしようぜ」 (鈴木啓紀)
    ◇
 24歳の豊昇龍が大関昇進を決めた。初土俵から5年半。強靭な足腰の強さと、負けん気あふれる相撲を持ち味とする「昇り龍」の栄光の軌跡を振り返る。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。