ペトロ岐部に重ねた自分 加賀乙彦著『殉教者』(講談社)2016/6/15

2016-07-02 | 本/演劇…など

ペトロ岐部に重ねた自分 加賀乙彦「殉教者」
BOOKasahi.com[掲載]2016年06月15日
 加賀乙彦さん(87)の新作『殉教者』(講談社)は、江戸初期に日本人で初めてエルサレムの地を踏んだペトロ岐部(きべ)カスイの苦難の旅を描く。構想に30年かけた作品は、冒険譚(たん)であり、信仰の物語となった。
 ペトロ岐部は戦国時代末、現在の大分県国東(くにさき)市に生まれた。司祭を志すが、江戸幕府のキリシタン追放令で出国し、エルサレムを経てローマへ。イエズス会の司祭になり、迫害される日本のキリシタンのために15年ぶりに帰国。捕らえられ、処刑された。
 長崎からマラッカ、ゴアを経て、エルサレム、イスタンブール、ローマへ。旅した距離は5万3千キロになる。加賀さんは、残された史料からペトロ岐部の存在は知っていたが、2代将軍徳川秀忠の世にこんな大冒険を成し遂げたとは、「ありえない」と最初は思った。
 加賀さんの初期作品にも信仰に関わる人物が登場するが、上智大で神学者の門脇佳吉神父と知り合い、キリスト教に傾倒。1987年のクリスマスに、妻と共に遠藤周作夫妻を代父母に洗礼を受けた。2年後、門脇神父から巡礼の旅に誘われ、最初に訪れたエルサレムで興奮した自分と、ペトロ岐部が重なった。以後、足跡を追って各地を巡礼するうち、「彼の身になって景色を見、彼の心になってキリスト教を理解するようになった」という。
 ペトロ岐部の研究は進んでも、インドのゴアからシリアのアレッポへの経路は分かっていない。シルクロードを行くルートと、アラビア海から砂漠の道を行くルートの二つが史書から推定されているが、アラビア海のルートを選んだ。
 「静かなアラビア海を見た時、国東半島で育ったペトロ岐部が水夫になって櫓(ろ)をこぐ姿が想像できた」 巡礼の旅は『高山右近』『ザビエルとその弟子』の取材でもあったが、「イメージが勝手に湧き出たのは本作が初めてだった」。
 「われ」を主語に主人公の感覚で物語を紡ぐ文体は、ペトロ岐部と一体化して生まれた。10年ほど前に書き上げてはいたが、何度も書き直した。一昨年、帰国時に出航したポルトガルのリスボンに行き、「やっと書ける」と思ったという。「ペトロ岐部は、喜んで命を捨てるという強い覚悟で帰国した。その力強さが今の文学にはない。それを書こう、と」
 戦争体験から、個人の自由と国家の統制との対立を考え続ける作家の心には、常に若い世代がいるようだ。帰国したペトロ岐部が支えた信者と今の若い人を重ね、「信仰を深めると、心の世界が広がると伝えたい」と語る。
 2011年に心臓病で倒れ、ペースメーカーをつけた生活を送る。「半ロボ」と自称するが、2週間に1度、精神科医として診察する。「洗礼名のルカは、医師だったと言われる聖人から選んだ。身体はきついけれど、他人の役に立ちたくて続けているんです」
 その思いもまた、ペトロ岐部の殉教に重なる。
 (宇佐美貴子)

 ◎上記事は[BOOKasahi.com]からの転載・引用です
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「松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚は完全に拘禁反応 治療に専念させ事件解明を」加賀乙彦氏 医師として自信
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加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書 2006年8月17日第1刷発行
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